チキン帝国 ―地球を救った男の告白― 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
以下の音声は、チキン・マート創業者ジョセフ・ウィング(2032年ビジネス界最高権威「気候変革者賞」受賞者)の臨終録音から書き起こされたものである。録音日:2049年5月17日
……聞こえてるかな?あー、ちゃんと回ってる?テープ。
今は……87歳、らしい。医者はもう長くないって言ってる。最近はモルヒネが効きすぎてて、時々、夢と現実の区別がつかない。でも、これだけは言っておきたい。全部を、全部は無理でも……できるだけ。
いつだったか……2023年?いや、2024年の初めだったかもしれないな。国連の気候サミットで、あの日、赤いワンピースを着たローズと一緒だったのは覚えてる。不思議なもんで、大事な数字は忘れても、そういう細かい映像が頭にこびりついてるんだよな。
「畜産由来メタンガス」、あれが正式に気候変動の元凶として認定された日だった。あの瞬間、俺は小さな冷凍鶏肉工場のオーナーだったんだけど、ビリビリときたんだ。直感で、「牛の時代は終わる。鶏の時代が来る」って。
なぜ鶏かって?単純な話さ。牛肉1キロ作るのに出る温室効果ガス、鶏の4倍以上。学者たちは「タンパク質変換効率が〜」とか難しい言葉を使ってたけど、要は、牛ってのはガス出しながら太るデカブツで、鶏はちっちゃくて効率いい、ってことだ。そんな言い方、もちろん公式の場ではしなかったけどね。
あれは……たしかシカゴ南部のモーテルのロビーだった。ぼろっちい場所だったけど、そこにいたんだ。2024年の……春。たぶん3月末か、4月の頭。雨が降ってて、ロビーのテレビじゃカブスが負けてた。アンディ・ワシントン通りの1号店、今でもあるんだろうか。
「食べて救う、地球の未来」――それがスローガン。なんか、今思えばちょっと安直だったかもな。でもその時は本気だったんだ。メール見るのが毎朝楽しみでね。売上がどんどん跳ね上がって、俺は興奮してた。
2027年、「カーボンフットプリント表示法」が通った。あれも俺が後押しした。いや、後押しって言えば聞こえはいいけど、裏で動かしたさ。圧力かけたり、ちょっと脅しみたいなこともした。正しいことだったのか?うーん……分からない。いや、当時も分かってたんだけど、見ないようにしてたんだと思う。
牛肉には赤い「高排出」ラベル、うちの鶏肉には緑の「気候保全認証」。赤と緑。悪と善。まるで交通信号だ。シンプルすぎて、馬鹿みたいだったけど、それが人々にはウケたんだ。
それから……2030年代だったかな。「気候食料安全保障委員会」の議長になった。で、あの日だ。演説の最中、黒いスーツを着たガリガリの男が前列にいて、ずっと笑ってた。不気味な笑み。誰かは分からない。でも、あれは俺の良心が具現化した姿だったんじゃないかと、今では思う。
俺の講演、「肉食の未来」は話題になった。日本、EU、ついにはアメリカも、牛肉に炭素税をかけた。うちのチキン・マートはその間にどんどん伸びて、2035年には世界一の食肉企業さ。「鶏のウォルマート」って呼ばれてたけど、そのウォルマートすら超えちまった。
俺は政治家を育てた。「気候保全派」ってやつらを。彼らは次々に「牛肉規制法」を通していった。牛肉は「環境犯罪」とされ、俺たちの帝国はどんどん広がった。
2040年くらいには、世界の牧草地の8割?9割?が転換された。そのうち3分の1以上がうちの持ち物になった……らしい。広報が言ってた数字だけど、あれも怪しい。もっと多かった気がするよ。
チキン・マートでは年に……400億?いや、たぶん500億羽くらいの鶏を処理してた。世界の半分に肉を供給してる、って言われてた。
でもな……
(19秒間の沈黙)
……水を、ちょっと。
(水を飲む音)
……正直に話そう。俺たちは……本当に地球を救ったのか?誰も言わないけど、真実ってやつがある。
俺たちの「効率的」な鶏の生産システム……まあ、要するに工場だ。抗生物質漬けで、ぎゅうぎゅうに詰めて、機械でさばいて……そんなもん、効率以前に、地獄だった。
排水?ああ、笑えるよ。俺たちは川を殺したんだ。生きた川を、死んだ下水に変えた。でも当時の俺は、それが見えなかった。いや、見たくなかったんだ。
鶏の福祉より金、環境より利益。
「牛が悪、鶏が善」って神話、それは俺が作ったものさ。本当は知ってたんだ。放牧型の牛は土壌に炭素を固定して、生態系を守ってるって。でも、それを認めたらビジネスにならない。だから、無視した。それだけだ。
去年、モンタナ州の最後の牛牧場に行った。リマインダー山脈のふもと。夕暮れ時で、空気が澄んでて、牧草の香りが鼻に残ってる。電気自動車のタイヤが砂利道をきしませる音が、妙に耳についた。
そこは文化遺産として保護されてた牧場だった。そこで会った老牛飼い。手はごつごつで、優しく牛を撫でてた。
彼は俺のことを知らなかった。世界中の牛飼いたちの職を奪ったこの俺を、だ。
でも彼は、牛と大地と一緒に生きる喜びを語った。俺が捨てたもの。忘れていたものだった。
その男は、祖父から受け継いだナイフを見せてくれた。「これで60年、牛の世話をしてきた」と言った。俺は……何も言えなかった。俺のオフィスの引き出しにも、古いナイフがある。父のものだ。
父は小さな肉屋をやってた。借金抱えて死んだ。俺は父と違う道を選んだ。で、ちゃんと違う道を歩んださ。
(咳)
……今、俺のチキン帝国は、世界を制してる。完全自動化された密閉施設で、何十億もの鶏が育てられてる。俺は「気候の英雄」と言われた。
でもな。最近、夢に牛が出てくるんだ。でっかい瞳で、俺を黙って見てる。何も言わない。ただ……見てるんだ。
心が……空っぽだ。何かが失われた。食の多様性?文化?いや、それだけじゃない。動物と人間と、大地の……古い絆。たぶん、それだ。
もし、もしもう一度人生をやり直せるなら、俺は……(咳)……牛飼いに……(咳き込み)ナース……ナース……おれの……おれの……(かすれた声)……録音を……
(録音終了、ノイズ)
【編集者注】:この録音は、ウィング氏の死後3日目、長年の秘書だったマリア・ゴンザレスによって公開された。彼女は、死の直前に病室から追い出されたと主張している。チキン・マート社広報部はこれを「悪意ある捏造」と否定したが、ゴンザレスはニューヨーク・タイムズのインタビューで、「彼は自分の過ちを認めたかった。そして私は、それを叶えただけ」と語っている。この記録が公開されたことで、「肉食の未来」を巡る議論が、世界中で再燃している。
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