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佐伯祐三 自画像としての風景:1 /東京ステーションギャラリー

 ——4年。
 佐伯祐三(1898~1928)が画家として本格的に活動した時期は、たった4年間にすぎない。

 「このアカデミック!」
 はじまりは、モーリス・ド・ヴラマンクから受けた罵倒であった。渡仏して、自作を見せたらこの反応。美術学校の学生さんが独り立ちし、画家としての歩みをはじめた瞬間であった。

 東京ステーションギャラリーの回顧展では、入ってすぐの部屋に、若描きの自画像が集中的に展示されていた。
 中村彝だとか、セザンヌだとかの影がちらつく……どころか、もろに「まるわかり」な肖像画に取り囲まれるようにして、部屋の中央に《立てる自画像》(1924年 大阪中之島美術館)が。ヴラマンクの洗礼のあとに描かれた自画像である。
 顔が、画家みずからの手によって塗りつぶされている。こうすればいいのか、いや、そうじゃない……苦悩と煩悶の跡がありありと残されているのだ。
 ここに芸術家の高邁な追求精神をみることもできるし、包み隠さずさらけ出された「弱さ」に、人として素直な共感を覚える向きもあろう。佐伯という画家が愛される所以は、そのどちらにもあると思う。

 佐伯はこの翌年、同じキャンバスの裏面に厚塗りの風景画《夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ) 》を描いている。おそらく画家としては、こちらの風景画のほうを観てほしいに違いないだろう。
 だが、いまはもっぱら《立てる自画像》の面が表側。数バージョンある本展のポスターデザインのひとつを《立てる自画像》が担っているし、展示室の扉が開いて最初に目に飛び込んでくるのも《立てる自画像》なのである。

 展示室では、キャンバスの両面が見える展示方法がとられていた。
 文字通り、表裏が一体の体裁であるが、この一枚のキャンバスには、短い期間に画家が乗り越えた大きな「壁」が、象徴的に表れているようにも思われる。

 肖像画の部屋、とりわけてこの《立てる自画像》を起点として、佐伯が駆け抜けた濃密な4年間の軌跡が紡ぎだされていった。(つづく



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