谷崎潤一郎の『卍』をどう読むか⑨ 桜ん坊のジェリー拵えてる時
どちらが異常なのか?
「うちこのごろ朝から晩まであんたのことばっかり思い詰めてて、ほかの事なんにも考エへんようにしてんねよって、あんたかってきっとそうしててくれるわなあ」と、私はぎゅッと頸のまわりに抱きついて、「うちの心にちょっとの隙も出来んように、いッつも、いッつも、可愛がりつづけに可愛がってくれなイヤやわ」と、今では夫の愛情だけがたった一つの頼りでした。「もっと可愛がって、もっと可愛がって……」と、私のいうのんはそればっかりでした。或る晩なんぞは、「まだ愛しかたが足らん」いうて、気違いみたいに興奮しましたのんで、「お前は極端から極端やなあ」と、夫はなだめるようにいうて、私のあんまりな上せかたに今度はかいって面喰ろてるぐらいでした。
これは一人の狂人の話として読むべきだろうかと気が付く。あるいは狂人とは呼ばないまでも異常にエモーショナルな女、驚くべきのぼせあがりやすい性格の女の話。少なくともここまではそう読める。既に二人の近親者が死んでいるのに、嬉々として回想を続ける女、その過去は後の事件に全く汚されていない。もはや無邪気という言葉ではとらえきれない病的な「無関心さ」「無責任さ」そして「強烈なエゴイズム」がある。
無論作品の仕掛け、谷崎潤一郎のたくらみとしては、この柿内園子の病的な「無関心さ」「無責任さ」そして「強烈なエゴイズム」によって、事件の落差を生じさせようというところを意識しての事であろうが、柿内園子のキャラクターが強烈過ぎて、次第にリアリティではなく何か切実さのようなものが剥がれて行くように感じられるのである。そこまでが谷崎潤一郎のたくらみとまでは買いかぶることが出来ない。
兎に角いったん柿内園子は徳光光子から離れ、夫に夢中になっていたとしよう。
もしもその時分にひょっこりあの人が訪ねて来たら、否でも応でも物いわんならんようなハメになるよって、それが何より気がかりやったんですけど、なんぼ厚かましいいうてもさすがよう寄り附かんかして、ええあんばいにあんなり何もいうて来けえしません。私は心のうちに神様や仏様祈って、結局運命がそんな工合になったのんを有難いことや思いました。ほんまに、あの晩のような出来事でもなかったら、なかなかこない綺麗さっぱりと切れるいう訳に行けしませんのに、これも神様の思召しやろ、口惜しいことも悲しいことも済んでしもたことはみんな夢とあきらめよと、ようよう幾分か落ち着いて来ましたのんは、あれから半月も立った六月の下旬ごろのことで、――去年の夏は空入梅でしたよって、毎日々々日照りがつづいて、家の前の海岸に泳ぎに来る人がちょいちょい見えました。
時間の進み方はのろく、次の大きな展開に備えているように見える。このまま何もなく終わるわけはないのだから、一気に進めても可笑しくないところ、谷崎潤一郎は一旦落ち着かせる。そしてここで引き返すことも出来たはずだという復元ポイントを示す。ここで引き返せばただ忘れてしまえば済む話なのだと念を押す。慎重だな、潤一郎。
夫はいつも暇ですのんに、その時分珍しい頼まれた事件あって、もうちょっとしたら手エ抜けるさかい、そしたら何処ぞ避暑になと行こいうたりしてましたが、或る日私が台所で桜ん坊のジェリー拵えてる時でした、「大阪のSK病院から奥様に電話だす」いいますのんで、虫が知らしたのんか、何やけったいに思いながら、「誰ぞ入院してんねやろ、も一ぺん聴いてみなはれ」いいますと、「いえ違います、病院が直接奥様に話したいいうたはります、男の人の声みたいだす」いうことで、「ふん、おかしいなあ」いうて電話口い出る時から、何でか知らん胸騒ぎして受話器を持つ手エ妙に顫えてるのんです。