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源流へ 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

未来自動車学会の年次大会、第一日目。「エコカー最新技術フォーラム」が華々しく開幕していた。

会場中央に設けられた円形ステージには、最新型EV〈エレクトリカ・ゼロ〉の開発者・吉岡英二と、FCV〈ハイドロジェニウス〉の開発責任者・水島一郎が登壇していた。ふたりは、これから始まるディベートに向けて、静かに火花を散らしている。

「本日のテーマは『次世代エコカーの本当の環境負荷』です」と、司会者がマイクを通して会場に語りかけた。「お二人には、それぞれの立場から、技術が環境に与える真の影響についてご議論いただきます」

吉岡が一歩前へ出る。表情には自信が漲っていた。

「私たちのエレクトリカ・ゼロは、走行中のCO₂排出がゼロです。しかも、バッテリー製造時に生じる環境負荷も、最新のリサイクル技術によって従来の20%にまで削減しました。水素という危険物を扱うFCVより、遥かに優れた選択肢です」

水島は落ち着いた様子で反論する。

「ハイドロジェニウスも走行時のCO₂排出はゼロです。加えて、我々のFCVは“充電時間”という制約がありません。水素充填はたったの3分。確かに水素は可燃性ですが、現在ではガソリンよりも安全に管理できることが実証されています」

ディベートは熱を帯び、専門家や技術者たちが集う会場も、次第に緊張感を孕み始めた。

「では、より本質的な問題に踏み込みましょう」と司会者が続ける。「電気と水素、それぞれの“製造段階”で発生する環境負荷について、お考えをお聞かせください」

吉岡の顔からわずかに笑みが消えた。

「日本の電力の多くが依然として火力発電に依存しているのは事実です。しかし我々は、太陽光発電と連携したEVステーションの開発を進めています。将来的には、完全にクリーンなエネルギーでの運用が可能です」

水島も同様に、苦々しい表情を浮かべながら応じる。

「現在主流の水素製造法は、天然ガスの水蒸気改質法です。しかし我々も、水の電気分解によるグリーン水素への移行を始めています。これもまた、再生可能エネルギーとの統合が前提です」

司会者が静かに問い直す。

「つまり、どちらも現時点では火力発電への依存から抜け出していない、と?」

会場の空気が一瞬にして張り詰めた。

そのとき、最前列から一人の老人が立ち上がった。白髪で痩身、しかし眼光は鋭く、尋常ならざる存在感を放っている。

「質問があります」

司会者は戸惑いながらも、マイクを差し出した。

「どうぞ」

「お二人に伺います。今朝、どのような手段で会場に来られましたか?」

思いもよらぬ問いに、壇上の二人は一瞬言葉を失う。

「……私は、会社の役員車で来ました。ガソリン車です」と吉岡。

「私も社用車です。ディーゼルのSUVで」と水島。

老人はうなずきながら続けた。

「では、あなた方の会社のエネルギー源は?工場の動力は?」

返答はなかった。

「化石燃料ですね」と、老人は自ら答えた。「あなた方が競い合う技術も、突き詰めれば同じ源流から生まれている。どちらが優れているかを語る前に、その“源流”自体を変えるべきではありませんか?」

会場は、沈黙に包まれた。

「……誰だ、あの老人は?」と吉岡が小声で尋ねる。

「知らない。業界の人間じゃないようだが……」と水島が答える。

老人はゆっくりと杖を突き、去ろうとしていた。その背に、吉岡が声をかけた。

「あなたは、一体……?」

老人は足を止め、振り返る。

「橘修三。かつて、電力会社に勤めていました」

その名が発せられた瞬間、会場内の技術者たちがざわめいた。伝説の男——30年前に〈完全クリーンエネルギー構想〉を打ち立てたが、既得権益との衝突により葬られた技術者の名だった。

「あなたの構想は、実現可能だったのですか?」と水島が尋ねる。

「可能でした。今も可能です。ただ——誰もそれを望まなかった。それだけです」

そう言い残して、老人は静かに会場を後にした。


翌朝。

吉岡は目覚めるなり、水島に電話をかけた。

「昨日の老人のこと、調べたか?」

「ああ、調べた」と水島はやや興奮気味に応じた。「橘の構想は、本物だった。資料は企業の金庫に封印されてるが、理論的には完璧に近い」

「じゃあなぜ、誰も実現しなかった?」

「既得権益の壁もあるが……本当の理由は、世間が望まなかったからだ。“エコ”という言葉だけで満足して、本質的な変革までは求めなかった」

ふたりの間に、重い沈黙が流れる。

「今日のセッション、どうする?」と吉岡。

「EVとFCVの商業競争の話は……やめよう。代わりに、橘の構想を掘り起こそう」

「賛成だ。競争は後回しだ」


その夜、ふたりは橘の自宅を訪れた。都心の片隅にある、年季の入ったアパートの一室。老人は彼らを迎え、静かに言った。

「来ると思っていました」

壁一面に貼られた設計図を見た瞬間、ふたりは息をのんだ。そこに描かれていたのは、EVでもFCVでもない——次世代を超えた、根源から変革するためのクリーンエネルギーシステムだった。

「手伝わせてください」吉岡が口を開く。「これを、現実にするために」

橘は窓の外を見やった。夜空の下、無数の家々の明かりが灯っている。その光の多くが、いまだ火力発電によって支えられていることを思いながら。

「準備は、できていますか?」老人は静かに尋ねた。「これは表面的なエコではなく、“源流”そのものを変える試みです」

ふたりは、迷いなく頷いた。

「では、始めましょう」

橘は、かすかに微笑んだ。

「——源流から変えるのです」

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