芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか⑥ それは書いてはいけないこと
これまで「妊娠時期」「洪水」と書いてきて「他人の子を受け入れる片眇目の主人」を書かなかったのは、「眇」と「則天去私」が結びつかなかったからだ。
つまり片眇目の主人のいわば極めて奇特な仙人的性格というものを仮定しなければ、白い猫のような女が他人の子を宿していると知りながら妻として迎え入れるという、そういうアクロバティックな展開が想像できなかったかったからだ。
またいろいろなことに差しさわりがあり、なかなか書きづらい上に意地の悪い、下品というか、いささか差別的な皮肉を結末に見ていた所為でもある。仮に白い猫のような女が他人の子を宿していないとしたら、結末にはむしろかなりの毒があるようにも思えるからだ。
「あばばばばばば、ばあ!」
女は店の前を歩き歩き、面白さうに赤子をあやしてゐる。それが赤子を揺り上げる拍子に偶然保吉と目を合はした。保吉は咄嗟に女の目の逡巡する容子を想像した。それから夜目にも女の顔の赤くなる容子を想像した。しかし女は澄ましてゐる。目も静かに頬笑んでゐれば、顔も嬌羞などは浮べてゐない。のみならず意外な一瞬間の後、揺り上げた赤子へ目を落すと、人前も羞ぢずに繰り返した。
「あばばばばばば、ばあ!」
保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑ひ出した。女はもう「あの女」ではない。度胸の好いい母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何いかなる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫然と家々の空を見上げた。空には南風の渡る中に円い春の月が一つ、白じろとかすかにかかつてゐる。……
ひとたび托卵を意識に上らせてしまえば「一たび子の為になつたが最後、古来如何いかなる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である」「図々しい母」という言葉にはこの女の罪の暗示もあることを認めざるを得ないだろう。どうもこの女は罪人にされている。
ただ、この罪がないとしたら!
ただ「あばばばばばば、ばあ!」にフォーカスしてみると、この赤ん坊が遺伝性の斜視であるという、普通は、まあ、常識的に書かれるべきではない落ちも見えないではない。
僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。
今遺伝性疾患のことなどを話題にすれば、差別主義者として人格否定されてしまいそうだが、当時はそうではなかった。
その子供が片眇目の主人の子か、それとも別の誰かの子か、どちらかの明確な答えがあるわけもないが、それがどちらにせよ、確かなことはここに「母」がいることである。
帝國ホテルの露臺で、「あの子を御覽なさい。似てゐませう?」と□夫人が芥川に言つた、それは、□夫人は芥川が書殘してゐるやうな復讐といふ意味でさういつたのではなく、むしろ、□夫人一人の幸福感でさう言つてた言葉であつたのかも知れない。
滑稽にも女人にはをりふし、交合のない、忌嫌ふ男の容貌にさへ似た者を産む場合さへある。
芥川は、「O君の新秋」――僕が相州鵠沼海岸伊二號に借りてゐた家の庭で、猫のやうにそうつとして松葉や松ぼくりを掻きあつめ、幾册かの大學ノートを燒いてゐたことがあつた。僕は顏をほてらしてゐる芥川を見てみぬふりで手傳はず、默つたままで燃してしまふのを待つてゐたが、芥川は燃してしまふとそのまま、自分の家に歸つてしまつた。(芥川は伊四號に住む。家主はひとつ人で、庭と庭との間には垣がないのだ。
こんな小穴の回想を今更読むとまるで芥川に言わされた予言みたいだ。
だから子供の親は確かではない。
そしてもう一つ言えることがある。
このことだけは確かだ。
芥川龍之介にはたった一人の読者もいなかった。
残念ながら。
