黄禍論とインターネット~カート・ヴォネガット『スラップスティク』を巡って
緑死病の原因
ダンカン・ワッツの『スモールワールド・ネットワーク〔増補改訂版〕: 世界をつなぐ「6次」の科学』(ちくま学芸文庫)を立ち読みしていて気が付いた。ペストの「ヨーロッパでの」大流行はペストに感染した中国船がイタリア南部の港に漂着したことによって起こったそうだ。アルベール・カミュの『ペスト』はオランダから始まるので、ペストの「ヨーロッパでの」大流行が中国人によって齎されたものであることは、私はこれまで殆ど意識していなかった。
しかし改めて確認してみれば、ウィキペディアにははっきりこう書かれている。「第2次のパンデミックは、1331年に中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るったのち貿易ルートに沿ってヨーロッパ、中東、北アフリカに拡散し、およそ8000万人から1億人ほどが死亡したと推計されている。」こうなるともう、何の言訳も出来ない程度に中国は歴史的な「禍」である。
また「中国のペストは19世紀に再び発生。1894年に世界的交易地だった英領香港に飛び火したためパンデミックを引き起こした。」と説明されている。なるほど、ペストの「ヨーロッパでの」大流行が中国人によって齎されたものである、というのは歴史上の常識ではあるらしい。この記憶があってこその『スラップスティク』であろう。
本稿はこの歴史上の常識に関する議論ではない。カート・ヴォネガットという作家の『スラップスティク』を今、再読して思うあれこれに関するとりとめもない話だ。まだ「論」でも「考察」でもない。それ未満の、しかし何某かの意味に辿り着こうという文章だ。
訳者あとがきに拠れば1976年に発表されたとされる『スラップスティク』はアメリカが第一次世界大戦に参戦して五年後、つまり1922年に生まれた小説家「わたし」が自伝に近いとして語る荒唐無稽波乱万丈奇想天外な物語である。人類(ただし中国人)が宇宙船などを利用しないで火星に移住しているので、現在から見てもまだ遠い未来のようにも思えるが、第一次世界大戦が引っかかってそう遠い未来とは思えない。あるいは、まさに今、2021年あたりの世界が描かれているのではないかとさえ錯覚するくらいだ。
当年取ってというから数え年で百歳の元アメリカ合衆国大統領、ウィルバー・ダフォディル-11・スウェイン医師はタクシーから引っぺがしたバックシートに座っている。1922+99=2021だ。アメリカーナ・ホテルの廃墟で見つけたカーテンを仕立て直した紫色のトーガを着ている。金冠を頭に戴き、紫色の衣に金のベルトを巻いて、デルポイの花冠を携えて諸都市を巡り歩いたというエンペドクレスかと思えば彼は裸足である。サンダルを履いていない。エンパイア・ステート・ビルの一階に住んでいる。彼には二卵性双生児で、姉がいた。二人とも手足が六本指で、ネアンデルタール症で、化石人類の顔立ちをしていた。
ウィルバー・ダフォディル-11・スウェイン医師はミドルネームを割り振ることで拡大家族を作るというアイデアによってアメリカ合衆国大統領になったが、結果として拡大家族が国家は崩壊させることになった。中国人は体を小さくすることにした。そして重力を支配する。「アルバニア風邪」あるいはマンハッタンでは「緑死病」と呼ばれる病気で何百万人という人々が死に始めた。アメリカは、そして中国を除く世界は、重力の変化で混乱している。
作者・カート・ヴォネガットは拡大家族計画を除く、その不幸の原因を全て、ぬかりなく中国人に押し付けようとしている。どうやら中国人はテレパシーを使い、重力をコントロールするばかりか、なんとあまりにも小型化してしまったばかりに、緑死病の黴菌になってしまっていたのだ。流感の原因はやはり小型化された火星人である。緑死病の解毒には魚のはらわたに残存する昔の汚染物質の名残りが有効である。
「ヴィーラ」とわたしはいった。「もしかしてその顕微鏡の調整がうまくいったら、あんたは胸のはり裂けるようなものを見ることになる」
「胸のはり裂けるようなものって?」とヴィーラはききかえした。
「緑死病を起すバイキンが見えるってことさ」
「なぜそんなことで、わたしが泣くのよ?」
