ローマクラブの未来史 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
「時間旅行装置の準備は整いました」と技術者が言った。「目的地は1972年、ローマクラブが『成長の限界』を発表した直後です」
大学教授の山田は頷いた。
「いいか、山田君。我々はたった一度だけ過去に干渉できる。これは人類の存続をかけた最後の賭けだ」と白髪の老学者は言った。「2075年の今、我々は取り返しのつかない気候危機の中にいる。あのとき世界がローマクラブの警告に本気で耳を傾けていれば...」
「分かっています、先生」
装置に乗り込む前、山田は小さな金属製の箱を受け取った。
「これは?」
「未来—我々の現在—のデータだ。1972年に持っていく証拠だよ」
ローマ、1972年6月。
国際会議の会場には世界各国の指導者や科学者が集まっていた。ローマクラブの『成長の限界』の発表から数週間が過ぎていた。
突然、会場の中央に光が走り、一人の東洋人男性が現れた。
「私は2075年から来ました」
一瞬の混乱の後、警備員が駆け寄ろうとした。
「待ってください!あなた方に見せるものがあります」
山田は箱を開け、小さな装置を取り出した。それは空中にホログラムを投影した。
「これが2075年の地球です」
映し出されたのは、異常気象に苦しむ各地の映像。海面上昇で水没した都市、巨大ハリケーンで破壊された街、干ばつで砂漠化した農地、絶滅した何千もの生物種のリスト...。
「これは石油や石炭の使用を続けたことで引き起こされた気候変動の結果です。私たちの世界では、おおよそ25億人が気候難民となっています。食料生産は半減し、世界的な飢餓が広がっています」
会場は静まり返った。
「ローマクラブの予測は正しかった。しかし、あなた方は主に『資源の枯渇』に注目した。実際に人類を脅かしたのは、化石燃料の燃焼による気候の破壊でした」
山田は続けた。
「2075年の科学者たちは、1970年代が『分岐点』だったと結論づけています。この10年間に脱炭素への転換を始めていれば、最悪の事態は避けられたはずです」
「どうすればいいのだ?」とある政治家が尋ねた。
「私が持ってきたデータには、今から取るべき対策が含まれています。化石燃料の段階的廃止、再生可能エネルギーへの大規模投資、エネルギー効率の改善、森林保全...」
山田は装置から別のデータを投影した。
「これが現在から対策を取った場合の2075年の姿です」
緑豊かな都市、クリーンエネルギーで動く交通機関、持続可能な農業、繁栄する経済...。
「成長と持続可能性は両立できます。しかし、『成長』の定義を変える必要があります。GDPだけでなく、幸福度や環境の質も含めた新しい指標を...」
瞬く間に50年が過ぎた。
山田が目を覚ますと、見知らぬ病院のベッドに横たわっていた。
「よかった、意識が戻りましたね」と微笑む医師。「あなたは時間旅行の影響で記憶喪失になっています。今は2025年です」
山田は混乱した。「私の使命は?ローマクラブは?」
医師は訝しげな顔をした。「ローマクラブ?ああ、あの古い環境団体ですね。彼らの予測に基づいて1970年代に始まった『グリーン革命』のことですか?」
山田の顔に希望の光が差した。
「あなたの記憶を取り戻すのに役立つかもしれません」と医師は言って、タブレットを渡した。
それには「2025年世界の現状」と題された資料が表示されていた:
世界のエネルギー供給の78%が再生可能エネルギー
過去30年間で森林面積が23%増加
大気中CO2濃度は安定、気温上昇は1.2℃で抑制
世界共通炭素税により、カーボンバジェット制度が機能
2020年に達成されたプラスチック使用ゼロ
20億人がユニバーサルベーシックリソース(食料・水・エネルギーの基本保障)の対象に
「医師、質問があります」と山田は言った。「デニス・メドウズはどうなりましたか?」
「メドウズ博士ですか?『成長の限界』の主著者ですね。彼は国連持続可能社会委員会の初代委員長を長年務め、現在85歳ですが、今でも環境政策の助言者として活躍されています。昨年の国連気候サミットでも基調講演をされましたよ」
山田は深くため息をついた。
「そうですか...」
「人類が持続可能な社会へと転換できたのは、彼のような先見性を持った人々のおかげです」と医師は続けた。「もし彼らの警告が無視されていたら、今頃私たちはどんな世界に生きていたか想像もつきません」
山田はうつむき、小さくつぶやいた。
「私には想像できます」
窓の外には、太陽光パネルで覆われた屋根、垂直農園のある高層ビル、電気自動車だけが行き交う街並みが広がっていた。
「ところで」と医師が言った。「あなたの持ち物の中に不思議なものがありました」
医師は小さな金属製の箱を差し出した。山田はそれを受け取り、開けてみた。
中には一枚のメモがあった。
「任務完了。未来は変わった。2075年の私たちは存在しなくなる。さようなら、そしてありがとう」
山田は静かに微笑んだ。
過去を変えることで、彼の知っていた悲惨な2075年は存在しなくなった。そして、その世界から来た彼自身も、いずれ消えるのだろう。
しかし今、窓の外に広がる新しい2025年の世界は、かつての彼の世界より、はるかに明るかった。
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