小さくなった世界 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
2038年、マキ牧場のニュースレターが届いたとき、三田村は珈琲を吹き出しそうになった。
"秋の牧場祭りは資金不足のため中止します。「朝霧高原」牛乳の生産終了に向けたお知らせと…"
信じられない。子供の頃から夏休みを過ごした牧場が、ついに閉鎖か。彼は窓から外を見た。東急新横浜線の高架の向こう、気温39.4度の朝の空が青白く輝いていた。
その年、世界各地の酪農場から同様の報告が相次いだ。カーボン税導入(結局あれは2035年だったっけ?)で、牛の飼育コストは高騰の一途。さらに極端気象による飼料作物の不作。昔から「絶滅危惧種は保護」と小学校で習ったが、まさか経済的理由で牛が減るとは。
皮肉なことに、最初は「温暖化対策」に批判的だった酪農家たちが、結局は気候変動そのものに直撃された。
誰かの意図ではなく、制度と自然の複雑な応答の結果だった。
世界酪農連盟の会長——確か東欧系の名前だった——は記者会見でこう言った。「これは一時的ではない。構造的な問題だ」
子どもが生まれたとき、病院のミルクは既に「代替品」になっていた。
それから25年。
「過去20年間で、世界の若者の平均身長が約5センチ低下しています」
世界保健機関の発表に、妻は肩をすくめた。「そりゃそうよ。あなたも私も牛乳で育ったけど、うちの子はそうじゃないもの」
記者会見の様子を見ながら、三田村は思い出した。大学時代に観た古い映画のこと。「牛乳は牛を大きく成長させるためのもので、人間が飲むものじゃない。あれは牛の乳だ!」と熱弁する変わり者の博士のキャラクターがいた。当時は笑い話だったが、今ならどうだろう。
さらに祖父が語っていた戦後の話も思い出した。「進駐軍は日本人が小さいのを見て、もっと牛乳を飲ませろと言ったんだ」
歴史は奇妙な形で繰り返す。
2090年。ついに人類の平均身長は20世紀後半と比べて約12センチも低下した。息子は165cmで、昔なら「低め」と言われただろう。今では「普通」だ。
最初は「危機」として扱われたこの現象。だが、いつかの政権が言い始めた。誰だったか、覚えていない。たぶんカーボンニュートラル省の初代大臣だ。
「身長低下は国民の食料消費を15%削減する」
結果として、2080年に予測されていた食糧危機は回避された。住宅の小型化、交通機関の座席数増加…航空機は同じ燃料で10%多くの乗客を運べるようになった。
「人類小型化は気候変動対策の大きな一歩です」
三田村は、テレビの前で苦笑した。「あの映画の博士は先見の明があったな。牛乳は牛のためのものだったのかも」と、誰もいない部屋でつぶやいた。
うちの親父がこれを聞いたら何て言うか。思わず「冬の枯れすすき」と言いたくなる。あれは何の暗号だったっけ。
もう思い出せない。
2125年、21時17分。
「おじいちゃん、昔の人って、どうしてあんなに大きかったの?」
曾孫が尋ねた。博物館「巨人の時代」展示を見た後だ。
窓の外には、小さくなった人類のために設計された都市が広がっている。小ぶりな電車が旧山手通りを走る。
「それはね…」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。牛乳の話をしても伝わらない。映画の話をしても、きっと「映画って何?」と聞き返されるだけだ。むしろ、ある感情が胸に去来した。
感謝、か?
私たちは小さくなることで、生き延びたのだ。
老人は微笑みながら答えた。「昔の人は大きな夢を見ていたからさ」
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