「あんたが道義心の強い女性だからだよ。だって、そうじゃないか、われわれは彼らを何億何兆と殺しているんだからね―解毒剤をのみこむたびに」
わたしは笑った。
彼女は笑わなかった。
(『スラップスティク』カート・ヴォネガット/朝倉久志訳/早川書房/昭和五十八年/p.225)
カート・ヴォネガットはユーモア作家である。SF作家であるとも呼ばれる。その作品のいくつかは戦争や、人類の残虐さを巡って酷く深刻なものが書かれている。ただこの『スラップスティク』には、中国人に対する畏怖と揶揄とが「黄禍論」的に滲み出ているように見える。この「黄禍論」はごくシンプルな「中国人ならやりかねない」というジョークである。中国人を何億何兆と殺しても、それは飽く迄ジョークなのである。これは一般的には虐殺なのだが、それは笑いの中で昇華されてしまっている。無論このジョークはけしてお行儀のよいものでは有り得ないし、誰かは怒りを覚え、糾弾しても可笑しくないものである。
しかしカート・ヴォネガットが薄っぺらいユーモア作家ではないことは、その妄想的黄禍論的中国人差別のようなものが、形を変えてまぎれもない現実世界に実在し、その現実が孤独を生み、どんなに求めても愛し合うことが「得難い事」なのだと指示されることによってまた明らかとなる。
子供の時分、インディアナ州のインディアナポリスで、わたしたちはいつも本物の身内ばかりの拡大家族にとりまかれているようなものだった。なにしろ、両親も祖父母も、その町で、大ぜいの兄弟姉妹や、いとこや、叔父叔母とっしょに育ったからである。そう、そしてそれらの身内は、みんな温和で教養があって裕福な人びとで、ドイツ語と英語を美しくしゃべった。(『スラップスティク』p.14)
ここから「わたし」がドイツ系移民であり、インディアナ州のインディアナポリスでは昔ドイツ系移民のコミュニティが有効に機能していて、拡大家族というアイデアそのものがけして荒唐無稽なものではないことが読み取れる。ただその拡大家族を結び付けていたドイツ的なものは、あるきっかけで機能しなくなる。
戦争である。
しかし、一族が享受していた喜びは、やがて永久に還らぬものとなった。その原因は、わたしの生まれる五年前、アメリカが第一次世界大戦に加わったのをきっかけに、すべてのドイツ的なものに対する国内の憎悪が、いっきょにむきだしにされたことにあったようだ。
わたしの家でも、子供にドイツ語を教えなくなってしまった。またドイツ音楽や文学や美術や科学への憧れも、奨励されなくなった。兄と姉とわたしは、まるでドイツがわたしたちにとってはパラグアイとおなじぐらい外国であるかのようにして、育てられた。(『スラップスティク』カート・ヴォネガット/朝倉久志訳/早川書房/昭和五十八年/p.15)
ニュージャージーの電車に乗っていたドイツ人男性たち。ドイツ語で話していたことで、アメリカ人女性に「国から出ていけよ!」と詰め寄られている動画がSNSでかなり拡散されていた件。この女性は、動画の影響で勤め先の製薬会社をクビになり、大きく報じられている。pic.twitter.com/MO9dFbYtm0
— 山田敏弘 (@yamadajour) October 6, 2023
そして「わたしたち」はアメリカという機械の交換可能部品となる。ドイツ的なものを棄てることによって、孤独が生まれる。コミュニティが失われてしまったのだ。
「ぼくのオペラの中では」と、わたしはいった。「ときどき、舞台が泥んこ色の軍服一色になる。そうなると戦争だ。
そのうちに、またそいつがきれいな色に戻ってくる」(『スラップスティク』p.28)
カート・ヴォネガットは楽天的な想像力と妄想力を振り絞り『スラップスティク』を書いた。彼が楽天的であり、戦争でさえも人道的であるべきだと考える平和主義者であることは認めても良いだろう。
「わたしたちはもはや国家ではなく、いくつかの家族の集まりにすぎないのですから」と、わたしはいった。「戦争で情けをかけたり、かけられたりすることも、昔よりずっとたやすくなりました。
わたしは当地へくる前に、ここからずっと北にあるマクシンカッキー湖地方で、空から戦闘を見てきたばかりです。そこにはたくさんの馬と槍と小銃とナイフとピストル、そりに一、二門の大砲がありました。わたしは何人かの人が殺されるのを見ました。わたしはまた大ぜいの人が抱きあっているのも見ましたし、脱走や幸福もさかんに行われているようでした。
