令和7年 新指定 国宝・重要文化財 /京都文化博物館
今年の3月21日、国宝4件・重要文化財42件の新指定が文科相へ答申された。新指定品をお披露目する、恒例の展示企画のレポートである。

なんと……今年から会場が変わった。東京国立博物館から、京都市京都文化博物館へ変更となったのだ。
文化庁の京都移転にともなう措置というから、来年以降も京都が会場になるのだろう。わたしも、昨年から奈良移転している。関東の方には申し訳ないけれど、こうして関西で観られるのはありがたい。
※文化庁の京都移転は2023年3月。
※京都国立博物館はこの時期、平成知新館の全室を特別展に割いており、空きがない。頼みの綱の旧館(重文)は耐震補強ができておらず、ずっと閉まっている。いずれ旧館がどうにかなれば、京博で開催されるようになるのでは。
まず、全体の感想としては……広い!
2階・総合展示室の半分以上が使われており、東博の会場より広い印象を受けた。
展示面積の具体的な比較をしたわけではないし、作品リストを見比べてみると、出品点数はさほど変わっていなかったけれど……「スペースに余裕をもって展示されている」「一括資料を一部のみ展示する場合、その『一部』が増えている」とはいえそうだった。
以下、個人的に気になった作品・資料をご紹介してみたい。
国宝の新指定4件からは、2件が出陳。リーフレットにもある法隆寺献納宝物の伎楽面(東京国立博物館)と《太安萬侶(おおのやすまろ)銅板墓誌》(奈良時代・養老7年 文化庁=奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・保管)だ。
正直、どちらもとっくに国宝になっていると思っていた。同じ感想の方は多いのでは。それくらい妥当な指定といえる。
古事記の編纂者・太安萬侶。教科書に出てくる著名な人物の墳墓が奈良市内で偶然発見され、生前の事績を記したこのような墓誌までも現存していたという事実には、ひたすらにロマンがかきたてられる。まだ見ぬ歴史遺産が、地中にはわんさか埋もれているのだ。
古墳時代のムラ、群馬・金井遺跡群の出土品(群馬県埋蔵文化財調査センター、群馬県立歴史博物館)からも、同種の感興がもよおされた。
榛名山の噴火により火災流に巻き込まれたムラからの出土品。つまり、その直前までの状態が、時間をストップしたように遺されていた。古墳版・ポンペイである。
なかでも、鉄の甲(よろい)のインパクトが強い。白骨とともに、着用したままの状態で見つかったのだ。こういった発掘例は初という。もちろん白骨の展示はなかったけれど、甲を前にして、ぞくぞくしてしまった。
同じ考古遺物であっても、歴史的な価値のみならず、美術的な側面もじゅうぶんに加味されて重文指定を受けたと思われるのが《深鉢形土器》(縄文時代 山梨県立考古博物館)。水煙文土器の名品である。
同じ遺跡からの出土品が一括指定されたわけでなく、上のサムネイルにある6点が選ばれて指定を受けた。
本展では、うち1点を行灯ケースで四方から拝見。高さ83センチと大きく、欠失のほぼない完品に近いコンディション。なにより、造形的にたいへんすぐれ、息をのむ美しさ。すばらしい。
縄文土器は、きわめてキャッチーな存在でもある。歴史資料や古文書に比べると、やはり多くの人が関心を寄せているようだった。
これに匹敵するキャッチーさをみせていたのが《伊能忠敬測量図》(ゼンリンミュージアム)。伊能忠敬による日本列島の地図「伊能図」の副本である。2020年に寄贈され、話題となった。
教科書でおなじみ、大きくて精巧なことが、人びとが足を止める主な理由であろうが、自分の居住地・出身地などを探したくなる、そしてじっさいに探せるのも魅力といえそうだ。
わたしも居住地の奈良を探してみたところ、盆地部は詳しく書かれていたものの、南に広がる紀伊山地は真っ白。
