戦争の炭素経済学 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
2035年、秋。マドリードで開催された国連気候変動枠組条約第40回締約国会議(COP40)は、夜を徹した交渉の末、画期的な決議を採択した。
「あらゆる軍事活動においても、カーボンニュートラルの達成を義務付ける」
会議場では、疲れきった各国代表が互いに目配せしながら署名した。多くの外交官は、この決議を単なる象徴的なジェスチャーとして受け止めていた。防衛問題と環境問題を同列に扱うなど、現実的ではないという暗黙の了解があった。
米国代表のハリス国務次官は、ホテルに戻る車中で側近に漏らした。 「実務的な影響はないだろう。軍事活動に炭素排出規制?笑わせる」
当初、この決議は確かに象徴的なものとして扱われていた。会議の後、代表団は帰国し、通常の業務に戻った。時折メディアで取り上げられる程度で、具体的な対応は後回しにされていた。
しかし、状況は一変する。
スウェーデンの環境NGO「グリーン・フューチャー」の若手活動家、エリカ・ヨハンソンが中心となって設立した市民監視団体「ウォー・カーボン・ウォッチ」が、各国の軍事活動による炭素排出量の追跡を開始したのだ。
エリカは二十代半ばの環境工学者。彼女の祖父は軍需工場で働いていたが、晩年は環境活動に情熱を注いでいた。その遺志を継ぎ、彼女は軍事と環境の接点に注目するようになった。
「私たちが調査を始めたきっかけは単純です」エリカは後にインタビューで語った。「誰も本気で計算していなかったから」
彼女たちのチームは、ハッキングや内部告発ではなく、公開情報の地道な収集と分析によって、軍事活動の環境負荷を明らかにしていった。
2036年5月、パリのユネスコ本部。「ウォー・カーボン・ウォッチ」は初の大規模な記者会見を開いた。窓の外では、セーヌ川に初夏の陽光が反射している。
「驚くべき事実が判明しました」
エリカの声は小さかったが、マイクを通して会場に響き渡った。青いブラウスを着た彼女の背後では、巨大スクリーンに炭素排出量のグラフが映し出されている。
「世界の軍事活動による年間CO2排出量は、航空業界全体の排出量を上回っています。特に現代の戦争は、かつてないほど炭素集約的になっています」
彼女のプレゼンテーションは冷静で、感情的な訴えは含まれていなかった。それがかえって衝撃的だった。
データによると、最新鋭の戦闘機1機が1時間のミッションで排出するCO2は、一般家庭の年間排出量に匹敵した。巡航ミサイル1発の製造と発射による炭素排出量は、中型自動車の製造時の排出量の約5倍だった。
記者会見の映像はソーシャルメディアで拡散された。「#WarCarbon」というハッシュタグが世界中でトレンド入りし、各国政府は対応に追われた。
「我が国の国防戦略は、国家安全保障とカーボンニュートラルの両立を目指します」
初夏の暑さの中、ペンタゴンの報道室で米国防長官は汗を拭いながらそう声明を出した。各国の軍部は表向き協力的な姿勢を示したが、内部では混乱が広がっていた。
2037年、北欧の森に囲まれたノルウェーの軍事訓練場。世界初の「グリーン軍事演習」が実施された。
「今回の演習では、全活動のカーボンフットプリントをリアルタイムで計測し、相当するカーボンオフセットを同時に実施します」
NATOのストルテンベルグ事務総長は、雨粒が滴る髪を気にしながら説明した。彼の背後には未来的なデザインの司令部テントが立ち、その前に巨大なデジタルボードが設置されていた。
ボードには、演習による累積CO2排出量と、それに対応して植林されている木の本数がカウントされている。報道陣が艦艇の発進を撮影する様子を眺めながら、ある将軍は側近に小声で愚痴をこぼした。
「これでは戦争どころか、演習もまともにできん」
彼の懸念は的中した。この「カーボンニュートラル演習」は予想外の困難に直面したのだ。装甲車両の移動、戦闘機の発進、砲撃訓練、それぞれが想定以上の炭素排出をもたらした。植林だけでは到底間に合わないほどの排出量が生じたのだ。
演習の規模は縮小され、最終的には予定の3分の1で終了した。参加した兵士たちは、残りの日程を「環境回復活動」に転用させられた。迷彩服姿で苗木を植える兵士たちの写真は、皮肉なイメージとして各国のメディアで取り上げられた。
2040年、中東の緊張は高まっていた。イランとサウジアラビアの間で、石油施設をめぐる領有権争いが過熱していた。衛星写真には、国境近くに集結する両国の軍隊が映し出されていた。
「もし開戦すれば、両国は国連カーボンニュートラル条約違反で制裁を受けることになる」
ニューヨークの国連本部から、事務総長は静かな口調で警告した。彼の言葉は表面上は穏やかだったが、その背後には新たな国際秩序の力学が働いていた。