マクシンカッキー湖の戦いを見て、これだけはあなたがたにお知らせできます―
あれは決して虐殺ではありません」(『スラップスティク』p.240)
虐殺ではない、その言葉の意味するところは解るにしても、その言葉がどこから生まれたものか、正直私には理解できないところがある。ヴォネガットは案外本気で、『死よりも悪い運命』などを見ても、戦う事より捕虜になる方がましだと考えており、拡大家族計画は本当に政治的な主張だ。後のインタビューでもヴォネガットはほぼ『スラップスティク』と同様のことを真面目に答えており、作家となった理由は政治的なものだと認めている。理解はできないものの、少なくとも「残酷さを回避する」というリチャード・ローティ的な試みとして、彼の言葉1つ1つに厳密さを求めないようにしたい。我々は厳密さを求めるあまり、誰とも解りあえず、孤独であり続け、対立しあってきたからだ。
二卵性双生児ウィルバーとイライザが引っ付いている時、一個の天才が生まれる。二人はむしろその名前のない天才の分身だった。その天才は中国人でさえ考えつかない、重力に関する発見を書き残す。この幸福な二人は、意地悪な狂人、コーディリア・スウェイン・コーディナー博士によって引きはがされる。
そして孤独なウィルバーは「もう孤独じゃない」というスローガンを掲げ、アメリカ合衆国大統領になるのだ。
どうもヴォネガットには、中国人と解りあおうという発想はない。中国は閉ざされた秘密国家であり、中国に行った外国人は誰一人戻らないので「中国に行く」ということはすなわち自殺を意味するようになる。1976年には既にアメリカに中国系移民もおり、チャイナタウンも実在した筈である。しかしヴォネガットは中国系移民を見ない。中国系移民を見えない黴菌、アメリカ人の緑死病の原因にしてしまう。緑死病は赤死病の言い換えだろう。黄死病とも書けない。ここには恐らくジョークめかした思想的な意味、中国共産党とは相容れないキリスト教的共和主義?のようなものが見え隠れする。
トライ・ベンゾ・デポータミルの禁断症状は、世にもすさまじいものだった。スウェイン医師は六日六晩、未亡人の家のベッドに縛りつけられることになった。そのあたりのどこかで、彼は未亡人と抱擁を交わし、のちにメロディ・オリオール-2・フォン・ピーターズウォルドの父親となる息子を身ごもらせた。
そう、そしてどこかそのあたりで、未亡人は中国人から教わったことを彼に告げた―彼らが和合一致した心を結び合わせて、立派な宇宙のあやつり手になったことを。(『スラップスティク』p.256~257)
それを聞いたスウェイン医師は死の島マンハッタンに向かう。眼に見えない「中国共産党員」を吸い込み死ぬためだ。彼には「和合一致した心を結び合わせて、立派な宇宙のあやつり手になった」中国共産党員を認めることがどうしてもできなかったのだ。そうじゃない、分かり合うとはそういうことじゃないと言いたいのだろう。
今、この『スラップスティク』を読めば、眼に見えない「中国共産党員」を吸い込むことが、どうしても「あのこと」と結びついてしまう。彼らは自ら黴菌となるより簡単な方法を見つけたのではなかろうか。コウモリのウィルスをチンパンジーに植え付けて見る。人間が進化するより、ウイルスが変異するスピードの方が圧倒的に早い。
それにしても不思議なのは、カート・ヴォネガットという作家が中国の脅威を過剰ではあるが的確に見通していたことである。
1976年は文化大革命の最終年、ヴォネガットの認識ではおそらく中国は毛沢東による文化大革命真っ最中の国家である。アメリカ国内ではどうだったのか詳らかにしないが、少なくとも日本では情報操作により文化大革命の実体は伝わっていなかった。今では到底信じがたい話だが、その三年ぐらい前1973年頃、日本では稲穂に乗る毛沢東の写真が広まった。計画経済の成功により、稲穂の上に人が立てるほど豊作になったという出鱈目を多くの日本人が信じた。麻原彰晃の空中浮揚写真と同じようなものだ。
しかしどういうわけかヴォネガットには中国共産党の恐ろしさが本当に見えていたのではなかろうか。それは今でこそ「中国ならやりかねない」という黄禍論的戯画に見せかけた、本当の意味での中国脅威論に思える。
