「幻日」 第11話
1話目からはこちら(下部に全ページリンクあります。全12話)
https://note.com/koito_0_0_/n/nc8dfad759537
男はナイフを朱音に突きつけていた。声を上げるな、とナイフを掲げて見せる。見知らぬ中年の男だった。見るからに清潔感がなく、朱音は生理的に嫌悪感を覚えた。
「場所移動する、黙ってついてこい。叫ぶなよ。叫んだら刺すぞ」
背中にナイフを突きつけられながら、暗い路地を進む。少しでも逃げようとしたら刺されるだろう。黙って言うとおりに進むしかなかった。
その先にある、小さなアパートの一室に入れと促される。カギは掛かっていなかった。扉を開けて、中に入る。男は自分が入った後に鍵をかけ、朱音を奥に突き飛ばす。
「やっと会えたな」
男はにやりと笑った。
「誰……? 手紙はあなたの仕業?」
「最初の一通は違うけどな」
「なぜ……」
「明らかに周りを気にしながらあの郵便受けに入れるところを見て、引き抜いてみたら面白そうな内容だったんで真似ただけだ。俺はお前を怖がらせられればそれでよかった」
最初の一通は諒がやって、それを見てこの男が模倣したのか。あの手紙は、一度開かれていたのだ。そういえば、あのときだけ封筒がそのまま開いた。一通目以外には、新聞がなかった。次々と辻褄が合っていく。別人の仕業だったのだ。
「俺を知らないか」
「知らない」
「そうだよな。俺は、おまえの父親のせいで捕まったんだ。ようやく出てこられた。最初はあの女をもう一回腹いせに襲おうと思ったら、あの女は誰かを見ていた、それがお前だった」
「……? 何の話? あの女って誰」
「おまえの父親を殺してやりたかったが、既に死んでいた。女が追ってたのが、あの男の娘だとわかった。おまえの方を殺すことにした」
ぞっとした。目が焦点を定まっていない。喋ってることもなんのことかわからないし、たぶんこちらの言葉などほとんど聞いていない。狂気、という言葉が頭をよぎった。この男は、本気で朱音を殺すだろう。そう感じた。
「おまえの父親を殺してやりたかった。代わりにお前が死ね。そのままでは殺さないけどな」
そう言って朱音を押し倒す。朱音はぞっとした。全身に鳥肌が立つ。嫌だ。
「やめて!」
「早く会いたくて仕方がなかったが、じっくり怖がらせたかった。お前は俺の人生を狂わせた男の娘だ」
必死に抵抗を試みるが、ナイフを持ったままの男相手に出来る抵抗は限られていた。身体を触ってくる手から必死に逃れる。
「いやだ! やめて!」
ぞっとして思わず足を振り回す、その足がたまたま脇腹にヒットした。うっと言って男は脇腹を抑える。しかしその顔は怒りに燃えていた。
「おまえ……ほんとに殺すぞ?」
壁側に必死に逃げながら、どうしたらいいかを考える。男はナイフを持っている。力でも適わない。ここは一階だから窓から逃げることはできるが、背を向けた瞬間刺される恐れがある。意識を少しでも逸らしたい。意識が逸れた瞬間ナイフを奪おう。でも、意識を逸らすにはどうしたらいいーー
そう思ったときに、窓ガラスがどんと叩かれたように大きな音がした。思わず朱音は窓を見る。男も「なんだ?」と言ってそっちを振り返る。様子を見てくれたらいい。窓を開けて、完全に朱音に背を向けてくれたら……そう思ったが、男はそこまでばかじゃなかった。もう一度大きな音がしたが、男は完全に無視して朱音にナイフを向けている。
「お、お父さんを、知ってるの……」
「知ってるよ、ヒーロー気取りの嫌味な男だった」
「私は、お父さんをあまり覚えてないの」
「それがどうした! お前の血は間違いなくあの男の血を継いでるんだろう。親の不始末は娘が取る。当たり前だろう!」
話は通じなさそうだった。その間、また窓が大きく音がしていたが、もう男は全く気にする素振りもなくなってしまった。
「窓の外に誰かいるよ」
