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ことのはに霜露おくやだまり鳥 芥川龍之介の俳句をどう読むか131

黒き熟るる実に露霜やだまり鳥

  大正七年九月二十二日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句である。この句もまた全地球人から無視されている。ねじまき鳥に大騒ぎして、だまり鳥を無視する皆さん、揶揄われていますよ。だまり鳥かって。

 で、「だまり鳥」という言葉のセンス、超クールじゃないですか。そう思うのは私だけなんですかね。

 それから黒き熟るる実に露霜や、ってほとんど詩ですよね。

 黒い実、

 ポリフェノールの量が多いわけですよ。そこに露が凍って霜のようになったもの、みずじもがつきますかね。九月二十二日に。

 無茶苦茶じゃないですか。九月二十二日に露霜はないですよね。そりゃ鳥も黙りますよ。えーと、思いますよね。ピーチク啼きながら啄めないわけですよ。

つゆ‐じも【露霜】
(奈良時代にはツユシモ)
①露と霜。または露。古今和歌集秋「萩が花散るらむ小野の―に」
②秋の末に、露が凍って霜となったもの。みずしも。〈[季]秋〉。万葉集10「秋萩の枝もとををに―置き」
③としつき。歳月。星霜。新古今和歌集序「―は改まるとも」

広辞苑

 虚子に褒められたと手紙には書いてあります。萩原朔太郎には叱られるかもしれませんがね。大体『万葉集』はさておき、『古今和歌集』が和歌の基本だとしたら、和歌というのは大体造りものです。実景を詠んでいません。『万葉集』にちなんだ言葉遊びが殆どです。しかしその言葉遊びの中に「この一筋」があるわけですよね。「だまり鳥」って根無し草、ちなんでいない言葉ですよね。「人だまり」や「日だまり」はあっても「だまり牛」とか「だまり草」という言葉はないわけです。ここは創意です。

「圓珠庵雜記」に云。『露霜といふにふたつあり。ひとつには露と霜となり。常のごとし。
ふたつには萬葉第七、同第十に、詠露といふ題に露霜とよみ、その外露霜さむみなどあまたよめるは、秋の末に至りて露のこりて霜となるほどの名なり。これをば霜をにごりていふべし。


金槐集私鈔 斎藤茂吉 著春陽堂 1926年

ツユジモと濁りてよむべし、やがて霜にかはるべき露をいふ○大意。妻戀しさに鹿の鳴く山邊の萩は、露霜の寒きに堪へ難くてならん、盛り過き行くよと也。

類題万葉集評釈 上編
千勝義重 著大学館 1904年


類題万葉集評釈 上編千勝義重 著大学館 1904年

 万葉学者というのはまず万葉集を読んでから、注釈を一冊ずつ読んで生涯を終えるわけですね。ですから万葉用語には正解や結論というものがないわけです。

 つまり「露じもの」と詠めば、


〔接尾〕
体言に付いて、…のような、…に似たの意、転じて、…でない意を表すシク活用の形容詞を作る。万葉集19「人は我じく斎いわひて待たむ」。万葉集1「時じくそ雪は降るとふ」

広辞苑

 となるわけですが、「露霜や」と詠んでなお、凍っているかいないか濁るか濁らないかは自分でググって調べろと言わんばかりの割り切りがありますね。

 広辞苑の説明と、私が引用した解釈のずれは理解してもらえるでしょうか。「かひや」ほどではないにせよ、「露霜」もなかなかややこしい言葉なのです。

 そこがぼんやりとでも解っていて読むと、なんとも味わい深い句で虚子が褒めたのも尤もだと思いますね。絵面もいいし言葉のチョイスもいい。それでいて千数百年のことのはの道に連なりて雅、さらに「だまり鳥」の創意。これはいい句だと思います。「ふーん」星人には解らないかもしれませんが。


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