鏡裏の花、水中の月。(500字)
去年、鎌倉の或るところに車を停めると駐車場のオーナーであろうか。女性がわざわざでてきて「貴方たちは妙本寺に行ったほうがよい」と唐突に云われたことがあった。初対面の会話がこれであったから、妙本寺は妙に記憶に残っていたのだが、今ふりかえると、ひとの仕業ではなかったのかもしれない。
そのあくる週、治療家の浅井俊介にこの話をすると、彼もまた鎌倉で通行人に妙本寺を薦められたことがあって、息子を連れて拝觀したことがあるという。このような経緯もあり、昨夕はふとした隙間でその古刹に参ってきた。
本堂に着くと、花嫁の撮影をしている最中であった。周囲は海外の方ばかりであったが、そのうちのひとりが水面にレンズを向けていたので、私もそこを覗くと、花びらが浮く水鏡に海棠が咲いていた。
鏡花水月
中國の古典『伝灯録』には、空の比喩として、鏡裏の花と水中の月がでてくる。妙本寺の海棠はその半々といったところであろうか。
一歳児の息子が、鏡裏の海棠に手を伸ばすと、花は揺れ崩れた。鏡の花も水の月も、掴めぬという一点においてたしかに空であろう。氣がつけば、我が子の手だけが濡れていた。空よりも、水たまりのほうが妙な奴である。
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