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油の時代 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

林田は数字を見つめながら、画面を閉じた。各大陸の食料生産指数は過去最低を記録し続けていた。寝不足の眼が痛む。三日間ずっとにらみ続けたモニターのせいだろう。

「いよいよですね」と若い同僚の木下が言った。彼女は海洋資源管理局の新人だった。黒縁の眼鏡の奥の瞳が不安げに揺れている。「陸上も海洋も、もう限界なんですね」

「限界は10年前だ」と林田は疲れた声で答えた。コーヒーのカップが冷たくなっている。「今は崩壊後の生存戦略を考える段階だ」

彼らが立つ船上からは、北太平洋の荒々しい波が見えた。灰色の空と同じ色をした鉛色の海。かつては世界最大の漁場だったこの海域も、いまは「死海」と呼ばれていた。酸性化と温暖化で魚影は消え、巨大なクラゲと微生物だけが残った世界。

「次のセクターに移動します」と無表情な船長が告げた。彼の眼には死んだような光があった。

林田は小さくうなずき、木下が不安そうに訊いた。「センパイ、本当にこんなことしていいんですか?」

彼女の視線の先には、林田の手に握られた祖父から受け継いだ古い銛があった。持ち手の木には、細かいひび割れが入っている。

2050年、世界は予想外の危機に直面していた。魚は絶滅寸前となり、陸上の食料生産も気候変動で激減。林田の故郷の日本では、昨夏ついに米の自給ができなくなった。人工タンパク質工場も世界人口を養うには足りず、すでに北半球の六カ国で大規模な飢餓が始まっていた。

そんな中、科学者たちが再計算した結果、鯨類だけが謎の回復を遂げていることが判明した。酸性化した海でも生き延びる微生物を餌とする新種のクジラが繁栄し、その数は推定1億頭を超えていた。なぜか彼らだけが適応したのだ。

「歴史の皮肉ですね」と木下は言った。彼女の父は有名な環境活動家だという。「かつて環境保護の象徴だった鯨が、今や唯一の持続可能な食料源になるなんて。父が生きていたら、発狂すると思います」

林田は頷いた。彼は日本最後の捕鯨船団に所属する船長の子孫だ。父と祖父の時代には「野蛮で残酷な伝統」と非難された捕鯨技術が、今や各国に求められていた。歴史はその流れを逆転させる。

「昔は鯨を食べるために捕っていたんだが」と林田は言った。風が吹きつける甲板に立ち、塩の苦さを感じる。「でも1800年代、世界が最も鯨を殺した時代には、主目的は食用じゃなかった」

「そうでしたね。灯油でした」と木下は海洋資源史の教科書を思い出した。「アメリカ人が一番殺していたんですよね」

「そう。そして今、我々は再び『油の時代』に戻ろうとしている」

林田が示した資料によれば、現代の新種クジラの脂肪には高濃度のオメガ脂肪酸と特殊タンパク質が含まれていた。人間の食料危機を救う可能性を秘めた「液体の肉」と呼ばれるものだ。子供時代、祖父の膝の上で聞いた昔話が現実になるとは。

「まさか自分が捕鯨船に乗ることになるとは」と木下は苦笑した。環境保護論者の娘として育った彼女にとって、これは人生の皮肉だった。ここに来る前夜、彼女は泣いていたらしい。目の下のクマが物語っている。

「我々は循環しているだけだ」と林田は言った。「太古から人間は海からの恵みに生きてきた。陸上の農業文明はほんの一瞬の例外だったのかもしれない」

ソナーが突然甲高い音を立て、巨大な影が船の下を通過した。「発見!」と船員が叫び、全員の動きが俄かに慌ただしくなる。

林田は古い銛を手に取った。それはもはや武器ではなく、現代の超音波捕獲装置を起動するための儀式的なものでしかなかった。それでも、その重みが手に残る感触は確かだった。

「これは持続可能なのでしょうか」と木下は震える声で訊いた。彼女の中の矛盾する思いが声に出ている。

林田は遠くを見つめた。今朝方見た夢を思い出していた。祖父が海の上を歩いて自分を呼ぶ夢。「わからない。だが選択肢はない。人類は再び海に戻るしかないんだ」

船は波に揺られながら進んだ。林田の耳には亡き祖父の声が聞こえる気がした。「クジラへの感謝を忘れるな」と。人類の食卓は、21世紀の科学技術と19世紀の生存哲学が奇妙に融合した新たな時代に入ろうとしていた。

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