鳥居の祖型の探究
Q)皇太神宮儀式帳の於不葦御門(うへふかずのみかど)とウガヤフキアエズ(神武天皇の父)は関係があるのでしょうか?
A)面白い着眼点だと思います。伊勢神宮の神明鳥居が、弥生時代の鳥信仰との関りで、鳥居の祖型と考えるのが順当のようにも思え(木製なので考古学的には残らない)、於上不葺御門は、中国の上を葺いた伝統的な門である牌坊を意識したネーミングのようにも思えます。一方のウガヤフキアエズが問題ですが、鵜葺草(ウガヤ)が諸説あって不明ですが、出発点を意味し、確かに鳥居なのかもしれません。日本では茅葺として造ろうとしたと考える訳です。鵜は吉野の鵜飼いでも分かるように古い日本の文化だったと思われ、鵜葺草なる茅で葺くのが古式の日本の建築文化だった可能性はあると思います。それで葺かない鳥居が神武天皇の父を象徴する名前だったと考えてみる訳です。なお、ウガヤフキアエズのモデルは景行天皇、神武天皇のモデルは白鳥になった日本武尊だと私は考えています。色々整合し過ぎて怖いくらいですね。

追記1)牌坊は中国の伝統的建築様式の門の一つで、海外では中華文化のシンボルの一つとされているようです。これの(上を葺かない)(鳥信仰をミックスさせた)日本版、或いは東南アジア版が鳥居だと考えることが出来ます。少なくとも皇太神宮儀式帳の於不葦御門は葺いている御門を意識したネーミングのはずです。それは遣唐使達が現地で見たであろう牌坊しかないと思います。これと鳥居が古墳時代前期から伊勢にあったことは矛盾しません。
追記2)なお、鳥居の成立は時代が下るとされますが、確かな根拠があるとは考えていません。石造の鳥居は山形県で確認できるのが最初ですけどね。普通に伊勢神宮の(考古学的に残らない)木造の神明鳥居が祖型ではないか?それも記紀にあるままに、大和の弥生時代の鳥信仰の影響が残存している古墳時代前期の成立ではないか?
Q)鳥居の祖型は東南アジアの精霊の門ではないか?
A)繋がりがあったら、ロマンがありますね。鳥居とは鶏(長鳴鶏)の止まり木から発展したようにも思えますが(伊勢神宮の神使は鶏)、鶏自体東南アジアが原産地と言われます。稲作と共に鶏が海を渡ってきたと考えることも出来ますが、南西諸島経由ルートも考えられており、日向(宮崎県)と関係していたらアツイです。

Uploaded on February 5, 2008 by Maliayosh to Flickr.com, reloaded to commons by Namazu-tron on 20 July 2009.
古墳時代の日向を経由した南西諸島ルートに関しては、また後程考察してみます。
参考記事:天照大神(モモソ姫)の下、大和朝廷/倭国は形成され、素戔嗚尊(孝元天皇)の子孫が統治するという記紀神話
>景行天皇は鸕鶿草葺不合尊のモデルと考えていますが、皇大神宮儀式帳から、これは鳥居=於上不葦御門(うへふかずのみかど)を表すとも考えられます。景行天皇の母が丹波だからでしょう。
タイトル写真はウィキペディア「鳥居」皇大神宮(伊勢神宮)宇治橋の大鳥居(三重県伊勢市)N yotarou
2025年10月6日追記)鳥居の祖型は高句麗(満州)の冠木門のような気がしてきました。高句麗系氏族に鳥井宿禰がいるからです。この高句麗系氏族は日置氏と同祖で太陽信仰と関係あります。鳥霊信仰は朝鮮半島にも蘇塗(鳥杆・神竿・鳥竿)の形で見られるようです。勿論、(高句麗の朝貢が見られる)古墳時代中期(仁徳朝)の成立だと推測します。伊勢斎王は見えない時代ですが、仁徳朝は(伊勢の神官たる)中臣氏との関係が深い時期です。中臣氏は壱岐(や対馬)にもいて、海外との交渉に関与したようです。
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