イランの最高指導者とサウジアラビアの皇太子は、それぞれの軍事参謀に指示を出した。
「軍事作戦のカーボンフットプリント評価を実施せよ」
両国は独自に評価を行い、その結果は衝撃的だった。報告書を受け取ったサウジアラビア皇太子は、豪華な執務室の窓に向かって立ったまま、しばらく黙り込んだという。
「小規模な武力衝突でさえ、両国の年間炭素排出量の許容量を超えてしまう」
戦争を実施するには、他のすべての産業活動を数ヶ月間停止させるか、あるいは天文学的な炭素税を支払う必要があった。どちらの選択肢も、政治的・経済的に自殺行為に等しい。
結局、両国は交渉のテーブルに着いた。リヤドの宮殿で行われた会談では、両国の外相が握手を交わした。
「戦争は環境的に持続可能ではない」
という公式声明が発表された。会見場では、背後に両国の国旗と共に、緑色の「カーボンニュートラル」フラッグが掲げられていた。
2045年、世界は奇妙な平和を経験していた。大国間の緊張は続いていたが、実際の武力衝突は激減していた。
「カーボンニュートラル規制が、核抑止力以上に効果的な戦争抑止力になっている」
ケンブリッジ大学の安全保障専門家、ジェームズ・フォスターはそう分析した。彼の研究室の壁には、「戦争と平和の炭素経済学」というタイトルの論文が飾られていた。
各国の軍部は、低炭素戦争の方法を模索した。水素燃料電池を使った静かな潜水艦、太陽光パネルを備えた無人偵察機、電気モーターの戦車など、様々な技術が試験されていた。
しかし、現代の高度技術を用いた戦争は、その本質上、炭素集約的だった。ミサイル、戦闘機、戦車、艦艇、すべてが大量のエネルギーを消費し、大量のCO2を排出した。
皮肉なことに、最も「環境に優しい」戦闘方法は、弓矢や木製の槍などの原始的な武器だった。
バヌアツという小さな島国の国防大臣は、国際会議で立ち上がり、微笑みながら発表した。
「我々は世界最初の完全カーボンニュートラル軍を目指します。兵士たちは有機栽培された綿の制服を着用し、手作りの木製武器を使用します」
会場ではクスクスと笑いが起きた。この「エコ軍」は他国から笑いものにされたが、バヌアツは国連から特別環境貢献賞を受賞した。そして驚いたことに、彼らの観光収入は急増した。
2050年、世界の軍事予算の配分は劇的に変化していた。
ロンドンの国会議事堂。雨の音が窓を叩く中、英国防相はデジタル資料を映し出しながら説明した。
「我が国の国防費の60%は森林保護と再生可能エネルギー開発に投資されています。残りの40%で、実際の防衛力を維持しています」
議員たちの表情は複雑だった。かつて世界有数の軍事大国だった英国は、今や「防衛力の大部分は抑止力にある」と主張するようになっていた。
世界の軍隊は縮小し、その役割は変化した。多くの兵士たちは植林活動や生態系回復プロジェクトに従事するようになった。軍の採用広告には「国を守り、地球を救え」というスローガンが踊っていた。
アフリカの一部地域で偶発的な国境紛争が発生した時、指揮官たちはまず炭素計算機を確認した。若い将校が古参の司令官に尋ねる。
「この作戦のカーボンフットプリントは?」
かつては「敵の戦力は?」が最初の質問だったが、今では炭素排出量の計算が同様に重要になっていた。作戦の一部は取りやめになり、より「効率的な」方法が選択された。
2060年、国連は特別報告書を発表した。タイトルは「カーボンニュートラル条約がもたらした予期せぬ平和」。
国連本部のホールでは、かつての「ウォー・カーボン・ウォッチ」の創設者エリカが壇上に立っていた。白髪交じりになった彼女は、静かな声で語った。
「軍事活動へのカーボン規制の導入が、世界平和への最短の道だったとは誰も予想していなかった」
報告書は冷静な分析トーンで結論づけていた。化石燃料をめぐる争いによって始まった多くの紛争が、皮肉にも炭素排出規制によって終わりを告げたのだった。
人類史上初めて、世界のほぼ全地域で持続的な平和が実現した。それは高尚な道徳的理由からではなく、単に戦争があまりにも「環境コスト」の高い活動になったからだった。
エリカの隣には、彼女と共に活動してきた環境活動家で、今や90歳を超えるヨハン・ベリマンが座っていた。記者たちの質問に答えて、彼はかすれた声で言った。
「私たちが救おうとした地球が、結局は私たちを救ったのかもしれない」
彼の目には涙が光っていた。それは喜びの涙なのか、それとも人類の皮肉な運命に対する感慨なのか、誰にもわからなかった。
国連本部の壁には新しいモットーが掲げられた。LEDの光で静かに輝く言葉。
「持続可能な地球のために。そして予期せぬ平和のために」
外では、春の風が木々の若葉を揺らしていた。
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