「うるさい、その手に乗るか」
じりじりとナイフを持って近づいてくる。朱音は立ち上がって壁を伝っている状況だった。また押し倒されたらもうどうにもならない。それだけは避けなければ。どうしたらいい。どうしたらいいのだろう。誰か助けて……そう思った瞬間、諒の顔が頭に浮かんだ。
ガシャン! と大きな音がして、見ると窓ガラスが割れていた。驚いた朱音も男もそちらを見る。消火器のようなもので窓を突き破ったようだった、大きくガラスが割れ、そこから女性の顔が見える。あの人は……
「待ちなさい! お前の相手は私がする! その子から離れなさい!」
女性が男に叫んでいた。男が明らかに狼狽している。
「お前……なんで……」
「あんたが恨むのは私でしょう、その子は何も関係ない。事件当時、五歳だったのよ、逆恨みにもほどがあるでしょう! 頭悪いの!?」
女性が叫びながら窓から部屋に入ろうとしている。割れたところに手をついていて、見るからに痛い。朱音は少し冷静になり、狼狽してる男を確認していた。今ならナイフを奪える。
「うるさい! お前とあの男のせいだ、あの男の娘をやったら、次はお前だ、待ってろ!」
「この状況で次があるとでも思ってるの!? どこまでばかなのよ!」
「うるさい! うるさい! うるさい! ばかにするな!」
男が錯乱したように叫び出した。今だ、と思い朱音は後ろから思い切り男の背中を押す。驚いた男がそのまま倒れる。女性は朱音の動きを見て、一緒に男の上に馬乗りになり、握っているナイフを男から奪う。
「うわあああ! 俺をバカにするな! 離せ!」
女性だろうと、二人の人間に全体重を載せられたら動けない。
この状態で通報を、と朱音が考えていると、
「朱音、大丈夫か!」
諒が窓から顔を出していた。
「今警察来るからな!」
諒がそういうのとほぼ同時に、パトカーが到着した。
*
男が手錠をかけられ、パトカーに乗り込んでいくのを見ていた。隣には諒がいた。一気に疲れと恐怖が身体を襲ってくる。自分の肩を抱くようにさすると、諒が隣で座り込んだ。
「間に合ってよかった……窓から突入してるとは思わなかった……」
諒にそう言われた女性は笑って、「だって朱音ちゃんが危なかったから」という。
朱音は、そもそものことがよくわからない。なぜ諒はここにいて、朱音の居場所を知っていたのか。
「諒、なんで……」
「この人のお陰だよ」
そう言って諒の斜め前に立っている女性を手で示した。知らない人だが、どこかで見たことがあるような気がした。
「誰……?」
「秋月里穂と言います。朱音ちゃんだよね。本当に無事でよかった」
三十代半ばくらいだろうか、ちょっときつめだが、美人だった。
「朱音の……俺たちの父親の、不倫相手」
「え!」
あまりにも意外な言葉を聞いて、朱音は唖然としてしまった。
*
警察が朱音に事情を聞き、諒と、諒が父親の不倫相手だと言った女性も警察に事情を話している。
男の名前は牧田崇と言った。
十年前、牧田は秋月里穂を襲おうとし、たまたま通りかかった朱音の父親、史也が助けて警察に通報したという。それも、未遂だけじゃなくそれまでにも犯行があり、この十年近く刑務所にいた。数か月前、刑務所から出た男はまず襲い損ねた秋月里穂を襲おうと探したが、見つけた里穂は誰かを調べているようだった。それが朱音だった。誰かと思い興味を引かれ調べると、朱音は自分が捕まったきっかけになった男の娘だった。そうだ、里穂より先に自分を捕まえた史也を殺そう、と思ったが既に死んでいることを知った。思い出したことで朱音の父親への怒りが止まらなくなり、里穂ではなく朱音にターゲットを変えた、ということだった。
