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50. 加藤典洋 小さな天体 全サバティカル日記 新潮社

大江健三郎『取り替え子』を昨年の九月に読み終わり、そのあと様々な紆余曲折があり、ようやく今年の二月から『憂い顔の童子』を読み始め先日読み終えた。『取り替え子』は長江古義人を主人公としたほぼ一人称の小説だったため感じなかったが、『憂い顔の童子』は入れ子の構造を始終感じ、しかもそれが複雑な多重構造のため、クラクラとする思いで読んだ。
その気持ちはいつか読んだ佐藤雅彦さんの『毎月新聞』での「日常のクラクラ構造」という文章で認識した気持ちで、例えばビニール袋に入っているゴミ袋の最後の一枚を使うとき、ゴミ袋を広げて入っていたビニール袋をゴミとして入れる行為に、クラクラすることを説明している。それを読んでからはその行為をするたびに同じ思いを持つことになったが、『憂い顔の童子』の入れ子の構造でも同じように感じた。

『取り替え子』は、伊丹十三であるはずの塙吾良含め、大江健三郎としての本当の話だと受け取りながら読んだ。ただ、小説の主題であるアレについては、そもそもの父親の存在や、錬成道場を取り巻く一連の話など本当であるはずもなく、「父よ、あなたはどこへ行くのか?」と「みずから我が涙をぬぐいたまう日」でつくり上げた父親像とエピソードを元に組み立てたものだとわかる。
ただそれは少なくとも長江古義人にとっては本当のことで、古義人としての現実世界に生きながら、古義人自身を主人公とした『取り替え童子』を書き、それに続く小説を書こうとしている物語が『憂い顔の童子』という作品になる。

また『憂い顔の童子』では、あるきっかけで同じく今年の二月からあらためて読んでいる加藤典洋さんへと繋がった。
毎年楽しみにしているみすず書房の読書アンケートを、池袋のジュンク堂に買いに行ったところ、ちょうどフェアが催されており、中身を読むより早く、取り上げられた本の一部を知ることになった。そこに並んでいたのが編集グループSUREから刊行された『加藤典洋とは何者だったか?』で、いい機会だと思い手に取った。それで『読書アンケート2025』を読んだところ、その本を取り上げたのが松家仁之さんだと知り、その偶然にうれしくなった。
というのも、松家さんとの繋がりで『小さな天体 全サバティカル日記』を手に取り、折に触れて読み返す一冊となったため、加藤さんと松家さんは自分のなかでひとつのまとまりとなっているからだった。
『小さな天体』の他に持っていた数冊のうちの一冊が『敗戦後論』で、問題提起はわかるものの理解するまではできていなかったが、今回『加藤典洋とは何者だったか?』を読んだことで、やはり『敗戦後論』からの一連の著作をあらためて読んでみようと思い、順番に買ったり読んだりしていたなかで、『憂い顔の童子』の第二十一章を読んだ。

加藤さんの『取り替え子』への批評が『憂い顔の童子』の中で、キッチンで燃やされるというエピソードは知ってはいたが、読み進むにつれてそのエピソードが出てこないことをすっかり忘れていた。それが終章間近に突然出てきて、ただの批評の間違いへの指摘などではなく、入れ子の構造を複雑なものにし、小説を進める重要な部分になっていたため、深く驚いた。
そこでは「太平洋戦争の「戦後」の評価ということではこの人」という一文まで添えて、作中で唯一実名で紹介される「加藤典洋という文芸批評家」が発表した『取り替え童子』に対する批評に触れ、作中事実の矛盾の指摘や、アレの読み解き、特に密告という部分に反応し、「小説のなかの古義人と吾良に、あなたの望んだものとは別の物語を生きさせている」と話し相手の真木彦さんに言わせ、章タイトルであるドン・キホーテの「アベリャネーダの偽作」と繋げている。

セルバンテスがやったように、偽作に対抗する新しい物語を書く気になるかも知れません。
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そうすれば、その新しい物語の作者の嘘を天下にさらし、彼の描くドン・キホーテが拙者ではないことを、世の人びとに知らしめることなる

ただ一方で「偽作者の想像には、かえって正確なところがあるのかも知れない」と古義人が思うところで章を締めているが、「『取り替え童子』で始めた物語を、しっかりと書き終えなければならない」とあるように、加藤さんの批評が『憂い顔の童子』を書かせたのではないかとさえ思えてしまった。
これに複雑さと驚きを感じるのは、現実の加藤さんの『取り替え子』への批評を現実の大江健三郎が受け取り、『憂い顔の童子』において、「加藤典洋」の『取り替え童子』への指摘や読み解きを、古義人が自分自身への批評と受け取り、気付きや決意を得るというように書いていることで、つまり加藤さんは現実の批評を通して、長江古義人の小説世界を進めたことになる。

そうやって、松家さんと加藤さんがあらためて繋がり、同時期に読み進めていた大江健三郎と加藤さんも繋がったのだが、その前に、松家さんと大江健三郎にも繋がりがあった。
松家さんは知る限りでは大江健三郎について言及したことはなかったはずで、ただ、松家さんの作品が新潮文庫になった際、三作品が連続で出たため、背の色が一作目から決まっていたが、それが大江健三郎と同じダークブラウンだった。そう思ったのも束の間、丸谷才一さんと同じなのかと思い直したが、神奈川近代文学館で行われた「文学・どこへゆくのか」という、尾崎真理子・湯川豊のお二人との講演で、松家さんが大江健三郎に大きな影響を受けたことを話されていて驚いた。またその後、読売新聞夕刊での連載小説「函」でも『新しい人よ、眼ざめよ』に触れていて、こうして三者はきれいに円を描いた。
また同じように、大江健三郎、加藤典洋、中野重治という円も深めたいと思っているが、あらたに読みたい本が多く、『憂い顔の童子』に何度も出てくるre-reading、読みなおすことはいつになったらできるのだろうかと思っている。

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