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【ひと区切りの、その先で】友人の相続対応を見て感じた、老後と相続の現実

【ひと区切りの、その先で】友人の相続対応を見て感じた、老後と相続の現実

 

昨日は久しぶりに、Sさんと呑んだ。

Sさんは、定年の少し前に子会社へ出向し、現在は取締役を務めている。我々の仲間の中では、いわば「成功した側」の人間だ。とはいえ、本人はあまりそのことを誇るようなタイプでもなく、昔から淡々としている。

夕方、私の席に寄ってくれて。
久しぶりだな、なんて言葉を交わす前に、Sさんはカバンから一冊のファイルを取り出した。

「悪いけどさ、これ、ちょっと見ておいてくれない?」

中身は、先月起きた小さな事故の報告書だった。
けが人は出ていない。設備にも大きな損傷はない。正直、昔なら口頭注意で終わっていたような案件だ。

けれど、今の労務部長の方針は違う。
どんなに小さなトラブルでも、きちんと記録し、原因と再発防止策を整理し、正式に報告を上げる。
「何も起きなかった」ではなく、「なぜ大事に至らなかったのか」まで残せ、という考え方だ。

私は報告書をざっと読み、

「最近の同種事例と照らして、2、3日で確認してみるよ」

と答えた。

それで用事は終わったはずなのに、Sさんが言った。

「せっかくだから、久しぶりにどうだ?」

私は一瞬ためらった。
Sさんは糖尿病で、酒は控えていると聞いていたからだ。

「大丈夫なんですか?」

と聞くと、

「医者から止められてるわけじゃないし、ちょっとくらいなら平気だよ」

と笑った。

それなら、と、二人で店に入った。

Sさんと呑むのは本当に久しぶりだった。
定年後になってからは、初めてかもしれない。

席に着き、ビールで乾杯すると、いきなり仕事の話になった。

「安全課にいるBって、どう思う?」

Bは、うちの部署の課長代理だ。
派手さはないが、黙々と仕事をするタイプ。制度を作るのは得意ではないが、決められたルールをきちんと運用する力はある。

「制度を回す役としては、向いていると思いますよ」

そう答えると、Sさんは少し安心したような顔をした。

どうやら、子会社の安全担当であるAさんの体調が思わしくなく、そのサポート役として本社から誰かを出してほしいという話があり、Bが候補に挙がっているらしい。

「だいたいわかったよ」

Sさんはそう言って、グラスを口に運んだ。

しばらく他愛もない話をしたあと、Sさんがぽつりと言った。

「実はさ、先月、うちの女房の親父が亡くなってな」

その後始末が、想像以上に大変だという。

何も記録を残していなかったため、通帳も、保険も、契約も、どこに何があるのか分からない。
本来は長女である奥さんが中心になって進めるはずだが、思うように進まず、見かねたSさんが手伝っているという。

「やってみると、結構きついよ」

Sさんは、少し疲れた表情でそう言った。

「自分のときは、もうちょっときちんとしておかないと、って思ったよ」

その言葉が、妙に胸に残った。

相続の話は、頭では分かっていても、どこか他人事のように感じてしまう。
だが、いざ現実になると、残された側の負担は想像以上に大きい。

Sさんの話を聞きながら、私は自分の父のときのことを思い出していた。
そして、母のこと、自分のこと、家内のことが、次々に頭に浮かんだ。

その日は、それ以上重たい話はせず、ほどほどのところで別れた。

そして今朝。
通勤電車に揺られながら、ふと昨日の会話を思い返していた。

やはり、自分もそろそろ手を付けなければならないのだろう。
相続のこと。
老後のこと。
そして、自分がいなくなった後のこと。

とはいえ、何から始めればいいのかは、やはり分からない。

通帳をまとめるのか。
保険証券を整理するのか。
それとも、まずは紙に書き出すところからなのか。

考えれば考えるほど、正解が見えなくなる。

ただ一つ言えるのは、
「何も手を付けないままにしておくこと」だけは、たぶん一番よくないのだろう、ということだ。

Sさんの疲れた表情と、
「自分のときは、もうちょっときちんとしておかないと」
という言葉が、今も頭から離れない。

私は今日も、いつものように会社へ向かっている。
安全課の席に座り、事故や不安全事例を整理する一方で、
自分自身の将来の整理は、まだほとんどできていない。

それでも、少なくとも、
「考え始めた」
というところまでは、来ているのかもしれない。

泥沼の底で足踏みしているような感覚は、相変わらず消えない。
けれど、昨日よりほんの少しだけ、進む方向を意識し始めた。

そんな朝だった。
 このブログは連載です。
 第一回は下記をご覧ください。
  【ひと区切りの、その先で】60代の働き方と相続の悩み|63歳男性が感じる将来への不安|小出卓也

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