その日は、事情聴取が終わって、時間も遅いため一旦解散となった。朱音にはもう一度話を聞きにくると思うから協力してほしいという。両親にはなんて言おう、と朱音は少し困ったが、警察沙汰になった以上、隠し通すことはできないだろう。警察が朱音を家まで送ってくれた。両親が警察から話を聞いて顔を青くする。「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げ、警察は帰っていく。
朱音は、改めて「心配かけてごめんなさい」と言うと、綾子は「何を言ってるの!」と叱るように言う。
「……腕は、大丈夫だったよ」
朱音は、そんなことを言うつもりはなかったのだが、ポロリと出てしまった。
そんな押しつけがましい言い方はしたくなかったのに、恐怖と疲れと、無事に家に帰って来れた安心感で、自制が効かなかった。
綾子は朱音のその言葉にはっとした顔をして、朱音を抱きしめた。
「何を言ってるの……朱音の身体の方が心配に決まってるでしょ。そんな風に思わせてたのね。ごめんなさい」
綾子に抱きしめられて、朱音は緊張が解けたかのように涙が次々と溢れた。嗚咽を漏らす朱音に、綾子は慌てたように朱音をソファーに座らせて、ホットミルクを入れてくれた。
綾子は、ソファーの隣にゆっくりと座る。この距離感は今までにはなかった。洋平はリビングの椅子に座って心配そうにふたりのやりとりを見ていた。
「怖かったね、よく無事に戻って来てくれた。本当に良かった……朱音の涙、初めて見たかもしれない。もっと甘えていいのよ。私も娘を持つのがはじめてで、距離感がわからなくてごめんね。もっとたくさん話をしましょう。今日の話も、落ち着いたら聞かせてね。今日はゆっくりおやすみなさい」
そう優しく言われて、朱音は更に涙が止まらなくなった。
翌日は学校を休んだ。警察には事情を聞かれるままに話した。その後、諒と待ち合わせをしていた。昨日会った秋月里穂の話が聞きたかったので、諒に頼んで会えるようにしてもらっていた。諒も里穂も朱音の身体を気遣ってくれたが、朱音はそれより早く話を聞きたかった。
夕方に、ファミレスでごはんを食べながら話すことになった。朱音は綾子に事情を説明しており、諒も今日はそれでいいという。諒と一緒にご飯を食べるのははじめてのことだった。
里穂は五時ごろに着くという。朱音と諒は学校が終わってすぐに合流し、先に入ってドリンクバーを注文し、二人で色々な話をしていた。里穂と諒が会ったのはつい最近のことで、朱音と諒が決別してからすぐのことだったという。諒も里穂にはまだしっかりとは話を聞いておらず、今日朱音と一緒に聞きたいと思ってるということだった。
絵を狙った男子生徒の話は、報酬欲しさに勝手にやろうとしたことだと諒に聞いて納得していた。
諒から、当初は朱音を恨んでいたことを聞いた。絵を切り裂いた動機も、手紙を入れた動機も、そして朱音と話して、気持ちを改めたということも。
「俺、自分が一番不幸だと思ってた。考えてみたら、そんなわけないのにな」
諒が申し訳なさそうにぽつりぽつりと自分の気持ちを口にする。当時は、気持ちが荒れていたのだろう。それは朱音にもわからなくはない。あのとき通じ合ったと思った諒との気持ちが、嘘じゃなくてよかった。あの絵が、偽りのものにならなくてよかった。そう思った。
「正直、もうあの絵も処分しようかと思ってた」
「うわ、ヤバかった。良かった……」
諒が心底ほっとしたように言うので、朱音は笑ってしまう。
「賞取るから、見に来てね」
「賞取らなかったら見れないの?」
「取るから!」
朱音は、綾子への不信感を持っていたが、昨日のことで距離を縮められたと思う、という話をした。諒は「良かったな」と言ってくれた。
そんな話をしていると、里穂が入ってきた。里穂は、私服だったが見るからに「仕事ができる大人の女性」に見えた。こんな美人が、父親の不倫相手だったとは。
そこで朱音は気づいた。数日前、駅で誰かに背中を押されたとき、助けてくれた女性ではないか。
「お待たせしちゃってごめんね。注文していい? ふたりも頼んでね」
