佐伯祐三 自画像としての風景:2 /東京ステーションギャラリー
(承前)
初期作の自画像を並べたプロローグに続いて、制作年代の早い順に作品が展示されていく……のかと思いきや、なんとこれがフェイントだった。
次の章が「大阪と東京」、続いて「パリ」「ヴィリエ=シュル=モラン」というように、制作された場所を区切りとした章立てとなっていたのだ。かなり大胆な構成だと思った。
履歴をかんたんに振り返ってみると、佐伯は明治31年(1898)に現在の大阪市内に生まれ、東京で絵を学び、大正13年(1924)1月から2年ほどパリに滞在している。ヴラマンクに罵倒されたのはこの第1次滞仏期である。
いったん帰国して大阪の実家や東京・下落合で過ごし、昭和2年(1927)8月に再度パリへ渡り(第2次滞仏期)、1年後の昭和3年(1928)8月に現地で客死している。死の直前には、パリ東部の片田舎ヴィリエ=シュル=モラン(モラン)での滞在が20日ほどあった。
大阪、下落合
・《汽船》 1926年頃
大阪中之島美術館
・《下落合風景》 1926年頃
個人蔵
パリ(2)
・《ガス灯と広告》 1927年
東京国立近代美術館
・《テラスの広告》 1927年
アーティゾン美術館
モラン
・《モランの寺》 1928年
大阪中之島美術館
・《煉瓦焼》 1928年
大阪中之島美術館
佐伯の風景は、自己を映す鏡ともいえる。本展の副題「自画像としての風景」も、そのようなことを意味している。
過去におこなわれた佐伯の回顧展では、「場所=時期」ごとの章立てとするものがほとんどだった。たしかに、ヴラマンクからの洗礼以前と以後、第1次滞欧期と第2次滞欧期、パリとモラン……それぞれに明確な線引きがあるから、古いほうから並べて場所ごとに区切っていけば、作風の変遷は一目瞭然となる。
本展がそういった過去の回顧展と大きく異なるのは、「場所」を重視しながらも「時期」すなわち「前後関係」にとらわれず、「日本」「フランス」で二分して考えている点だ。
東京ステーションギャラリーは東京駅丸の内北口駅舎の2フロア分を展示室としているが、上の1フロアには「大阪と東京」、つまり日本国内で描かれたものが過半を占め、最後の小部屋に第1次滞欧期の初期・ヴラマンクの罵倒以前と直後の作が出ていた。
佐伯といえばやはり、パリの街並みや店先を独特なマチエールと筆線で描いたパリ時代/ヴラマンクの罵倒以後の作品が代名詞となっている。佐伯の展覧会にやってくる人のほとんどは、そちらがお目当てであろう。
わたしは東京で描かれた《下落合風景》のシリーズにも魅力を感じるのだけれども、パリにはかなわない。やっぱりわたしも、パリの絵が観たくて仕方なくて、ここにやってきた。
だがそういった作品は、本展の前半分ではいっさい登場しなかったわけである。
「じらさないで、早くみせてよ!」と心の奥で叫ぶいっぽう、ステレオタイプな佐伯像を懸命に突き崩そうとする企画者の気概がうかがえて、いいなとも思った。
いずれにしても、企画者の掌中で見事に踊らされていたには違いない。(つづく)
