古事記のモデルとなった書経における中国最初の帝王の堯と神武天皇/日本武尊
前書き)見出し画像はウィキペディア「書経」(京都大学附属図書館蔵『尚書正義』(唐の『五経正義』の一つ)の「堯典」の冒頭「曰若稽古帝堯」が見える)。遣隋使・遣唐使の前提に文字の普及があって、その証拠が「呉音(扶余音?)」なのですが(遣隋使・遣唐使で初めて文字を勉強したなら、呉音等存在しない)、テキストは凡そ五経だと思われ、歴史においては書経の影響が強いと見た方がいいです。書経は尚書とも言い、上古の時代の記録を意味するようです(角川ソフィア文庫「書経」8p)。(推古朝の天皇記を天武朝に編纂したと思われる)古事記においては、(恐らく仁賢朝・武烈朝は継体朝に並立で)継体朝以降が現代史だったのかもしれません。
なお日本武尊が神武天皇のモデルであることに関しては、後日記事を上げますが、気になる方はnote記事「天照大神(モモソ姫)の下、大和朝廷/倭国は形成され、素戔嗚尊(孝元天皇)の子孫が統治するという記紀神話」を参照していただければ、ニニギ/崇神天皇までは詳しく歴史と神話の対応を解説しています(神である綏靖天皇(神渟名川耳天皇)までは神話)。
また、日本書紀については魯国の年代記である(五経の一つの)春秋を参考にしたと思います。断代史ではなく、孔子が仕えた哀公十四年までの歴史を扱い、天王の称号が見えるからです(推古朝の天皇記のモデルか)。
8月6日8日ポスト改訂版)中国最初の帝王の堯は神武天皇像に影響を与えていますね。(火明命を祖とする)尾張氏(丹波国造)と関係の深い垂仁天皇をモデルとする山幸彦が日向の火山を象徴する彦火火出見尊だと思いますが、神武天皇も同じ名なのは、神武天皇が日本最初の帝王だからで、堯は火偏で焼になり、高いの意で神武天皇が祭祀した高皇産霊尊を想起します。神武天皇のモデルは(熱田尾張氏と関係の深い)日本武尊でしょうが、焼津で王権のレガリアの草薙剣を振るい、日高見国の蝦夷を倒しています。丹波の倭彦王と言い、尾張氏の妻がいた継体天皇と言い、どうも皇統が断絶しようとする時、彦火火出見尊に回帰したように見えます。
日向には出現期に始まる生目古墳群がありますが、霧島の火山が火火出見だろうと思います。これは中国の最初の帝王の(火偏で焼になる)堯(高いの意で皇祖神の高皇産霊尊のモデルか)が意識された可能性もありますが、日本武尊や神武天皇は武人かつ弟であって兄殺し兄失いであり、日本武尊は父との関係に問題があり、神武天皇は故郷を離れます。堯に象徴される孝とは反対なんですね。また、焼津で王権のレガリアの草薙剣を振るった件ですが、(向火で対抗はしましたが)火は寧ろ敵にあたります。垂仁天皇皇子も敵が放った火中出産で生まれています。火の祭祀の出雲国造も国を譲っています。これは東夷(鮮卑族)が中国を蹂躙・支配した時代の産物でしょう。
倭国は(漢帝の後裔を称する)劉宋重視の一面もありますが、それは主に渡来系主導の外交で、気分としては武を重視していたのだろうと思います。
また堯は和氏の一族の和仲というものに西方(味谷)にいるようにさせています。これは列島の西の日向において甘美内宿禰(諱ではなく称号の可能性が高い)の後裔の内臣に隼人を統括させたこと、奈良盆地の西の葛城の神がアジスキタカヒコネという名前であることに対応すると思います。
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