『サマータイムレンダ』と、不甲斐ない私の愛について
プロローグ:玄関先で立ち止まった、ある雨の日のこと
もうすぐ桜の季節だというのに外は冷たい雨だった。
いつもの喫茶店へ行こうと支度を整え、玄関のドアを開けた瞬間、私は立ち尽くしてしまった。
「今のこの、モヤモヤした気持ちを受け止めてくれる人なんて、どこにいるだろうか…」
結局、雨音が打ち付ける外を暫らく見つめた後、部屋に引き返した。
なぜ、これほどまでに心が揺さぶられているのか。
それは、さっき見終えたアニメ『サマータイムレンダ』のせいだ。
見終わった直後は、慎平の「俯瞰」のように冷静に自分を見つめていた。
物語の完璧な幕引きに納得すらしていた。だが、分析を始めようとした途端、心の中に貯めていたなにかが決壊しそうだ。
この物語は、あまりに多くの要素で、「今の私」「過去の私」とシンクロしすぎていると思えたからだ。
舞台は東経135度の日都ヶ島
第一のシンクロは、その「場所」だ。
物語の舞台、日都ヶ島(ひとがしま)のモデルは、和歌山と淡路島の間に浮かぶ友ヶ島。 私が暮らす淡路島からは沼島ほどしか離れておらず、すぐ目と鼻の先にあるのだが、いまは船便はなく和歌山側から行くしかない。かつては和歌山との間に橋を建てる構想もあったようだが、潮の流れが速いらしく頓挫した、近くて遠い島なのだ。
ここには、ガイアの法則にもある新文明の起点である東経135度線が走っている(淡路島にも通っています)。
この子午線(時間の基準点)となる場所で繰り広げられる、タイムリープ(時間遡行)の物語。その事実だけでも、物理学的なロマンを掻き立てる。
私が過ごしているこの海のすぐ向こうに、慎平・潮が命がけで過ごしたあの夏があるという臨場感。
実は友ヶ島は無人島である。だから作中の島の暮らしぶりは淡路島や沼島のそれを持ち込んでもいるのではないかと思われる。その近さが、物語の臨場感をダイレクトに私の日常へと持ち込んできた。
情景:祭りと心地よい方言
第二のシンクロは、その「匂い」と「音」だ。
作中で描かれる、ノスタルジックな島の情景や夏祭りの描写。
それが、私の故郷である新潟の祭りの記憶、 幼い頃の家族の記憶として幸せだった頃、父親の事業失敗で家族がバラバラになる前の記憶。
そして、新潟の祭りで笛を吹くの楽しみにしてた、あの娘と過ごした最後の記憶とも重なる。
飛び交う方言と標準語・敬語のやり取りが、今、移住者として淡路島の方言に慣れようとしている私の耳にはとても身近に響いたのだ。
それは、島を離れた慎平が標準語被れから島に受け入れられていく過程と、今の自分の姿を重ね合わせていたからかもしれない。
慎平が年下にも敬語を使う気持ちも分かる気がする。
家族の欠落:慎平と私の似た生い立ち
第三のシンクロは、「生い立ち」だ。
主人公・網代慎平は、両親を事故で亡くし、小舟家に引き取られた。
彼には、帰るべき「血縁の家族」がいない。
私もまた、幼少期の一家離散から孤独の中で育ってきた。
慎平が持つ、どこか冷徹とも言えるほどの「俯瞰」の能力。それは心を開けない環境で生きるために、感情を殺して状況を客観視せざるを得なかった、孤独な人間の生存戦略として共感を覚えた。
彼の心の空洞が、私のそれとピタリと重なった。
量子力学:世界観の裏付け
第四のシンクロは、私の量子力学への探求心だ。
この作品は、単なるファンタジーではない。 影の特性やループの仕組みにおいて、量子力学的な背景(「観測」による世界の確定、多世界解釈、あるいは2つ以上の粒子が空間的にどれだけ離れていても、互いに強く結びついた状態になる量子もつれ現象やシンクロニシティなど)を思わせる描写が随所に散りばめられている。
