第15代天皇神功皇后
神功皇后は明治時代までは第15代天皇として歴代天皇に数えられていました。これは日本書紀に神功皇后の巻が立てられていることの反映だと思われます。勿論、神功皇后は摂政であって、天皇として即位したとは書かれていません。ただ応神天皇の即位が神功皇后崩御後になっていて、天皇ではない神功皇后が歴代に数えられているのです。
そんなことが有り得るのか?
有り得るのです。中大兄皇子や鸕野讚良皇后が先帝の崩御後に即位せずに政を執っています。古代日本において天皇は空位でも良かったのです。古事記では仲哀天皇の後は応神天皇(継体天皇紀にも見える胎中天皇)という解釈なのですが、日本書紀では持統天皇に倣って、神功皇后は称制で歴代に数えるという解釈なのです。これでは分かり難いので、風土記や平安時代以降の史書では神功皇后を天皇に数える解釈も一般に行われていました。
明治政府はこれに対して古事記に影響されたか神功皇后は天皇ではないからという理由で歴代から外す解釈変更を行い、今現在の解釈に繋がっています。
ただ戦後に稲荷山古墳出土鉄剣銘で雄略天皇が大王だったことが明らかになり、天皇の称号が少なくとも雄略天皇以前には無かったことが明らかになっています。日本書紀も古事記も解釈しており、実際の歴史をそのまま残したとは言えないのです。
それでは応神天皇は何時から大王だったのでしょうか。
正確なところは今残っている史料からは分からないと言わざるを得ませんが、朝廷が磐余にあったなら、日本書紀の解釈が正しく、朝廷が磐余にあった時期がないのであれば(最初から軽であれば)、古事記の解釈が正しいということになるでしょう。これは考古学で案外分かることなのかもしれません。
見出し画像はウィキペディア「神功皇后」冕冠をかぶる神功皇后一猛斎芳虎 aka 歌川芳虎 (Utagawa Yoshitora) - The Japanese, book, "武者かゞみ 一名人相合 南伝二," 山庄, 1859,
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