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浮上する記憶 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

2045年、遠く青い水平線に並ぶ白い風車群を見つめながら、七瀬耕一は古い思い出に囚われていた。船の手すりに寄りかかり、北海道日本海側に広がる「浮体式フローティングウィンドファーム」─かつて彼が命をかけたプロジェクトを眺めている。潮風が彼の白髪交じりの髪を揺らしていた。

「耕一さん、お待たせしました」

背後から声がした。振り返ると、三菱重工の若い技術者、成瀬梨香が立っていた。彼女の眼鏡に海の光が反射している。

「ロボットダイバーの準備が整いました。潜航開始できます」

耕一は無言で頷いた。長年の疲れがその目の隅にくっきりと刻まれている。今日は彼の最後の仕事だった。20年前に設置した第一号機のタービンのデコミッショニング──廃止措置の最終確認だ。二人とも、それが何を意味するか分かっていた。

「ダイブ開始します」

コントロールルームのモニターに、水中カメラの映像が映し出された。ロボットダイバーが深海へと降りていく。薄暗い水中に光が広がる。20年前の彼らのチームは、日本の地形に適した浮体式という新技術に全てを賭けた。地震国の深い海でも風力発電を可能にする革命的な発想だった。

しかし、みな反対した。「コストが高すぎる」「技術が未熟だ」「FITが終わったら採算が合わない」。反対のひとつひとつが刺のように彼の心に突き刺さる。特に三菱商事は、すでに落札していた着床式プロジェクトが巨額の減損で頓挫し、「二度と風力には手を出さない」と公言していた。彼の心臓が痛む。あの当時の会議室の重苦しい空気が、今でも体に染みついている。

耕一は当時の東電リニューアブルパワーの技術者として、命がけで浮体式を推進した。社内でも孤立し、「夢見がちな技術者」と揶揄された。妻は彼の執着に疲れ、息子を連れて実家に帰った。彼女からの最後のメールが頭をよぎる。"あなたと風車と、どちらが大事なの?"

「水深85メートルに到達。基礎部が見えてきました」

モニターに、巨大な浮体構造物が映し出される。海藻が生い茂り、サビた箇所もある。かつて革新的だった技術も、今では時代遅れになっていた。この光景に彼の胸は締め付けられた。

「これが耕一さんの設計したアンカリングシステムですね」梨香が興味深そうに言った。彼女の声には尊敬の念が込められていた。

「ああ」耕一は遠い記憶を手繰り寄せるように頷いた。冷たい手すりを握る手に力が入る。「当時は狂気の沙汰と言われたよ。今ならすべて3Dプリンティングで作れるだろうが、あの頃は手作業の部分も多かった」彼は思わず右手の古い傷跡を見た。試作品の事故で負った傷だ。

「でも、これがなければ今の第五世代浮体式も存在していなかったんです」梨香は真剣な表情で続けた。彼女の瞳が輝いていた。「私、学生の頃に耕一さんの論文を読んで、この業界に入ったんですよ」

耕一は少し驚き、微笑んだ。シワの間に隠れていた表情が少し柔らかくなる。「そうか...皮肉なものだね。私の設計したものを解体するために来たとは」

「違います」梨香は首を振った。「これは解体じゃなく、継承です」

彼女はタブレットを操作し、別の映像を映し出した。画面の光が彼女の顔を青く照らす。そこには新しいプロジェクトの設計図があった。「日韓連携フローティンググリッド」—海底送電ケーブルで日本と韓国を結ぶ、次世代の浮体式ウィンドファームの計画だ。彼の古い設計図の延長線上にあるものだった。

「こちらのプロジェクト、耕一さんにリードしていただけないでしょうか」梨香の声には熱がこもっていた。

耕一は困惑した。額に深いシワが寄る。「私はもう引退だ。今日が最後の仕事のはずだ」彼は疲れた声で言った。来週は息子に会う約束をしている。十年ぶりの再会だ。

「でも、この技術を本当に理解しているのは耕一さんだけです」梨香は熱心に言った。彼女の真剣な表情に、かつての自分の姿を見た気がした。「最初のリスクを取った人だけが、次のリスクも恐れない。私たちには、その勇気を持った方が必要なんです」

モニターでは、ロボットダイバーが第一号機のタービンに取り付けられたプレートの汚れを拭き取っていた。海の微生物がびっしりと付着している。そこには建設日と、関わった全ての技術者の名前が刻まれている。何人かはもう世を去った。梨香は画面を拡大し、そのプレートに追加された小さな文章を指さした。

「ご存知でしたか?この言葉」

耕一は目を凝らした。老眼鏡の奥で瞳孔が開く。そこには「七瀬耕一—失敗を恐れず、未来に橋を架けた者」と刻まれていた。彼の目に涙が浮かんだ。喉が熱くなる。これは彼のチームが密かに追加したものに違いない。あの頑固な田村か、いつも彼を支えてくれた佐々木だろうか。

「どうやら、私の仕事はまだ終わっていないようだね」

耕一は水平線の向こうに広がる風車群を見つめ、かつて自分が賭けたすべてを思い出した。離婚届にサインした日の雨。会社の上層部との激しい口論。そして、最初の風車が立ち上がった日の、言葉にならない感動。あの日の決断が、今、新たな未来へと波紋を広げている。

「次は、どこに橋を架けようか」その声は、若かりし日の七瀬耕一のようだった。

船は緩やかに揺れ、風車の白い翼が一斉に回り始めた。夕陽を浴びて影が長く伸びる。水平線の彼方に、新たな夜明けの光が差し込んでいた。彼の息子に、今度は胸を張って会えるだろう。

#創作大賞2025#お仕事小説部門#カーボンダイエット #ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集

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