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ジモティの夜明け 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

森田は南浦和のマンションの廊下で、タブレットを開いていた。午後5時17分。会社から帰ってきたばかりだが、もう習慣になっている。メルカリの出品価格チェックを怠ると、転売の利益が一気に落ちるからだ。

今日も順調だった。先週仕入れた任天堂の限定コントローラーが3つ売れている。札幌、大阪、福岡への発送だ。コンビニから送れば明日には届く。転売と言われるのは癪に障るが、需要と供給の調整をしているだけだ。そう自分に言い聞かせてきた。

「また転売?」

妻の声が聞こえた。食事の支度をしながら、少し呆れた調子で。結婚15年目、彼女も慣れたものだが、時々こんな風に言う。

「副業だよ、副業」森田は答えた。「来年の娘の塾代のためにも」

実際、月に5万円程度の収入になっている。サラリーマンの給料だけでは厳しい時代だ。メルカリのおかげで、東京から沖縄まで、どこにでも商品を送れる。グローバル化の恩恵というやつか。しらんけど。


ニュースを見ていたのは、その日の夜だった。NHKの9時のニュースで「地域配送制限法」の話が出た時、森田は最初、よく理解できなかった。

「2032年4月より、フリーマーケットアプリでの個人取引について、環境負荷軽減を目的として都道府県内配送に制限する法律が成立しました」

キャスターの声が妙に遠く聞こえた。画面には、物流トラックから排出されるCO2のグラフが映っている。運輸部門の排出量が全体の19.2%を占めているという。

「個人転売による不要な配送が年間約280万トンのCO2を排出している」という環境省の試算も紹介された。これは東京ドーム約2,200個分の体積のCO2に相当するらしい。

森田の頭の中が混乱した。札幌の顧客に商品を送れなくなる?大阪の高値で買ってくれる人とは取引できない?

「ついでにフードロスも減るかもね」と妻が言った。「あのマクドナルドのおもちゃの件とかさ。ハンバーガー捨てて配送料払って、結局赤字でしょ?」

確かにその通りだった。転売ヤーという言葉を使われるのは嫌だが、効率の悪い商売をしている人も多い。でも自分は違う。計算して、合理的にやっているつもりだった。


翌朝の通勤電車で、森田はスマホでメルカリのニュースを検索した。メルカリの株価が前日比15%下落している。「全国配送が売りだった同社に大打撃」という見出しが躍っていた。

同僚の田中が話しかけてきた。「森田さん、例の法律、影響あります?」

田中も森田が副業をしていることを知っている。別に隠していたわけではない。

「まあ、ちょっとね」森田は曖昧に答えた。「でも埼玉内だけでも需要はあるでしょ」

本当はそんなに楽観的ではなかった。埼玉県だけで商売が成り立つのか。人口約730万人。決して少なくはないが、全国1億2000万人の市場とは比べものにならない。

昼休みに会社のパソコンでジモティーを見てみた。これまでほとんど使ったことがなかった。地元の掲示板、という印象だった。家具や家電の譲渡が多く、手渡しが基本。配送する場合も「ジモティー便」という近距離専門のサービスがあった。

「家具・インテリア - 埼玉県」の欄を見ると、思った以上に投稿が多い。ソファー、テーブル、冷蔵庫。価格もメルカリより全般的に安い。配送費がかからない分、出品者も買い手も得をする仕組みなのか。

なんとなく、昔の御用聞きのような懐かしさを感じた。子供の頃、豆腐屋のおじさんが近所を回っていたのを思い出す。あの頃の商売は、みんな地域密着だった。


その後の数ヶ月間、メルカリの迷走は続いた。

まず「県内配送限定機能」をリリースしたが、ユーザーの不満が爆発した。これまで全国から集めていた希少商品が見つからない。地方のユーザーは「商品の選択肢が激減した」と苦情を寄せた。

次に「隣接県配送可能」という緩和策を出したが、今度は「隣接県の定義」で混乱が起きた。海を挟んでいる場合はどうするのか。神奈川県と千葉県は隣接しているのか。

システムの改修費用もかさみ、メルカリの業績は急速に悪化した。一方で、もともと地域密着だったジモティーは、新法に完全に準拠しており、ユーザー数が急増していた。

森田も、試しにジモティーに出品してみた。埼玉県内の人だけが対象だが、意外に反応が良い。しかも、取りに来てくれる人が多いため、配送の手間がない。

「森田さん、お疲れ様でした」

近所に住む年配の男性が、森田から中古のゲーム機を受け取りに来た。手渡しで現金をもらう。懐かしい感じだった。

「孫が喜ぶと思います。ありがとうございました」

男性の笑顔を見ていると、これはこれで悪くないな、と思った。顔の見える取引。配送の二酸化炭素も出ない。

でも同時に、何か大切なものを失った気もした。全国の誰とでも商売できる自由。情報と物流のボーダーレス化。それが当たり前だと思っていたのに。


2032年12月15日。

森田は朝のニュースで衝撃的な発表を見た。ジモティーがメルカリを買収すると発表したのだ。買収額は公表されていないが、メルカリの時価総額から考えると破格の安値だろう。

「地域密着型フリマサービスの完全統合を目指す」というジモティーのCEOのコメントが流れた。これまでマイナーだったジモティーが、突然巨大企業になった。

森田の携帯に、メルカリからプッシュ通知が来た。「メルカリ、ジモティーとの統合によりサービス一新!地域の繋がりを大切にした新体験をお届けします」

なんだか皮肉だった。グローバル化の象徴だったメルカリが、地域密着のジモティーに飲み込まれる。まるで時代が逆回りしているようだ。

「良かったじゃない」と妻が言った。「元々近所の人と取引する方が安心でしょ」

確かにそうかもしれない。でも何か釈然としなかった。これで本当に地球が救われるのだろうか。

スマホでジモティーを開くと、新しい通知が来ていた。「さいたま市内限定!希少フィギュア出品中」

森田は思わず笑った。結局やることは同じだ。ただ、商圏が狭くなっただけ。

でも考えてみれば、これはこれで面白いかもしれない。地域の中で、誰がどんなものを欲しがっているのかが見えてくる。近所の人たちの趣味や暮らしぶりが、なんとなく分かってくる。

森田は、ためしに「南浦和周辺で譲ります」と書いて、不要になった本を出品してみた。

1時間後、隣の駅に住む主婦から連絡が来た。「今度お散歩がてら取りに伺います」

悪くない。これも一つの生き方だ。

ただ、胸の奥に小さなさざ波のような感情が残っている。これで本当に正しい方向に進んでいるのか、まだ分からない。


この作品はフィクションです。

実在の人物、企業、団体、事件、場所の名称等が登場しますが、これらは創作上の演出であり、実際の人物、企業、団体の活動、方針、業績、将来性等について言及・評価・予測するものではありません。作品中の出来事、人物の言動、企業活動の描写は全て作者の想像によるものであり、実在の人物、企業、団体とは一切関係がありません。


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