彼方では「あんたは奥様ですか」と二へんも三べんも念押してから俄かに低い声になって、「突然甚だ失礼ですが、あんたさんは英語の避妊法の本を中川さんの奥様にお貸しになったことありますか」とけったいなこと尋たンねます。「はあ、その本は私たしかに或る人に貸しましたけど、中川さんの奥様いう方はよう知りません。多分私から借った人が又貸ししたんやろ思います。」そないいうと直ぐ、「はあ、はあ」と向ではうなずいて、「奥様がお貸しになったのは徳光光子さんでしょうな?」いうのんです。私実はもう最前から予期してたもんの、その名アいわれた瞬間に何や電気みたいなものが体じゅうビリビリ伝わるような気イしました。
台所でスパゲッティを茹でていたら、ノモンハン事件に巻き込まれてしまう『ねじまき鳥クロニクル』も、こうしてあえて「桜ん坊のジェリー拵えてる時」と日常をまず意識させるところからの事件の落差を意識したものだろう。読者は「何でか知らん胸騒ぎして受話器を持つ手エ妙に顫えてるのんです」「俄かに低い声になって」「電気みたいなものが体じゅうビリビリ伝わるような気イ」と、正体の解らないものに既に脅されている。
ところが病院ではその本のことから或る重大な結果起ってえらい迷惑してる。電話ではそれ以上申し上げること出来んが、そのことについて中に挟った徳光さんのお嬢様もいろいろと心配してはりまして、どうしても一ぺん奥様にお目にかかって秘密に相談せんならん思て、こないだから何遍でも手紙差し上げたそうですが、奥様の方から何とも返事してくれはらんいうて難儀してはる。そんでこの場合、是非とも徳光さんに会うてみて下さい。病院の者が直に伺うては面白ろない事情がある。病院は表面そ知らん体にして徳光さんと会うてくれはるのが一番よろしい。万一会うて下さらんと、病院はこの事件について奥様の方いどんな迷惑がかかっても一切責任負うこと出来んいうのんです。
しかしこの「病院」の言い分はけったいなものである。医療事務課の仕事ではない。なんとなく脅されてはいるが全く具体性がなく、都合がよすぎて、意味が解らない。合理的な事情が見えない。
「……いいたいことも胸につかえてしもてちょっとも出エへんねんけど、ほんまいうたら、さっきのあの電話のことなあ?……あれほんまは、中川の奥様と違いまんねん。」「ふーン、そんなら誰のことですねん?」――その時光子さんは眼エと眼エの間に皺を寄せてくすッとけったいな笑いようをしたと思たら、「あてのことやわ」いうのんです。「そしたら、病院に入院してるいうのんは、あんたの事だっか?」――まあ、この人は、……何処まで厚かましいねんやろ! 自分が綿貫の種宿してどうにも始末に困ったのんで、またしてもうちを利用しに来るとは! さんざん人に苦水飲ましときながらまだ足らんのか。――私は体じゅうが顫るて来るのんじっと押し鎮めて出来るだけ空惚けて聞いてやりました。
どうせそんなことやろと思うてた? いや、そこまでとは思うてなかったやろ、あんた。ここにもう一人、いや一枚上手の可笑しな女が現れた。病的な「無関心さ」「無責任さ」そして「強烈なエゴイズム」で柿内園子の遥か上を行く女、徳光光子。そもそも二人の関係は、徳光光子のトークが齎した成果だ。
しかしモノローグの語り手の言葉が世界の真実そのままではありえないように、ここでは徳光光子が齎した情報によって「校長先生夫婦」という共通の仮想敵が形成され、徳光光子と柿内未亡人の間に類似性の法則による親近感が生じつつあると見做すことができる。つまり徳光光子のトークは事実であれ、あるいは不作為であれ、柿内未亡人と親密さを増す効果を持っているという意味だ。
柿内園子はしろ単なる被害者なのではないのかという疑問が突然湧いてくる。しかしその答えはまだない。この続きをまだ読んでいないからだ。
