見出し画像

最後の海賊 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

アフリカ東海岸、モガディシュの港から3キロ沖、2048年5月。

「船長、また沈みますよ」

ワイヤレスイヤホンから聞こえる声に、モハメドは苦々しい表情で応えた。

「黙ってろ。風が変わる」

だが風は変わらなかった。いや、風はあった。しかし彼らの帆船はほとんど動かなかった。かつてはエンジンがついていたが、国際海事機構のゼロエミッション規制が厳格化した2042年以降、密輸されてきた化石燃料も底をついていた。

世界の99%の船舶は、今やハイブリッド電力か、アンモニア推進、または太陽風力併用の巨大帆船に置き換わっていた。一昔前なら「環境に優しい」と言われたはずのことが、彼らにとっては「仕事が難しい」ことを意味していた。

「これじゃ商船を襲えないよ。近づくまでに三日かかる」

モハメドの弟アミンが拳を振り上げながら言った。彼らが見つめる沖合では、自動操縦の大型ソーラーコンテナ船が音もなく滑るように進んでいた。高さ20メートルの青いソーラーパネルが垂直に並び、まるで蒼い壁が海を進むかのようだった。

「ソマリア沿岸警備隊も、もうほとんど無人機だ。俺たちの時代は終わった」

老船長のアブディが深いため息とともに言った。彼は30年以上、この海で「仕事」をしてきた。かつては年に1000件以上あった海賊事件も、今では年間15件程度にまで減少していた。

「なぜ減ったか知っているか?」
アブディは若者たちに尋ねた。
「商船が速すぎるからだ? 無人だからか?」

モハメドは首を振った。「貨物が変わったからだ。石油もない。希少金属も減った。今や船が運ぶのはデータだ」

「いや、違う」アブディは遠くを見つめながら言った。「俺たちの船が、遅すぎるんだ」


陸に戻った彼らを待っていたのは、モガディシュの小さな造船所で働くエンジニアのサラだった。

「新しい船の準備はどうだ?」
モハメドが訊ねた。

サラは曖昧に首を傾げた。
「良い知らせと悪い知らせがある」

彼女の工房に入ると、そこには薄いナノカーボン素材で作られた、まるで翼のような形状の帆船があった。

「これがケニア製の最新型緑藻バイオ燃料エンジン搭載の複合素材帆船。理論上は、商船の追跡に必要な速度が出る」

モハメドの顔が明るくなった。
「じゃあ、また仕事ができるのか?」

サラは頭を振った。
「それが悪い知らせ。世界海洋警察が新しい規制を出した。すべての船舶は『正規登録』が必要になった。そして全船舶に監視AIが強制搭載される」

「それがどうした?」
アミンが肩をすくめた。

「このAIは、船の動きを分析して『攻撃パターン』を検知するんだ。もし海賊行為と判断されたら、自動的にエンジンを停止させる」

一同は沈黙した。

「だが、お前はエンジニアだろう。そのAIをハッキングできないのか?」
モハメドが尋ねた。

サラは笑った。
「それが一番良い知らせ。ある方法を思いついた」

彼女は古い海図を広げた。そこには、かつての海賊たちが使っていた伝統的な航路が記されていた。

「AIは攻撃パターンを認識するようプログラムされている。だが、逆に言えば、攻撃パターンに見えなければ大丈夫ということだ」

彼女は海図上に新しい航路を描き始めた。それは商船の航路と交差するが、まるで偶然出会ったかのような軌道を描いていた。

「もし海賊行為が『事故』に見えたら?」


一週間後、モハメドたちの新しい船は沖に出た。しかし彼らは誰も「襲撃」という言葉を口にしなかった。船のログには「漁業活動」としか記録されていない。

実際、彼らは漁網を積んでいた。小さな餌用の魚が網の中で泳いでいた。しかし、それらの魚には小さな装置が取り付けられていた。

「標的は15分後に到着する」
サラが通信機器を見ながら言った。彼女も今回は乗船していた。

海上に現れたのは、大型の自律航行コンテナ船。甲板上には人間の姿はなく、無人操縦である。

「よし、準備だ」

モハメドは漁網を降ろした。網の中の魚たちは、プログラム通りに泳ぎだし、コンテナ船の周囲に集まり始めた。

商船のAIは海洋生物保護プロトコルに従い、速度を落とした。魚の群れを傷つけないようにするためだ。

その瞬間、サラのタブレットに緑色のライトが点灯した。

「今だ!」

アミンと若者たちは小型の電動ボートで商船に接近した。彼らが運ぶのは武器ではなく、特殊な磁気デバイスだった。それを船体に取り付けると、船の自律システムを一時的に迂回し、貨物の一部をリダイレクトできる。

「これで終わりだ。痕跡は残らない」

彼らは予定通りの量のデジタル貨物——ソフトウェアライセンスや暗号資産などの情報——を自分たちのサーバーに転送した。船のログには「海洋生物保全による一時停止」としか記録されない。

「見ろ」アブディが遠くを指さした。「本物の海賊なら、こんなふうには仕事をしない」

水平線の彼方には、海賊博物館に展示されている帆船のレプリカが見えた。20世紀初頭の海賊船の再現モデルで、環境教育のために航海していた。

「あれこそが、かつての海賊の姿だ」アブディはため息をついた。「今の俺たちは、ただのハッカーだ」

「でも、この方が環境に優しい」サラが皮肉っぽく笑った。

モハメドは黙って海を見ていた。この「事故」は必ず調査される。そして、いつか対策が取られるだろう。それでも彼らは新しい方法を見つけるだろう。

「カーボンニュートラルな海賊、か」彼はつぶやいた。「時代は変わったな」

帰路につく彼らの船は、夕陽に照らされて緑色に輝いていた。波間に溶けていくバイオ燃料の跡は、数時間後には完全に分解され、痕跡すら残らないだろう。

海賊は減ったのではない。ただ、形を変えただけだ。

#創作大賞2025 #お仕事小説部門 #カーボンダイエット #ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集

いいなと思ったら応援しよう!

國分裕之 あなたのチップが、観測を続けさせてくれます。SNE理論・GX実践の書籍化と、毎日更新の継続に使わせていただきます。応援、ありがとうございます。