インターネットの無い世界・ある世界
昔の空想未来小説を読むと必ずインターネットとスマートフォンが登場しないことに逆に感心する。電話器でお金を払うことなど、さすがにどんな夢想家にも思いつかないことだったのだ。『スラップスティク』を空想科学小説と呼んでしまうのはどうかと思うが、やはりそこにはインターネットとスマートフォンが登場しないかわりに、どきりとするアイデアが現れるのだ。
その一つは拡大家族のためにコンピュータによって払い出されるミドルネームというアイデアである。まるでマイナンバーじゃないかと、たしかにどきりとするものの、コンピュータの文字は一度しか現れず、その台帳管理システムがどのように構築されるのか明確ではないが、どうやらネットワークや電子帳簿という概念は現れず、名簿が印刷されるという結果となる。
もう一つはイライザとスウェインが試験を受けている時期、つまり引き離される寸前の時機に、中華人民共和国で行われていた集合知の研究である。
あたかもこの頃、中華人民共和国は、文字通り何百万、何千万の天才をひそかに創り出していた―テレパシーの相性のいい、同傾向の専門家に、二人組またはそれ以上の小グループを作らせ、一個の頭脳として思考することを教え込んだのである。そして、こうしたつぎはぎの頭脳は、たとえばサー・アイザック・ニュートンや、ウィリアム・シェイクスピアのそれに匹敵するものになったのだ。
そう、その通り―そして、わたしがアメリカ合衆国大統領になるよりもずっと前から、中国人たちはこれらの合成精神をさらに結び合わせて、とてつもない知性を生み出すことにとりかかっていた。この知能には宇宙そのものさえがびっくり仰天して、こういっているかに思えた。
「あなたのお指図を待ちます。あなたご自身のお望みどおり、どんなものにもなれるでしょう。わたしもあなたのお望みどおり、どんなものにもなります」
ハイホー。(『スラップスティク』p.109~110)
この合成天才のアイデアは、原爆開発のためにアメリカやヨーロッパの科学者が頭脳を寄せ集めた故智に倣ったのだという。ここでも精神・頭脳を繋ぐのはテレパシーということになってしまって電子装置は現れない。だがやはりどきりとするのは、パーソナル・コンピュータやインターネットが集合知を生まず、馬鹿と阿呆に堕ちて罵り合う仕組みにしかなっていない現在がある一方、誰もが日々更新される百科事典に自由にアクセスできる仕組みが現にあるからだ。我々はテレパシーの代わりにツイッターを得たが、ツイッターで孤独を紛らわす事は難しい。
しかし『スラップスティク』ではエピローグでついに電子工学装置による特殊なコミュニケーションが描かれる。
その存在を知っている少数の人たちから〈フーリガン〉と名づけられたこの装置は、ありふれた茶色の土管―長さ二メートル、直径二十センチのそれ―だった。その土管がちょうどある角度で―巨大な粒子加速器をおさめたスチール・キャビネットのてっぺんに置かれていたのである。この粒子加速器は、原子内部の生き物の競走馬で、町はずれのトウモロコシ畑の中を一周していた。
そう。
フーリガンそのものも、ある意味で幽霊だといえた。なぜなら、その粒子加速器は電力欠乏だけでなく、加速器の能力に対する熱狂者の欠乏も手伝って、ずっと前から死んでいたからだ。その土管を死んだキャビネットのてっぺんにのせたのは、フランシス・アイアン-7・フリーガンという雑役夫だった。彼は自分の弁当箱もそこに置いた。すると土管の中から声が聞こえてきた。(『スラップスティク』p.249)
原文を読んでいないのに勝手な事を書いてしまうが、熱狂者はファンではなかろうか。どうも得体の知れない装置ではあるが、「この粒子加速器は、原子内部の生き物の競走馬で、町はずれのトウモロコシ畑の中を一周していた。」というあたりは原文ではさも機械装置らしく書かれているのではなかろうか。いずれにしてもこれではまさに霊界ラジオである。おそらく我々はそれ以上に便利なもので、今や中国やいくつかの閉鎖的な国を除く世界自由の多くの人と会話することができる。虐殺は続いている。
テレパシーの様なインターネットで遊びながら、目に見えない中国共産党員を吸い込み緑死病によって死にかけている。我々はまだ名前のない天才の分身になり切れてはいない。
