『失恋専門のカフェ、あります』|第5章 最後のスイーツ(中編)
カウンターに並ぶ、ふたつの“名前の終わり”。
千早さんの前にも、私とまったく同じタルトが運ばれた。
「……きれいなスイーツですね」
千早さんは、目を細めてそれを見つめていた。
「まるで、記憶の最後のページを、そっと閉じるために作られたみたい」
「きっと、それが朔さんの意図なんだと思います」
そう言いながら、私はスプーンでまたひと口すくった。
苦みの奥に広がるやわらかな甘さが、胸の奥のなにかをそっとほどいていくようだった。
「……琴葉さん」
「はい?」
「もし、“彼”がいまどこかで生きていたら……あなたは、会いたいって思いますか?」
唐突な問いに、一瞬、言葉を失った。
「……たぶん、会いたいとは思いません」
私は静かに答えた。
「会えばきっと、あの頃の思い出が壊れてしまう気がするんです。私にとっての“彼”は、いつまでもあの時のままでいてほしい」
千早さんは、しばらく黙っていたが、やがてふっと微笑んだ。
「私も、同じことを思ってた」
「……そうですか」
「でも、今は少し違っていて……会いたくないわけじゃない。ただ、“もう彼がいてもいなくても、私は大丈夫”って思えるの」
その声は、芯のあるやさしさに満ちていた。
「……変わったんですね、千早さんの気持ちも」
「ええ。時間が癒してくれたのか、ここの空気のせいなのか、あるいは……」
彼女は視線を向けた。
「あなたがいてくれたから、かもしれませんね」
その言葉に、胸がふわりと熱くなった。
このカフェで出会ったのが、千早さんでよかったと、心から思えた。
「ふたりとも、ずいぶん顔つきが変わってきましたね」
朔さんが、やわらかな声で言った。
「はじめて来た頃のあなたたちは、まるで、傷口を隠すように肩をすぼめていた。でも今は、傷を見せても平気な顔をしている」
「強くなった……というより、ほどけたのかもしれませんね」
私が言うと、朔さんは静かに頷いた。
「忘れることはできません。でも、“思い出にすること”は、できる」
朔さんの言葉は、このカフェそのものの哲学のように響いた。
タルトを食べ終えたあと、千早さんが小さく笑って言った。
「ねえ、最後に、もう一度だけ書いてみてもいいかな」
「注文票に、ですか?」
「ううん……手紙。もう届かなくてもいいから、ちゃんと自分の言葉で、あの人に伝えてみたいの」
私は頷いた。
「きっと、いいと思います。ちゃんと、自分の気持ちを終わらせるためにも」
「じゃあ、今夜、書いてみようかな」
千早さんは、カバンから封筒を一枚取り出して、そこにそっと目を落とした。
白い紙の上に、まだ何も書かれていないその余白が、不思議と“希望”のように見えた。
──私も、書いてみようか。
そんな気持ちが、ふと胸に芽生える。
忘れるのではなく、整える。
封印するのではなく、折りたたむように──
私たちはいま、記憶と静かに折り合いをつけようとしていた。
(つづく)
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