「学歴が高くても挨拶できないなら意味ない」という謎理論
先日、SNSでこんな趣旨の投稿を見かけました。
「東大出てても挨拶もまともにできない奴がいる。逆に、元ヤンの方がよっぽど礼儀正しかったりする。結局、学歴なんて社会では意味ないんだよな」
この手の主張は定期的に流れてきますが、この理論そのものの偏差値が、かなり低いのではないかと見るたびに思うわけです。
まず、論理の構造を整理します。
「高学歴でも挨拶ができない人がいる」。
これは事実でしょう。東大卒だろうが京大卒だろうが、コミュニケーションが苦手な人はいます。
「元ヤンキーでもしっかり挨拶できる人がいる」。
これも事実でしょう。学歴に関係なく、礼儀正しい人はいます。
しかし、この二つの事実から「だから学歴は意味がない」という結論を導くのは、論理の飛躍としてかなり致命的です。
「魚が嫌いな漁師がいる。逆に、山育ちでも魚が大好きな人がいる。だから漁師に海の知識は必要ない」。
こう言われたら、おかしいと思うでしょう。書いている自分も何が言いたいかわからない文章です。。個別の例外を持ち出して全体の傾向を否定するのは、詭弁の基本パターンです。
そして、この主張の裏にあるもっと根深い問題があると思います
「高学歴の人は、学歴を得るために何か別のものを犠牲にしている」という思い込みです。
勉強ばかりしていたから、コミュニケーション能力が低い。
受験勉強に集中していたから、社会常識がない。
学問に没頭していたから、人としての基本ができていない。
こうした図式を信じている人はどうやらSNSを見ていると少なくないようです。
勉強と社会性がトレードオフの関係にあると思っていてどちらかを得れば、どちらかを失うと思っているようなんですね。
ゲームのステータス振り分けのように、能力値の総量が全員同じだと信じているのです。
しかし、現実はそうではありません。
というか多くの場合、何かができる人は、他のことも何でもできることが多いと思います。
勉強ができて、コミュニケーションも上手くて、スポーツもそこそこできて、人当たりも良くて、見た目にも気を遣っている。そういう人は実際に存在しますし、むしろ高学歴層にはそういう人が多い印象です。
論文とか漁ったわけでも、私が研究したわけでもないですが、体感として学力と社会性は対立する能力ではありません。
むしろ、どちらも「環境」と「習慣」と「基礎的な認知能力」の上に成り立っています。
物事を理解する力が高い人は、勉強もできるし、他人の気持ちも察することができるし、場の空気も読める。
自己管理ができる人は、受験勉強も計画的にこなせるし、社会人としてのマナーも身につけられる。
もちろん例外もあるりますが、傾向の話をしています。
「勉強ができるけど他は何もできない」という人は、いないとは言いませんが、少数派です。
人間の能力はトレードオフではなく、相互に関連しています。一つの能力が高い人は、他の能力も平均以上であることが多いと思っています
では、なぜ「高学歴は挨拶ができない」という神話が根強いのかというと理由は単純です。そう思いたい人がいるからです。
高学歴の人が仕事もできてコミュニケーションも上手くて人望もある。
これを認めてしまうと、学歴がない自分の立つ瀬がなくなります。だから、「でも挨拶ができない」「でも常識がない」「でも人間としてダメ」と、何かしらの欠点を見出さなければ精神の均衡が保てない。
これは、ニーチェが言うところのルサンチマンそのものです。
自分が持っていないものを持っている相手に対して、「あれは実は価値がないものだ」と価値の転倒を行うことで、自分の劣位を正当化するというものですね。
「学歴なんて社会では意味ない」は、「学歴がない自分でも社会では通用する」と言い換えれば、その動機が透けて見えます。
この手の話は年収でもよく出ますよね。「年収が高い人はきっと汚いことをしている。私は年収が低いけど人のためになることをしている」などなど。
もう一つ、この手の主張で気になることもあります。
「社会で大事なのは人間力だ」「人柄が一番大事だ」「結局はコミュ力だ」というこれらの言葉自体は間違っているとは思いません。社会でやっていく上で、人間性やコミュニケーション能力が重要であることは事実です。
割と切実に最近こう思っています。
しかし、これらの言葉が使われる文脈を見ると、ほぼ100%、「学歴を否定するための前振り」として使われます。「人間力が大事だ」と言った後に続くのは、「だから学歴は意味がない」です。
すっごく当たり前の話なんですが、人間力が大事であることと、学歴に意味がないことはまったく別の話です。
両方大事でしょう。
人間力も大事だし、学歴(が示す知的能力や学習習慣)もあったほうがいいですよね?
「人間力がある中卒」と「人間力のない東大卒」と「人間力がある東大卒」だったら「人間力がある東大卒」がいいですよね。
(こういったことを書くと「東大なんて大したことが無い」と言い出す人がいますが、これを言っていいのは東大を卒業したか、それよりももっと評価の高い大学を卒業した人だけでしょう。)
どちらか一方を否定する必要はないのに、わざわざ否定するのは、やはりルサンチマンの発露としか思えません。
そもそも、「元ヤンキーの方が礼儀正しい」という主張自体にも疑問があります。
確かに、更生した元ヤンキーが上下関係の厳しい環境で鍛えられた結果、礼儀正しくなるケースはあるでしょう。
しかし、それを一般化して「元ヤンキーは礼儀正しい」と言うのは、「高学歴は挨拶ができない」と同じ構造の偏見です。
元ヤンキーにも礼儀がない人はたくさんいるし、高学歴でも礼儀正しい人はたくさんいる。個別の事例を持ち出して「こっちの方が優れている」と論じること自体があんまり賢くないよなぁと思うわけです。
学歴がすべてだとは思いません。学歴がなくても優秀な人はいますし、学歴があっても使えない人はいます。それは当たり前の話です。
ただ、「学歴なんて意味がない」と声高に言う人に限って、学歴を異常に気にしてたりします。
本当に意味がないと思っているなら、話題にすらしないはずです。
わざわざ「意味がない」と主張すること自体が、それに意味を感じていることの証拠です。
ルサンチマンもほどほどにした方がいいと思います。高学歴の人が挨拶できないことを指摘している暇があるなら、自分の挨拶の質でも上げた方がよほど生産的ではないでしょうか。
