父の遺産・サバ入り味噌汁は「命の味」
私が子どもの頃、父が突然、思い立ったようにお勝手に立つことがあった。たいていは自分の酒のつまみを作るためだったが、時折、気が向くと味噌汁を作ってくれた。
その味噌汁の作り方は、いたって簡単だった。鍋にネギやタマネギなどの野菜を入れるところまでは、ごく普通の味噌汁である。変わっていたのは、そこへぶつ切りにしたサバを入れることだった。これが父流の味噌汁だった。
時代は昭和30年代の前半。冷蔵庫もまだ各家庭に行き渡っていなかった頃だから、父が使っていたのは、おそらく生サバではなく塩サバだったのだろう。
子どもの私は、この味噌汁がどうにも苦手だった。サバの生臭さが漂う味噌汁など、とても箸をつける気になれない。「父はどうして、こんなものが好きなんだろう」と、不思議に思っていた。
父がサバ入り味噌汁を覚えたのは、兵隊時代だったという。戦地はインドネシアの離島。食料らしい食料はほとんどなかったが、海ではサバだけは大量に釣れたそうだ。
そのサバを塩汁に入れ、来る日も来る日も食いつないだ。飢えをしのぐための食事だったはずなのに、父はその時の味が忘れられなかったらしい。
考えてみれば、父にとってサバ入り味噌汁は、単なる好物ではなかったのだろう。遠い南の島で生き延びた日々と結びついた、忘れようにも忘れられない「命の味」だったのかもしれない。
そんな私も大人になり、晩酌をするようになった頃から、不思議なことにサバ入り味噌汁を食べるようになった。
本当なら、父が作っていたように生サバか塩サバをぶつ切りにして鍋へ放り込みたいところである。しかし、そんなことをすれば、喜んで食べるのは私一人。家族の誰も手を出さないだろう。
そこで最近は、だいぶ妥協してサバの水煮缶を使っている。缶を開け、汁ごと鍋に入れ、ネギやタマネギと一緒に煮て味噌を溶く。父の味とは少し違う。それでも湯気の向こうに、台所に立って鍋をかき回していた父の姿が、ふっと浮かんでくることがある。
財産らしい財産を受け継いだわけではない。それでも、子どもの頃には顔をしかめていた一杯の味噌汁を、今では私が作っている。
これもひとつの「父の遺産」と言ったら大げさだろうか。
そんなことを言えば、今頃、草葉の陰で父は大きなくしゃみでもしていることだろう。