伊能は、沿海部と主要な街道筋によって、日本列島の全体像を表した。山間部までは、手が回らなかったのだな……
奈良がらみの新指定品は、国宝になった伎楽面と太安萬侶の墓誌を筆頭に、新重文として、大和西大寺駅前・西隆寺跡から出土した木簡、同じく奈良市内の圓照寺が所蔵するお地蔵さんと像内納入品、富本銭の製造に関する明日香村・飛鳥池遺跡出土の一括資料、天理大学所蔵のお伊勢参り関連史料が陳列されていた。圓照寺は非公開の門跡寺院で、康俊作の本像を拝見できる機会はかなり貴重だ。
京都がらみの新指定品も、負けず劣らず多い。《小袖裂打敷(うちしき)》(江戸~桃山時代 高台寺)は、豊臣秀吉の正室・北政所の所用とおぼしき小袖が、仏前に敷くマット・打敷として仕立てなおされて伝来したもの。昨年まで6年ほどをかけて12点が修復、晴れて重文となった。
このように修復であったり、あるいは展覧会であったりが契機となって意義が見直され、新たに指定対象となる例は多い。
京都・松尾大社の《木造神像》(鎌倉時代 松尾大社)は、18軀のうち3体を展示。破顔一笑の(ちょっとこわい)男神像(↓下図)、紀年銘のある最古の神像である女神像が印象深い。
これら松尾大社の神像群は、ちょうど昨年、同じ京文博で開催された「松尾大社 みやこの西の守護神」展でも紹介された。
また明兆《在山素璿(ざいざんそせん)像》(室町時代 東福寺)は、東博・京博の「東福寺」展に出ていた作品だ。
京都・奈良にゆかりの新指定は、毎回どうしても一定数はあるもの。そのいっぽうで、他地方の新指定だってもちろんあり、近年は九州・沖縄関連、とりわけ琉球王朝に関する資料が毎年増えつづけている。今回もそのような新指定があり、本展にも並んでいたが、熊本地震で被災した阿蘇からの指定品にとくに注目したい。
《白地鉄絵鳥文壺》(磁州窯 中国・元時代 熊本県立美術館)は阿蘇神社の大宮司家の館跡とされる鎌倉時代の遺跡から、貨幣を入れた状態で見つかった。
地鎮具とみられ、磁州窯の比較的大型で完形な作例がこの時代の熊本に到来していた事実、古い漆継ぎの跡がみられる点などなど、ざっとみてもトピックが多く、たしかに興味をひかれる。
他に、阿蘇釈迦堂(あさぎり町)に伝わった釈迦如来坐像、二天王立像(平安時代)も重文指定を受け、本展にも出陳されていた。
出土品から伝世品まで。あるいは、ずっと知られていたものの再評価から、まったくの新発見まで。本展にはさまざまな過程をたどって伝存し、こんにち、高い評価を受けている作品・資料が集っている。
《東寺稲荷御出講枡》(室町時代 教王護国寺)は、永正16年(1519)の銘がある室町時代の枡。
枡は計量に用いられた実用品であるために、残りづらい。実物の枡があることによって、その時代・その地域の尺度がどうであったか、把握することができる。
四方に「東寺稲荷」「御出講枡」「永正十六年」「九月吉日」と刻まれており、角のとれたとろっとろ具合とともに、骨董趣味的な意味でも目を奪われてしまった。
仁和寺に伝わる《仁和寺笈(おい)文書》(江戸時代~平安時代)。非常時にすぐ持ち出せるよう、木製リュックともいえる透漆の「笈」に収納・保管されてきた。会場では笈の実物も展示。文化財が、人びとの創意工夫のもと守り継がれてきた長い歴史を感じさせたのであった。
——作品リストにある「※」の注記は、パネルのみでの紹介、実物の展示なしのため要注意。わたしなどは毎年、この注記を見落として一喜一憂している気がする。また、1件分ながら点数の多い一括資料に関しては、一部のみの展示となっている。
ただし、その点を抜きにしても、本展は多ジャンルにわたる重要な作品・資料を一気に閲覧できる好機であり、ぜひともご覧いただきたい展示といえよう。ゴールデンウィーク翌週、5月11日まで。

※昨年度のレポート。
