カーボンニュートラル配送のパラドックス 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
佐藤の配送トラックは、今日も黒い排気ガスを吐きながら都内を走り回っていた。13年目の2トン車だ。燃費は悪いし、排ガス規制もギリギリ。でも会社は「カーボンニュートラル配送達成!」と胸を張っている。
午後3時過ぎ、いつものマンションの8階に荷物を届けに行った。受取人は30代の女性で、いつも環境の話をする人だった。
「あ、今日もありがとうございます」彼女は荷物を受け取りながら言った。「ヤマトさんって、カーボンニュートラル配送になったんですよね?素晴らしいじゃないですか」
佐藤は微笑みながら頷いたが、内心は複雑だった。昨日の朝礼で聞いた話を思い出す。
「皆さん、我が社は世界初のISO認証を受けたカーボンニュートラル配送を実現しました!」
営業所の所長が興奮気味に説明していた。壁には新しいポスターが貼られている。「カーボンニュートラル配送 - 地球にやさしい宅急便」。
「でも所長、俺たちのトラック、まだ普通のディーゼル車じゃないですか?」
ベテランの田中が率直な疑問を口にした。
「ああ、それはですね…」所長は資料をめくった。「我々の排出量は、インドの太陽光発電プロジェクトで相殺されているんです。カーボンオフセットというやつです」
「インド?」佐藤は首をかしげた。「俺たちが排出したCO2をインドの太陽光で相殺って、なんか変じゃないですか?」
「いえいえ、これは国際基準に基づいた正式な仕組みなんです」所長は困ったような顔をした。「246万トンの排出量を、全部クレジットで購入して…えーっと、とにかく計算上はゼロになるということです」
会議室がしらけた空気に包まれた。
「どういう仕組みなんですか?」マンションの女性が興味深そうに聞いてきた。
佐藤は言葉に詰まった。正直に説明すべき?それとも会社の建前を繰り返すべき?
「まあ、その…色々と工夫してるみたいで」
曖昧に答えながら、佐藤は昨夜同僚の鈴木と飲んだときの会話を思い出していた。
「おかしくない?俺たちのトラック、相変わらず燃費悪いし、排ガス臭いし。でも会社は『カーボンニュートラル』って言ってる」
「俺もそう思うよ」鈴木はビールを飲みながら言った。「本当にエコにするなら、まずトラックをEVに変えるべきじゃん。でも経費削減で古い車両ばっかり使わされてる」
「EV導入計画もあるって言ってたけど、2030年までに23,500台って…7年もかかるじゃん」
「その間ずっと『カーボンニュートラル』って宣伝し続けるのかな」
二人は苦笑いした。
「あの、一つ気になることがあるんですが」女性が遠慮がちに言った。「カーボンニュートラルって言っても、実際にはまだ普通のトラックで配送してますよね?それで本当にエコなんでしょうか?」
佐藤の胸がドキンとした。まさに自分が感じていた疑問を、顧客に直球で聞かれてしまった。
「そうですね…」佐藤は額の汗を拭いた。11月だというのに妙に暑い。「確かに僕らのトラックはまだ…その、従来通りなんですが、会社全体としては…」
言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなった。
女性は佐藤の困惑した表情を見て、優しく微笑んだ。
「きっと複雑な事情があるんでしょうね。でも、現場で頑張ってる佐藤さんには本当に感謝してます」
配送車に戻った佐藤は、しばらくハンドルを握ったまま動けなかった。
エンジンをかけると、いつもの排気音が響く。マフラーから出る白い排気ガスが、午後の陽光に薄く煙って見えた。
ふと、スマートフォンで「カーボンオフセット」を検索してみた。
『自社内で削減しきれない温室効果ガス排出量を、他所の削減活動に投資することで相殺する仕組み』
『批判として、根本的な排出削減への取り組みを先送りにする口実に使われることがある』
『特に海外のプロジェクトでは、実際の削減効果が疑問視される場合も』
佐藤はため息をついた。インドの太陽光発電所の写真も出てきた。確かに立派な施設だ。でも、それと自分のトラックの排気ガスが相殺されるという理屈が、どうしても腑に落ちない。
スマートフォンを閉じ、次の配送先へ向かった。信号待ちで止まっている間、隣の車線に電気トラックが並んだ。静かで、排気ガスもない。
「いつになったら、俺たちもあんなトラックに乗れるんだろう」
