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永遠の固定 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

「手荒いことをしてごめんなさい」

唐突にそう言って彼女は指輪を返してきた。プロポーズから3ヶ月、順調に結婚準備を進めていたはずだった。指輪の中央に鎮座する小さなダイヤモンドが、事務所の蛍光灯の下で無機質に光る。

「どういうこと?」

「このダイヤ、どこで買ったの?」

「えっ、銀座の老舗だけど…」

「天然もの?」

「もちろん」

沙織は深いため息をついた。「それが問題なの」

この会話が、私がカーボンキャプチャー・ダイヤモンド(CCD)の世界に足を踏み入れるきっかけだった。


2046年、地球温暖化対策は新たなステージに入っていた。二酸化炭素の排出削減だけでは間に合わず、既に大気中にある炭素を回収・固定する技術が急速に発展していた。その最先端が、大気中から回収した炭素をダイヤモンドに変換する「CCD技術」だった。

沙織は環境工学を専攻し、カーボンリサイクル研究所に勤めていた。彼女にとって、天然ダイヤモンドは「過去の採掘による環境破壊の象徴」であり、新時代の婚約指輪は「脱炭素の証」であるCCDでなければならなかったのだ。

翌週末、沙織は私を東京湾岸の巨大な施設に連れて行った。「カーボン・トゥ・ダイヤモンド」社の製造拠点だ。

「ここでは一日に5トンのCO2を回収して、約1キロのダイヤモンドを生成しているの」

ガラス越しに見える工場内部では、巨大な筒状の装置が並んでいた。

「左側のタワーがDAC(Direct Air Capture)装置。大気中からCO2を直接回収するの。そのCO2は水素と反応させてメタンに変換され、特殊な反応炉でダイヤモンドの種結晶の上に炭素を堆積させていくわ」

「でも、このプロセス自体もかなりのエネルギーを使うんじゃないの?」

彼女は屋上を指差した。「見て」

施設の屋上と周辺には、太陽光パネルと風力タービンが広がっていた。

「このプラントは100%再生可能エネルギーで稼働しているの。だから、作られるダイヤモンドは真のカーボンネガティブ製品なの」


一ヶ月後、私たちは再びあの宝石店を訪れた。今度はCCD専用ブースへ。店員が笑顔で白い箱を差し出す。

「こちらが、お二人の炭素固定証明書付きダイヤモンドです」

箱の中のダイヤモンドは、以前のものよりわずかに青みがかっていた。

「この色合いは、大気から回収した炭素特有のものです。天然ダイヤモンドには出せない、プレミアムな証です」

証明書には、このダイヤモンドが固定した炭素量と、それが回収された日時、場所が記されていた。

「ご存知でしたか?このダイヤモンド一つで、成人一人が約1週間で排出する炭素量を相殺できるんですよ」

沙織は満足そうに微笑んだ。

「指輪だけじゃなくて、結婚式も全てカーボンネガティブにしたいの」


私たちの結婚式は、東京からそう遠くない山中の小さな村で行われた。この村は「炭素固定特区」に指定されており、様々な最新技術が導入されていた。

披露宴会場は「カーボンネガティブ・ホール」。内装に使われた木材は全て持続可能な森林から調達され、壁には空気中のCO2を吸収する特殊なパネルが埋め込まれていた。

引き出物として、参列者一人一人に小さな「パーソナルCCDキット」が配られた。これは家庭で小さなダイヤモンドのアクセサリーを作れる装置で、日々の生活で排出するCO2の一部を固定することができる。

式の最後に、司会者が宣言した。

「本日の結婚式で使用されたエネルギーと資材、そして参列者の移動による炭素排出量は、合計で約5トンでした。しかし、この式で採用された様々な炭素固定技術により、合計6.8トンの炭素が回収・固定されました。つまり、この結婚式は地球にマイナス1.8トンの炭素負荷をもたらした、真のカーボンネガティブ・セレモニーだったのです」

拍手が沸き起こる中、沙織は私の耳元で囁いた。

「これからの毎日も、ずっとマイナスエミッションの人生にしていこうね」


結婚から10年後、私たちには8歳の娘がいた。彼女の誕生日に、私たちは特別なプレゼントを用意した。

「これは何?」と娘は小さな透明の立方体を不思議そうに見つめた。

「これはね、あなたが生まれた年の大気から作られたダイヤモンドなの」と沙織が説明した。「あなたが生まれるまでに、お母さんとお父さんが排出した炭素をすべて固定したものよ」

娘はまだ理解できないようだったが、キラキラ光るダイヤモンドに魅了されていた。

「でも、どうしてこんな小さいの?」

沙織と私は顔を見合わせて笑った。

「小さいでしょう?それはね、私たちがあなたのために、できるだけカーボンフットプリントを小さく生きてきたからなの」

その晩、娘が寝静まった後、私たちはベランダで夜空を見上げていた。

「昔の人は、炭素を大気に放出して生活していたのよね」と沙織がつぶやいた。

「そう、それが当たり前だった。でも今は、排出した分は全て回収して固定する。それが当たり前になった」

私は結婚指輪のダイヤモンドを見つめた。10年前は少し青みがかっていたが、今では深いブルーに変わっていた。これは時間経過によるCCDの特徴だという。大気由来の微量元素が結晶内部で変化するからだ。

「このダイヤモンドは何万年も変わらない形で存在し続けるのよね」と沙織が言った。「私たちが大気から取り出した炭素は、永遠に固定されるんだわ」

夜空に星が輝いていた。その中のいくつかは、既に消滅した恒星の光かもしれない。しかし私たちの作ったダイヤモンドは、地球が存在する限り、固体として残り続けるだろう。

それは永遠とは言えないかもしれないが、少なくとも人間の時間スケールをはるかに超えた「永続性」を持っていた。かつて大気を汚染していた炭素が、今や美しいダイヤモンドとして固定される。

その夜、私は思った。人類の大きな過ちを、美しい結晶に変えていく。それは贖罪であると同時に、希望の象徴でもあるのだと。

#創作大賞2025 #お仕事小説部門 #カーボンダイエット #ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集 #創作記録

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