私が長年関心を持っている分野が、これほど見事に、エンターテインメントとして昇華されていることに、純粋な知的好奇心が掻き立てられた。
人魚の幻影
そして、最後にして最も深く、最も痛烈なシンクロ。
それは、ヒロイン・小舟潮の存在そのものだ。
さらさらの長い髪。
金髪、水着、白いドレス。あるいはショートパンツにキャップという服装。
その姿が、笛を吹くあの娘との短い夏の記憶と、痛いくらいに重なる。
彼女は、ディズニーの『リトルマーメイド』が好きだった。
イルカと戯れることを夢見ていた。
彼女とは、不思議なほどシンクロする感覚があった。
だが、私は彼女との約束を果たせなかった。
淡路島には一人で渡ってきた。
アニメのラスト、慎平は死力を尽くしてループを超え、潮を救い出し、誰も欠けない「最高の夏」を取り戻した。
だが、現実を生きる私には、タイムリープの能力はない。
いや、あったとしても、彼女を救い出すことはできないかも知れない。
そんな自分がもどかしい。
主題歌とのシンクロ
主題歌も共感できる部分が多数あり、ノスタルジックさが良い。
心に沁みた部分だけ抜き出してみた。
星が泳ぐ
先天の勘に沿ってボクはゆく、きっと知っていた運命の渦の中を…
意味がないな、君がいないと。そんな夏だけが残っていく
ミドリガメのボクは走れない
意味がないか、こんな歌には。伝えられていない事ばっかだ
魂ごと愛していたんだ
嘘ではないよ、そうでもないかな
もう行かなくちゃ、バイバイ
回夏
あなたと繋いだ掌の熱だけで生きていける
あまりに短い夏だけで何を残していけるのかな
一度きりだから僕らは変わりたい変わりたい
あなたと見たこの砂浜で言い損ねたことがある
一度きりだからあなたと変わりたい変わりたい
言い損ねたことがあるから命を燃やしている
夏夢ノイジー
君の言葉 今になってもっと集めたくて
旅のしおり落書きさえ大事だから
奥へ奥へと逃げ出したい衝動 ボクなんてそんなもんだよ
嘘にまみれる乱雑な繰り返し
勝率は友を失う瞬間の目と目合わせが答えだと
戦略は追い込まれ、笑っちゃうね
失恋ソング沢山聴いて 泣いてばかりの私はもう。
潮風に溶けた面影は幻のままで今も
リアルで鮮明な思い出は 何度も何度も繰り返す
嘘でもいいからそばにいてよ
すぐ好きになって時間だけが過ぎてあぁ戻りたいな
最後にくれたあの言葉が何度も何度も繰り返す
お願いあの日のきみ、嘘のぬくもりでいいから
どうかその手を離さないで、離さないでよ。なんて遅いよね
もう、君のことなんて
忘れちゃうからね
これらの私の気持ちを集めた曲のプレイリストはこちら。
捜し物は見つかるか?
劇中引用されるウスペンスキー著『イワン・オソキンの不可思議なる人生』も気になって読んでみた。生の反復・過去と未来の交錯を描く、ループにより人生をやり直せるチャンスを貰いながら何度も失敗する男の話だが、英語版とロシア語版で結末が違う不思議な本である。(両方収録あり)
その冒頭にイワンが彼女との別れのシーンで「後から行く」と言うイワンに彼女はこう返す。「私は今のことにしか興味ないの。未来の話をして、何が面白いの?あなたにはこれが分からない。あなたは未来に生きられるけど、私には出来ない」、この言葉が刺さった。
段取りして、計画立って動くんじゃなく、いま行動して欲しかった想いに、応えられない歯痒い気持ち・後悔の念と、いやむしろそれでよかったと無理に納得しようとする自分に葛藤を覚える。
結局のところ、私は何を求めていたのだろう?