つぶやきながら、佐藤は夕日に向かってアクセルを踏んだ。排気音がいつもより大きく聞こえた気がした。
その夜、家で妻に今日の出来事を話した。
「それって、要するに帳簿上だけの話ってこと?」妻が端的に聞いた。
「うん、まあ…そんな感じかな」
「でも、それって詐欺じゃないの?」
「詐欺って…国際基準に基づいてるから、違法じゃないよ」佐藤は言い訳のように答えた。
「合法だけど、なんか変よね」妻は首をひねった。「本当にエコにしたいなら、まずトラック変えるべきじゃない?」
その通りだ、と佐藤は思った。でも自分にできることは限られている。
翌朝の朝礼で、佐藤は思い切って発言した。
「所長、カーボンニュートラル配送について、お客さんから質問されることが増えてるんですが、現場としてはどう答えたらいいでしょうか?」
所長は困った顔をした。「そうですね…とりあえず、ISO認証を受けた正式なカーボンニュートラル配送だと…」
「でも実際、僕らのトラックは変わってないじゃないですか」田中が口を挟んだ。
「それは…段階的に改善していく予定で…」
「いつまでに?」
「2030年には…」
「あと7年も?」
所長の額に汗が浮かんだ。
「皆さん、気持ちはわかります。でも、これは経営判断として…」
佐藤は諦めにも似た感情を覚えた。結局、現場の声は届かない。そして顧客の疑問にも、満足に答えられない。
その日の配送で、また例のマンションを訪れた。今度は別の住人が荷物を受け取った。
「ありがとうございます。ところで、カーボンニュートラル配送って本当にエコなんですか?うちの車とどう違うんでしょう?」
佐藤は一瞬、言葉を失った。そして、ふと決意した。
「正直に言うと、トラック自体はまだ従来通りなんです。でも会社としては、海外のプロジェクトに投資することで、計算上CO2をゼロにしています」
住人は興味深そうに聞いていた。
「つまり、実際の排気ガスは変わらないけれど、帳簿上は相殺されているということですね」
「はい、そうです」佐藤は素直に答えた。「僕らも早くEVトラックに変わってほしいと思ってるんですが…」
住人は微笑んだ。「正直に教えてくれてありがとうございます。複雑な仕組みですね」
その晩、佐藤は窓際でコーヒーカップを片手に夜景を眺めていた。街には無数の車が走り、工場の煙突から煙が立ち上っている。
カーボンニュートラル。果たしてこの景色は、インドの太陽光パネルで本当に「相殺」されているのだろうか?
妻が隣に来て、そっと肩に手を置いた。
「考え込んでるの?」
「うん。なんだか、おかしな世界だなって思って」
「おかしな世界?」
「みんな『エコ』『エコ』って言うけど、実際には何も変わってない。でも数字の上では『達成』になってる」
妻は少し考えてから言った。
「でも、あなたが正直に話してくれるお客さんは、きっと本当のことを知りたがってるんじゃない?」
「そうかもしれないね」
「それって、意味のあることよ」
佐藤は妻の言葉に少し救われた気がした。少なくとも、嘘をつく必要はない。現実は現実として、正直に伝えればいい。
翌週、会社から新しい指示が来た。「カーボンニュートラル配送について顧客から質問された場合の対応マニュアル」だった。
『当社は国際基準ISO 14068-1:2023に準拠したカーボンニュートラル配送を実現しており、世界初の認証を取得しております』
『具体的な削減手法については、企業秘密に関わる部分もあり…』
佐藤はマニュアルを放り投げた。
結局、何も変わらない。でも少なくとも、自分は正直でいよう。顧客が知りたがっていることには、現場の実情として答えよう。
それが、今の自分にできる、せめてもの誠実さだった。
エンジンをかけると、いつものディーゼル音が響いた。佐藤は小さくため息をつき、ハンドルを握り直した。今日も、「カーボンニュートラル配送」の現実を背負って、街へと向かった。
この作品はフィクションです。
実在の人物、企業、団体、事件、場所の名称等が登場しますが、これらは創作上の演出であり、実際の人物、企業、団体の活動、方針、業績、将来性等について言及・評価・予測するものではありません。作品中の出来事、人物の言動、企業活動の描写は全て作者の想像によるものであり、実在の人物、企業、団体とは一切関係がありません。
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