そう言って、シェアして食べられるように様々な料理を注文する。
ドリンクバーを持ってきて、一息つく。仕事帰りで疲れてるようだった。
「朱音ちゃん、本当に大丈夫? 精神状態が不安だったらすぐに病院に行ってね。私も同じような目に遭ったけど、朱音ちゃんのほうが比じゃないと思う。絶対に無理しないで」
「ありがとうございます。私は意外に大丈夫です。それよりも、聞きたいことがたくさんあって」
朱音の言葉にほっとしたのか、里穂はゆっくり頷いた。
「そうだよね。まず訂正したいんだけど、私はあなたたちのお父さん……史也さんとは不倫していません」
「えっ!」
驚いて声を上げたのは諒の方だった。
里穂は、史也と出会った事件から、史也の相談に乗るようになったこと、事件までの話を丁寧に教えてくれた。それは、朱音が知ってることとはずいぶん印象が違っていた。
「私は、ずっと二人に謝りたかった。私が、しゃしゃり出たばっかりに、あなたたちの家庭を壊してしまった。二人の父親を奪ってしまった。二人の母親を追い詰めてしまった……本当に、謝っても謝り切れない。ごめんなさい」
里穂が立ち上がって二人に頭を下げるので、朱音は慌てて立ち上がった。
「違います、秋月さんのせいじゃないです」
そういうと、諒が低く、苦しそうな声を出した。
「そうだよ、どう聞いても問題は母親だ……」
里穂は朱音に促されるまま、ゆっくりと椅子に座り直した。
「違うの、私と史也さんに間に何もなかったのは本当のこと。だけど、私自身は史也さんにずっと惹かれていた。命の恩人だと思ってることもそうだけど、それ以上にあの人の誠実さに惹かれていた。奥さんにばれたらまずいとわかっていながら、相談相手を辞められなかった……あの事件の原因の一つは間違いなく私にある」
事件の日、史也に呼ばれて家にたどり着いたときにはもう、異常な状況だったという。外まで響くふたりの子どもの泣き叫ぶ声。インターフォンを押しても、スマホに電話をかけても出ないので、ドアを開けてみると鍵は開いていて、そこは地獄のような状態だった。泣き叫ぶ二人の子ども、血を流して倒れてる史也。そして血の付いた包丁を握り、泣きながら笑っていた朋奈。
ぞっとする間もなく、慌てて警察と救急車に電話をした。既に近所から通報があったようですぐにパトカーが来た。
史也は、もしかしたらすぐに救急車を呼べば助かったかもしれないが、出血多量のため助からなかった。朋奈は、救急車を呼べるような正常な判断が、既にできなくなっていた。
「史也さんは、朱音ちゃんを抱きしめるように亡くなってた。朱音ちゃんを心配するように、諒君はずっと隣で泣いていた」
朱音の記憶を刺激する。真っ赤なイメージ。朋奈に包丁を向けられる夢は今も見るが、父親のイメージはあまりなかった。不倫していたと聞いてから、思い出したくないという思いも強かった。
しかし違っていた。父は、朱音のことをずっと考えていてくれていた。家庭をどう立て直したらいいか、ずっと悩んでいた。
「史也さんは、朱音ちゃんのことをずっとずっと気にかけてた。だから私は、朱音ちゃんのことを絵の受賞で知ってから、ずっと情報を追っていた。ごめんね、本当はもっと早く名乗り出て、謝りたかったのに勇気が出なかった……」
里穂は、一ケ月前から朱音を追っていた。最初は本当に、すぐに名乗り出て謝罪するつもりだったという。しかし、そこで牧田と諒の存在に気づいた。諒についても最初は警戒していたが、朱音に対して悪意はないと感じていた。しかし牧田が出て来たと知ってからは、どうやって守ったらいいかずっと考えていたという。
「でも、里穂さん、仕事があったのにどうやって……」
会社が終わってから朱音の帰りを見守る、なんてことは、どう考えても不可能だった。朱音は遅くても六時には学校を出ていた。日によってはそれより早いことも多かった。
