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氷点下のシリコンバレー 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

シンガポールのコワーキングスペースで汗をかきながらコードを書いていた頃が、もう遠い昔のことのように感じる。あの日、エアコンが故障して室温が38度に達し、ラップトップが熱暴走を繰り返した。まさにその時、Slackに流れてきたメッセージが私の人生を変えた。

「ウランバートルにデータセンター集積地ができてる。冷却コストゼロ、電力も安い。誰か一緒に行かない?」

投稿者はアムステルダムで活動していたデータサイエンティストの田中だった。彼女とは2年前、バリ島のコワーキングで知り合った。

その3ヶ月後、私はチンギス・ハーン国際空港に降り立っていた。2034年9月、気温は既にマイナス2度。スーツケースから取り出した防寒着を慌てて着込む。

「ユミ?」

振り返ると、金髪の女性が手を振っていた。田中だった。

「信じられる?ここ、もう完全にテックハブよ」

彼女が指差した方向には、見慣れたロゴが並んでいた。Google、Amazon、Microsoft、そして聞いたことのない新興企業の看板。すべてモンゴル語と英語の併記だった。

市内に向かうタクシーの中で、田中が興奮気味に説明してくれた。

「2032年の夏、バンコクで46度を記録した時がターニングポイントだったの。アジアの主要データセンターの冷却コストが3倍に跳ね上がって、みんな一斉に寒冷地を探し始めた」

「それでモンゴル?」

「そう。ウランバートルは冬場の外気温がマイナス30度まで下がるから、11月から3月まで冷却装置なしでサーバーが稼働できる。しかも地震がない、地盤が固い、電力が安い」

窓の外を見ると、建設クレーンがあちこちに立ち並んでいる。確かに、この街は急速に変化している最中のようだった。


私たちが拠点にしたのは、「ブルーウルフコワーキング」という施設だった。元々は国営企業のオフィスビルだったらしいが、今では5階建ての全フロアに世界中から集まったデジタルノマドが働いている。

1階のカフェで私を迎えてくれたのは、設立者のバトバヤルだった。35歳のモンゴル人で、MIT出身のエンジニア。

「2年前に帰国した時、ウランバートルはまだゲルと大気汚染のイメージだった。でも、データセンターが来て、世界が変わった」

彼の英語は流暢で、時々日本語も交えて話した。

「我々モンゴル人は遊牧民の血を引いているから、移動する人々を受け入れることに慣れてるんです。それに、数学に強い。ソ連時代の教育制度の恩恵ですね」

実際、コワーキングスペースで働く人々の多様性は驚くべきものだった。アメリカ人のゲーム開発者、ドイツ人のAIエンジニア、インド人のブロックチェーン専門家、韓国人のUXデザイナー。

「でも言語の壁はないの?」私は尋ねた。

「不思議なことに、みんな英語とちょっとした日本語を話すの」と田中が笑った。「モンゴルでは3つの高専で日本語教育をやってるから、若い世代は日本語ができる人が多い。それで日本語が共通語みたいになってる」

実際、エレベーターで「お疲れ様です」と挨拶されたり、昼休みに「ラーメン食べませんか?」と誘われたりする。奇妙だが、どこか懐かしい感覚だった。


最初の1ヶ月は順調だった。タイムゾーンがシンガポールとほぼ同じで、時差ボケもない。クライアントとのやり取りもスムーズだ。何より、ラップトップが一度も熱暴走しない。涼しい気候での作業は想像以上に快適だった。

ところが、11月に入ると状況が一変した。

朝目を覚ますと、窓の外は真っ白。気温計を見ると、マイナス18度を示していた。

「やばい、こんなの聞いてない」

慌ててコワーキングスペースに向かうと、半分以上のデスクが空席だった。受付のエルデネに聞くと、苦笑いで答えた。

「毎年のことです。11月になると『一時避難』する人が続出する。でも、2月には戻ってきますよ」

確かに、田中の姿もなかった。Slackで連絡すると、「とりあえずプーケットに避難中。2月に戻る!」との返事。

しかし、私は残ることにした。理由は単純だった。この静寂の中で、かつてないほど集中してコードが書けたからだ。


12月のある日、バトバヤルから誘いを受けた。

「今夜、地元の開発者コミュニティでイベントがあります。興味ありませんか?」

会場は街の中心部にある小さなスペースだった。20人ほどの若いモンゴル人エンジニアが集まっていた。

驚いたのは、彼らの技術レベルの高さだった。機械学習からブロックチェーンまで、最新技術について熱く議論している。しかも、半分以上の会話が日本語だった。

「なぜ日本語で話すの?」私は隣に座った女性エンジニアに聞いた。

「技術用語は日本語の方が正確だから」と彼女は答えた。「モンゴル語には対応する言葉がない概念が多いんです。ロシア語は政治的な理由で使いたくないし、中国語も複雑。日本語が一番しっくりくる」

イベントの後、私たちは近くの居酒屋に向かった。マイナス25度の外気をものともせず、地元の開発者たちは熱燗を飲みながらプロジェクトの話を続ける。

「この寒さって、慣れるものなの?」私は震えながら聞いた。

「慣れというより、受け入れるんです」とバトバヤルが言った。「遊牧民の先祖は、自然に逆らわず、自然と共に生きてきた。寒さも、自然の一部です」

その夜、私は初めてウランバートルの星空を見上げた。空気が澄んでいるせいか、シンガポールでは見えない無数の星が輝いている。


2月になると、田中をはじめ多くのノマドワーカーが戻ってきた。しかし、この3ヶ月で私は変わっていた。

「ユミ、なんか変わったね」と田中が言った。「落ち着いてる」

「この冬で学んだの。どこにいても、結局は自分次第だって」

実際、この冬の間に私が完成させたアプリケーションは、これまでで最高の出来だった。極寒の環境が、集中力を研ぎ澄ましてくれたのかもしれない。

3月のある日、バトバヤルが興味深い話をしてくれた。

「政府の統計によると、昨年ウランバートルに移住した外国人IT関係者は5,000人を超えました。彼らの経済効果は約2億ドル。観光業を上回ったんです」

「気候変動のおかげで、モンゴルが恩恵を受けるなんて皮肉ね」と田中が言った。

「でも、それは一時的なものかもしれません」バトバヤルの表情が曇った。「温暖化が進めば、ここも暑くなる。今のアドバンテージは、いつまで続くか分からない」

確かに、今年の夏は去年より暑かった。7月には記録的な32度を記録し、一部のデータセンターで冷却装置の稼働が必要になった。


それでも、私はここに留まることに決めた。理由は複数ある。技術的な成長、国際的なネットワーク、そして何より、この街に根付き始めたコミュニティへの愛着。

今では私も地元の開発者イベントでは日本語で発表する。モンゴル語も少しずつ覚えている。そして、厳しい冬を乗り越えた仲間たちとの絆は、想像以上に深い。

窓の外では、また雪が降り始めた。今年で2回目の冬になる。もう震えることはない。

ラップトップを開き、新しいプロジェクトに取りかかる。今度は、気候変動の影響を予測するアプリケーションだ。皮肉なことに、気候変動の恩恵を受けながら、気候変動と戦うツールを作っている。

でも、それが今の世界なのかもしれない。矛盾を抱えながらも、前に進み続ける。

モニターに映るコードを見つめながら、私は微笑んだ。氷点下のシリコンバレーは、確実に私の心の中に根を張っている。

#創作大賞2025#お仕事小説部門#カーボンダイエット#ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集

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