それは、ガイアの法則を書いた千賀一生の「タオコード」にヒントがある気がする。
本当の愛ってなんだろう。
その正体を探してここに居るような気がする。
真実の愛とタオコード
タオコードとは、「宇宙の根本原理(タオ)に沿って生きることで、人間は本来の調和・愛・進化を取り戻す」という思想を軸にした本です。
それが老子書に暗号として刻まれていると記しています。
私が求めている、「生き方」や「愛」、そして「量子的次元上昇」のヒントがここに隠されている?本をあちこち巡ってここに辿り着いたのです。
宇宙には「タオ(道)」という流れがある。
万物はバラバラではなく、ひとつの流れの中にあり、人間も石も自然や宇宙も同じ原理で動いている。無理にコントロールする生き方より流れに“沿う”ことが本来の生き方である。
愛=分離のない状態。
本来、人と人・人と世界は分かれてなどない。エゴや恐れが「分離感」を生んできた。愛とは感情というより“一体であることに気づいた状態”である。
思考より「共鳴(波動)」が現実を作る。
言葉や理屈よりも、内面の状態(波動)が現実に影響を与える。
怒りや恐れが、それに対応する現実を呼び込む
安心や調和が、それに対応する現実を呼び込む
大事なのは「何を考えるか」より「どんな状態でいるか」である。
量子力学的に考えると、現実は固定ではなく「観測で変わる」。世界は確定しているものではなく可能性の集合であり、自分の意識と意思が現実の世界を変えていくのに大きく関与する。
愛の世界に至る次元上昇
次元上昇は、周波数の変化によってもたらされる。
恐れ・不安中心→重い周波数
愛・調和中心→軽い周波数
周波数が変わると、見える現実・出会う人・出来事が変わる。
「次元上昇」は努力より“手放し”で得られる。
執着、恐れ、コントロール欲を手放す
自然な状態(タオ)に戻る
頑張るれば頑張るほど遠ざかるタイプの話で、緩むほど近づく性質を持つ。
緩むというのは、武道の中でも”奥義”に通じる。
ここで気になってきたのが、集団的無意識に繋がるのであろう、脳や呼吸の使い方『シルバ・メソッド』。これはまた次の機会に。
音楽とシンクロニシティ
最近見てとても感動したのが、竹内まりあのシンクロニシティというミュージックビデオ。この曲には旦那の山下達郎も参加しているんだけど、動画中では殆ど目立たず、気の合う仲間と一緒に演奏しているそれがいい。
音楽には世界を変えるいろいろな力が宿っていると思わされる。
でも僕が楽器を手に取れるのはまだちょっと先みたい。
エピローグ:淡路島の雨上がりに
『サマータイムレンダ』は、私にとって単なるアニメ作品ではない。 私の過去、現在、そして叶わなかった未来が、霧の向こうの友ヶ島に、量子力学的な「可能性の重ね合わせ」として存在しているかのような、不思議な錯覚を覚えさせる物語だ。
劇中で、影が消え去った後に残る、あの虚しさ。 それは今の私が一人で淡路の海を眺めている時の、あの静かな孤独と似ている。
でも、私はこの孤独を、悪いものだとは思っていない。
伝えられていない事ばっかだ、魂ごと愛していたんだ
嘘ではないよ、そうでもないかな
もう行かなくちゃ、バイバイ
もう、君のことなんて忘れちゃうからね
家族が「この先はあなたの自由にしていい」と、私の人生を尊重してくれたからこそ手に入れた、私だけの時間だからだ。
本当に叶えたかった夢の残像をこの海に抱きしめつつ、私はこの淡路島で、生まれ変わった気持ちでやりたいことをやっていく。
雨は、明日には上がるだろう。
そしたら桜の花も開花し始める。
来月にはこの街で私自身が初体験になるお祭りが開催される。
晴れ上がった海の景色を、今度は「俯瞰」ではなく、この身をもって、深く味わいたいと思う。
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私の探究が、少しでもあなたの気づきになれば幸いです。