61.趣味の話 読書篇(16) 太宰治『斜陽 他一篇』
はじめに
前回までで、木曽路・下呂温泉(大学卒業1人旅)篇が終わりました。
キリが良いので、久しぶりに読書篇を更新しましょう。およそ2か月ぶりの更新だそうです。
前回はこちら。
出版社別、作家別五十音順で紹介しているので、どうしても同じ作家の作品が連続してしまいます。
ということで今回も稀代の文豪の作品の紹介です。
1.今回紹介する本は…
太宰治『斜陽 他一篇』(岩波書店、1988年)です。
例によって岩波書店で編纂されたのが1988年なだけであって、収録作品と括弧内で初出を示すと、
・斜陽(「新潮」第44巻第7号(1947年7月)~第10号(同年10月)に発表、同年12月に単行本として刊行)
・おさん(「改造」第28巻第10号(1947年10月)に発表、単行本『桜桃』(1948年7月、実業之日本社)に収録)
(解説 阿部昭)
前回は太宰の最盛期を象徴するような作品群でしたが、今回は晩年期ととれる2作品です。
敗戦直後の没落貴族の家庭にあって,恋と革命に生きようとする娘かず子,「最後の貴婦人」の気品をたもつ母,破滅にむかって突き進む弟直治.滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた『斜陽』は,昭和二十二年に発表されるや爆発的人気を呼び,“斜陽族”という言葉さえ生み出した.同時期の短篇『おさん』を併収. (解説 阿部 昭)
2.太宰治とは
太宰 治(だざい おさむ)
明治42(1909)―昭和23(1948)年。青森県北津軽郡金木村生まれ。旧制中学時代から習作を始め、昭和11(1936)年、第一創作集『晩年』を刊行。以後、『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』『ヴィヨンの妻』『斜陽』等作品多数。
こちらは前回と同じです。
3.阿部昭とは
(あべ あきら)1934年(昭和9年)9月22日 - 1989年(平成元年)5月19日、享年54。広島県出身。小説家。
海軍軍人の息子として広島市に生まれ、父の転勤に伴い、1935年春から神奈川県藤沢市鵠沼に育ち、終生、湘南の地で生活を営む。県立湘南高校では石原慎太郎、江藤淳の一学年下だった。東京大学文学部仏文科に進み学生演劇に熱中する。大学卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社し、ラジオやテレビのディレクターとして活躍。勤めのかたわら小説を書き続け、1962年に「子供部屋」で文學界新人賞を受賞。1970年、短篇「司令の休暇」で注目を集める。1971年、TBSを辞して専業作家となり、1973年、『千年』で第27回毎日出版文化賞受賞。1976年、『人生の一日』で芸術選奨新人賞受賞。芥川賞候補になること6回(芥川賞史上最多記録)。小説のモティーフは、敗戦後に権威失墜を味わった元軍人の老父や、知的障害を持つ兄や息子など自らの家族に関わることが多く、私小説の系統を引いていて、「内向の世代」の作家である。短篇小説の名手として知られ、『言葉ありき』などのエッセイ集も評価が高い。
4.『斜陽 他一篇』とは
斜陽
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ。」
と幽かすかな叫び声をお挙げになった。
『斜陽』と言えばやはり冒頭です。
戦前の日本社会の立役者であった貴族層(≒華族でしょうか)の凋落を太宰自身、戦後においてどこまで予想ができていたのでしょうか。
それを思いつつ、『斜陽』を読むと、太宰治の、いや太宰の生家、津島家への解像度が上がる気がします。
おさん
少し特異な観点かもしれませんが、個人的には『斜陽』の後日談やスピンオフのような読み方をしてしまいました。
おわりに
太宰治の作品は、これから読み、紹介してきます。
なぜかはわかりませんが、私は太宰治が「最後の文豪」だと思っています。
異論は多々あるでしょう。
戦前の気風を受け継ぎ、それとともに散っていったような気がしてならないのです。
もちろん川端康成や志賀直哉をはじめ、太宰の師でもある井伏鱒二など、戦後も活躍した文豪は多くいらっしゃいます。
今回は超短編でした。
それではまた次回。
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