芋洗ふ女は白き安養寺 夏目漱石の俳句をどう読むか47
芋洗ふ女の白き山家かな
さてこの芋は山芋かサツマイモか、はたまたジャガイモか。解説者はただ芋が秋の季語であるとのみ説明して、この芋の何たるかを教えない。また芭蕉の、
芋洗ふ女西行ならば歌よまん
……という句を紹介する。
じゃあ先日見てきた和食展で撮った『野菜の渡来時期』表でも見ておくれ。めっちゃ興奮した。 pic.twitter.com/9LNXGwSOD0
— 霜月ちかティ (@Miwa_Shimotuki) February 23, 2024
こういうことがやがて解らなくなる。芭蕉の詠んだ芋は山芋か山の芋、漱石の詠んだ句はそれに加えてサツマイモの可能性もある。無論実景ではなかろうから、漱石がただ芋という文字だけを思い浮かべていた可能性がないわけでもない。

この西行谷の場所に関しては二つの説があるようだ。これが我鬼先生の句ならば、芭蕉が谷に芋洗う女を詠んだので、自分は山に芋洗う女を詠んだのだと言い切ってよいだろうが、その点漱石がどこまで芭蕉の句になじんでいたのかが解らないので、「結果としてはそういう対に見える」と、までしか言えない。
幸田露伴はこの西行谷を伊勢二見の山寺、安養寺と書いている。おそらくはその麓の流れで山芋を洗う女を詠んだのであろう。

芭蕉の句そのものは「西行は歌で翁は発句」という程度の言葉遊びである。句としてはあくまでも「西行」というモチーフを詠んでいて、「芋を洗う女ども」は西行出すためのきっかけのようなものである。
1681年、池西言水の『東日記』に詠まれる、
芋洗ふ女に月は落ちにけり
……という句がある。
解説はそこには触れない。
芭蕉の句が貞享元年、1684年に詠まれた句であることを鑑みると、何か因縁がありそうでもある。

しかしそもそも因縁などまるでなく、漱石は芭蕉の句を知らず、芭蕉は言水の句を知らず、子規だけが両方知っていて、結果としての類似が見えていただけなのかもしれない。(子規にも言水の句の書き写しが確認できないので、子規が全部知っていたとも断定はできない。)
建部巣兆の『うさき馬』(1812年)にこんな句が有る。
月〇〇女出たり芋洗ふ
※〇〇は達筆過ぎて読めない

これだって何の連絡もないのかもしれない。
ころぶせば枕にひびく浅川に芋洗ふ子もが月白くうけり
こんな長塚節の歌は完全に関係なかろう。
さて、
芋洗ふ女の白き山家かな
漱石の此の句に対して子規は「女の白」に傍線を引いて、「女の白きトハ雪女ノ事ニヤ」と揶揄っている。どこが白いのかと言いたいのであろう。芥川の、
惣嫁指の白きも葱に似たりけり
ならば「◎」が貰えただろう。「女の白き、山家かな」だとやはり「山家」が余計であろうか。
日本語の問題としては家が白い可能性も否定できない。「女の、白き山家かな」さすがにこれはないと思うが、そういう隙があることは確かだ。白い女とは雪女のことかという子規の指摘は、白い着物を着て白髪なのかとやはり曖昧さを突いている。わずか十七のモーラに少しの油断も認めない子規らしい態度だ。
一方西行も芭蕉も意識していないかもしれない漱石は、やはりこの時期は少しおおらかである。「女の白き腕かな」と焦点を当てすぎるのを嫌って、「山家かな」と逃がしてしまった。「女の白き腕かな」とまで見つめてしまうとセクハラに思えたのであろう。これが腕でなく「女の脛(はぎ)の白さかな」であれば完全なセクハラである。開店前のパチンコ屋でミニスカートのお姉さんが入り口の掃除をしていて、ドアを拭いていると一瞬しゃがむタイミングがあるんじゃないかと立ち止まって眺めるようなものである。「山家かな」と慌てて逃げたのには、実はそんな事情があったのかもしれない。
芋洗ふ女はしゃがんでいるものである。そこに気が付いていなければ、やはりだめである。
[余談]

そんなことはない。

なんかおかしい。
