390円の未来 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
2034年5月、東京・高円寺の鳥貴族。平日の夕方6時、いつものように開店準備をしていた店長の田中雄太は、スマホに届いた本社からの緊急メールを見て息を呑んだ。
「2035年4月より、全店舗でカーボンニュートラル焼き鳥への段階的移行を開始します」
田中は26歳、店長になってまだ2年目。創業以来50年間守り続けてきた「全品均一価格」の看板を背負う重責を感じながら、毎日店に立っている。
「店長、どうしたんですか?」
振り返ると、バイトリーダーの佐々木さんが心配そうに声をかけてくれた。40代の主婦で、子育てしながら週4日働いてくれる、田中にとって頼りになる存在だ。
「培養鶏肉の話です」田中はスマホの画面を見せた。「来年から段階的に導入するって」
佐々木さんは眉をひそめた。「培養って、あの実験室で作る肉ですよね?高いって聞きますが...」
田中はため息をついた。培養鶏肉の仕入れ価格は従来の国産鶏肉の約3倍。390円均一を維持するなら、他の部分で大幅にコストカットしなければならない。でも、それは鳥貴族らしさを失うことを意味する。
その夜、常連の高校生グループがやってきた。リーダー格の翔太、環境問題に詳しい美穂、そして食べ盛の大輔。彼らは2年前から週に2回は必ず来店し、田中とも顔なじみになっていた。
「店長、いつものでお願いします」翔太が笑顔で言った。
もも貴族焼、むね貴族焼、つくね、せせり、そして焼き野菜セット。毎回同じオーダーで、食べながら学校のことや将来の夢を語るのが彼らの習慣だった。
田中は培養肉の件を相談してみることにした。
「みんな、『培養肉』って知ってる?」
美穂がすぐに反応した。「知ってます!動物を殺さないで作る肉ですよね。CO2排出量も従来の鶏肉の10分の1って聞きました」
「でも高いんでしょ?」大輔が心配そうに言った。「鳥貴族の良さって、安くて美味しいことじゃないですか」
翔太は少し考えてから言った。「店長、正直に言うと、俺たちも気候変動のこと気になってるんです。将来のことを考えると、やっぱり環境のことも大切だと思うし...」
美穂が頷いた。「もし鳥貴族が培養肉を使うようになったら、少し高くなっても食べに来ます。地球のためだから」
田中は驚いた。高校生の彼らがそこまで考えているとは。
「でも、全部が培養肉になったら、今まで来てくれてるお客さんが困るかもしれない」
「だったら選択制にしたらどうですか?」翔太が提案した。「週に1回でも『地球のための焼き鳥デー』みたいな」
翌日、田中は本社に電話した。営業部長の山本さんは忙しそうな声だった。
「田中君、培養肉の件だね。実は全店で悩んでいるんだ。コストが合わないんだよ」
「部長、一つ提案があります」田中は昨夜考えたアイデアを話した。「週1回、水曜日を『カーボンゼロデー』にして、培養肉の焼き鳥だけを提供するというのはどうでしょう?」
「でも価格はどうする?390円じゃ赤字だぞ」
「590円にします。でも、その分、環境に貢献していることを明確に伝える。『この200円で地球を守る』というメッセージと一緒に」
山本部長は少し考えた。「面白いアイデアだが、お客さんが来なくなったらどうする?」
「逆です。新しいお客さんが来ると思います。特に若い世代が」
「根拠は?」
田中は高校生たちとの会話を話した。山本部長は興味深そうに聞いていた。
「分かった。まず君の店で3ヶ月間テストしてみよう。結果が良ければ他店にも展開する」
6月第1水曜日、鳥貴族高円寺店初の「カーボンゼロデー」。田中は緊張していた。
午後6時、翔太たちが一番に入ってきた。
「ついに始まりましたね!」美穂が興奮気味に言った。
「味はどうなんだろう...」大輔が心配そうだった。
培養鶏肉の焼き鳥が運ばれてきた。見た目は普通の焼き鳥と全く同じ。3人は恐る恐る一口食べた。
「...美味しい」翔太が驚いた。「普通の鶏肉と変わらない」
「むしろ、なんか上品な味がする」美穂が言った。
しかし、7時を過ぎても他のお客さんはほとんど来ない。田中は不安になった。
午後8時頃、意外な客が入ってきた。近所の中華料理店を経営している李さんだ。60代で、普段は競合店の鳥貴族にはあまり来ない。
「店長さん、培養肉の焼き鳥って本当ですか?」
「はい、今日は水曜日限定で」
李さんは注文して食べ始めた。しばらくして言った。
「息子が大学で環境学を勉強してるんです。いつも『お父さんの店も環境のことを考えるべきだ』って言われて。これは参考になります」
その後、20代のカップル、30代のサラリーマン、意外にも50代の夫婦まで、普段とは違う客層がやってきた。彼らに共通していたのは、「環境に興味がある」ということだった。
1ヶ月後、田中は驚くべき数字を目にした。カーボンゼロデーの売上は通常の水曜日の約1.3倍。しかも、その日に来た新規客の30%が他の曜日にも来店するようになっていた。
山本部長からの電話があった。
「田中君、すごいじゃないか。他の店舗からも『うちでもやりたい』って声が上がってる」
「ありがとうございます。でも、一番嬉しいのは...」
「何だ?」
「お客さんたちが『自分たちも地球のために何かできてる』って喜んでくれることです」
実際、翔太たちは友人を連れてくるようになり、常連客の中にも「水曜日も来るようになった」という人が増えた。
3ヶ月後、鳥貴族全店でカーボンゼロデーが始まった。テレビでも取り上げられ、「環境に配慮した居酒屋チェーン」として注目された。
ある日、翔太が一人で店にやってきた。もうすぐ高校を卒業する。
「店長、俺、大学では環境工学を勉強することにしました」
「すごいじゃないか」
「ここで培養肉を食べるようになって、環境問題がもっと身近に感じられるようになったんです。将来は、もっとすごい環境技術を開発したい」
田中は胸が熱くなった。
「翔太君、君のおかげだよ。君たちが背中を押してくれなかったら、この取り組みは始まらなかった」
翔太は照れながら言った。「でも店長、これで終わりじゃないですよね?次は何をするんですか?」
田中は笑った。確かに、これは始まりに過ぎない。2035年のカーボンニュートラル達成に向けて、まだまだやることはたくさんある。
「今度は金曜日も『未来の焼き鳥デー』にしようかと思ってる。今度は培養魚の焼き鳥も試してみたいんだ」
翔太の目が輝いた。「それ、絶対食べに来ます!」
その夜、田中は店を閉めながら考えた。50年間守り続けた「390円均一」に、「590円の希望」が加わった。価格は変わったけれど、鳥貴族の本質は変わっていない。
お客さんに「うまい!を、気がねなく!」提供する。ただし今度は、地球の未来も一緒に。
窓の外で、高円寺の夜が更けていく。田中は明日の仕込みを確認しながら、翔太たちの世代がどんな未来を築いていくのか、楽しみになっていた。
そして、自分たちもその未来作りの一部になれていることが、何より誇らしかった。
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