「それは……タイミングもあったの。実は結婚を考えてる人がいて」
里穂は、その少し前に付き合ってる人からプロポーズされていた。相手とは上手く行っていて、その申し出も嬉しかったが、里穂は朱音や史也のことをその人に言えずにいた。それを機会過去を婚約者に伝え、その上で「結婚前に朱音に謝罪をしたい」という思いが強くなった。里穂は朱音のことを調べ、タイミングを見計らっていた。そこで牧田が出てきたため、結婚前の準備と名目を付け、しばらく会社に休みをもらっていた。本当は辞めても良いと思うくらいの覚悟だったが、営業成績が良い里穂を会社側が引き留め、しばらく休業するということで話がついていた。
婚約者は、過去にけりをつけたいという里穂に、「危ないことはしないこと」という約束の元、仕事をやめることも休むことも好きにしたらいいと言ってくれた。そのため、牧田が出て来たという話はしていなかった。きっと「危ないこと」にあたると判断されるだろう。今回の件はどうやって説明しようか、いっそ何も言わず、墓場まで持っていこうか迷っているという。
朱音が襲われた日も、朱音が帰るのを諒と二人で見守っていた。その前に牧田がいることにも気づいていたが、諒は朱音が帰ったのを見送って帰路に着いた。里穂はいつもならすぐに帰るはずの牧田が、なかなか帰らない事が気になってそのまま見ていた。その後、朱音が出てきて、朱音を追う牧田が見えた。
慌てて諒に連絡し、里穂は牧田と朱音を追った。ナイフを突きつけられてるのを見て、下手に動けずにアパートまでついて行った。諒に通報をお願いし、里穂は窓からじっと中を見ていた。警察が来たら任せようと思っていたが、ナイフを突きつけられ襲われそうになった朱音を見て、居てもたってもいられなくなった。何度か窓を叩いて牧田の気を逸らそうとしたが上手くいかず、玄関の近くにあった消火器を見つけて、窓を叩き割った。
電車で押された日、あのときに朱音の腕を引いてくれたのも、やはり里穂だった。あの日、呆然としている朱音を見つけて追うと、その前に牧田の存在も見つけた。電車で追うのは珍しいと思ったが、人込みに紛れて朱音のすぐ後ろに回ったのを見て、慌てて追いかけた。まさかと思ったが、牧田は朱音の背中を押した。思わず声を上げ、朱音を引き戻したときには、牧田は走り去って行っていた。公園に向かう時に押されたときと同様、あまり強い力ではなかったので、おそらく朱音を怖がらせることが目的だったようだ。公園の時はたまたま里穂はおらず、その話を聞いて、「あんなことが、以前にもあったなんて」と絶句していた。牧田のやり方の汚さに、里穂は怒りを抑えられないように見えた。
「ずっと、見守っててくれてたんですね」
「史也さんの想いを、どうしても伝えたかった。あの人はずっと朱音ちゃんの幸せを願っていた。絵のことを知らずに亡くなったのは本当に悲しいけれど、きっと喜んでると思う」
朱音は、愛されていないと思っていた。母にナイフを向けられて、父は不倫の末朱音をかばって死んでしまった。そのせいで弟の家庭を壊した。朱音は、そんな存在だったと思っていた。
「諒君と朱音ちゃんのお母さん、朋奈さんも、愛してなかったわけじゃないの。過去のトラウマと、不安で色々混乱してしまっていただけ。諒君はもちろんのこと、朱音ちゃんのことも愛していたと、私は思う」
朱音は、自分にナイフを向け、結果的に父親を殺した母のことを、どう思えばいいのかうまく整理がついていなかった。自分が恨むというより「恨まれている」という感覚のほうが強くて、自分がどう思っているかを考えたことがなかった。記憶も、話を聞いて破片的に残ってるものと話をつなぎ合わせることは出来ている。なんとなく、思い出すことも多くなってきた。
「里穂さんと諒は、私の命の恩人ですね」
二人に会えてよかった、朱音は心からそう思った。
第12話
