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第1章 「まだ大丈夫」? その"まだ"が一番危ない 【タバCO₂ダイエット】


前熟考期 問題を見えなくする魔法の言葉

「健康診断は正常だし、まだ若いし...」

佐藤さん(45歳)は、いつものようにベランダで朝の一服をしながらつぶやいた。手には今朝届いた健康診断の結果票。
「肺機能:正常範囲内」
「血圧:やや高値」
「総合判定:要経過観察」。

「ほら、やっぱり大丈夫じゃないか」

妻から「そろそろ禁煙したら?」と言われるたびに、佐藤さんはこの健康診断を盾にしていた。20年間吸い続けているが、まだ深刻な病気にはなっていない。咳も出ないし、階段を上がっても息切れしない。「要経過観察」なんて、誰でもどこかしら引っかかるものだろう。

「まだ大丈夫」

この言葉が、佐藤さんの心を楽にしてくれる。今すぐ何かを変える必要はない。今日も明日も、いつものようにタバコを楽しめる。

「うちの会社は小さいから、まだ関係ないし...」

一方、地方都市で金属加工会社を営む田中社長(52歳)も、毎朝同じような言葉を心の中でつぶやいていた。

机の上には、商工会議所から届いた「中小企業向け脱炭素セミナー」の案内。最近、電気代が上がって経営を圧迫している。テレビではカーボンニュートラルの話題ばかり。大手取引先からも「環境への取り組み」について聞かれることが増えた。

でも、従業員30名の町工場に何ができるというのだろう。大企業が何百億円もかけて取り組むような話を、自分たちに当てはめるのは現実的ではない。そもそも、うちが排出するCO₂なんて、全体から見れば微々たるものだろう。

「まだ関係ない」

この言葉が、田中社長の心を楽にしてくれる。今すぐ何かを変える必要はない。今まで通りのやり方で、今日も明日も工場を回していける。そう思いながら、セミナーの案内を机の隅に置いた。

なぜ危険信号に気づかないのか:都合の良い情報だけ見る技術

佐藤さんも田中社長も、決して鈍感な人ではない。むしろ、日常生活では細かいことによく気がつく人たちだ。家族の体調の変化にも敏感だし、会社の売上の微細な変動も見逃さない。

それなのに、なぜタバコの害や環境問題の兆候には気づかないのだろう。

答えは簡単だ。人間の脳は、「都合の良い情報だけを見る技術」を身につけているからだ。

佐藤さんは、健康診断の結果で「正常範囲内」の項目は熱心に確認するが、「要経過観察」の部分はさらっと読み流す。テレビで「喫煙と肺がんの関係」についてニュースが流れると、チャンネルを変えるか、「また同じ話か」と心の中で呟く。

一方で、「適度なニコチンはストレス軽減に効果がある」という記事があれば、食い入るように読む。喫煙者の平均寿命が短いという統計は「個人差がある」と解釈し、100歳まで生きた愛煙家の話は「やっぱりね」と納得する。

田中社長も似たような情報フィルターを持っている。「中小企業の脱炭素対応が急務」という記事は「理想論だ」と思って読み飛ばすが、「過度な環境規制が中小企業経営を圧迫」という記事は共感をもって最後まで読む。

CO₂削減で売上が向上した会社の話は「特殊なケース」と解釈し、環境対応のコストで苦労している会社の話は「やっぱりそうだ」と納得する。

この選択的な情報処理は、決して悪意ではない。人間が自分の行動を正当化したいという、自然で普遍的な心理なのだ。

「否認」という名の心の防御システム

心理学では、これを「否認(denial)」と呼ぶ。不都合な現実を認めないことで、心の平静を保とうとする防御システムだ。

否認は、必ずしも悪いものではない。すべての情報を真正面から受け止めていたら、人間は不安で生活できなくなってしまう。ある程度の否認は、日常生活を送る上で必要な心理的機能なのだ。

しかし、問題は否認が行き過ぎた場合だ。

佐藤さんは、喫煙の害に関する情報を否認し続けることで、今の生活スタイルを維持している。毎朝のコーヒーとタバコの時間、仕事の合間の休憩、夜のお酒と一緒の一服。これらの習慣を手放すことは、彼にとって生活の質の低下を意味する。

田中社長は、脱炭素の必要性を否認し続けることで、今の経営スタイルを維持している。慣れ親しんだ設備、長年培った取引関係、従業員との信頼関係。これらを変えることは、彼にとって経営の不安定化を意味する。

否認は、短期的には心を楽にしてくれるが、長期的には問題を深刻化させるリスクがある。

そして、否認の最も巧妙な形が、「まだ大丈夫」という時間の錯覚なのだ。

佐藤さんの「まだ若い」は、何歳まで通用するのだろう。50歳? 60歳? 70歳? そして、本当に問題が表面化した時、それはもう「手遅れ」になっているかもしれない。

田中社長の「まだ関係ない」も同じだ。取引先からの要求が厳しくなった時、エネルギーコストがさらに上昇した時、若い従業員から環境対応を求められた時、それはもう「待ったなし」の状況になっているかもしれない。

「まだ」は、時間の感覚を麻痺させる。問題が深刻化するスピードを過小評価し、対応に必要な時間を過大評価してしまう。

転機のサイン:ハッとする瞬間はいつ来る?

では、前熟考期の人たちは、どんなきっかけで次の段階に移るのだろうか。

多くの場合、それは「ハッとする瞬間」だ。それまで見えなかったもの、聞こえなかったものが、突然リアルに感じられる瞬間。

佐藤さんにとってのその瞬間は、同い年の同僚が心筋梗塞で倒れた日だった。

「佐藤さん、救急車で運ばれた山田さん、意識を取り戻したそうですよ」

同僚からの報告を聞いて、佐藤さんは言葉を失った。山田さんとは入社同期で、同じように毎日タバコを吸っていた。体型も似ているし、ストレスのかかり方もそれほど変わらない。

「明日は我が身か...」

初めて、健康診断の「要経過観察」という文字が重く感じられた。「まだ大丈夫」という言葉が、急に頼りなく聞こえてきた。


田中社長にとってのその瞬間は、最大の取引先から呼び出された日だった。

「来年度から、サプライチェーン全体での脱炭素対応を義務付けます。対応いただけない場合は、取引の継続が困難になります」

売上の40%を占める取引先からの通告だった。「理想論だ」「関係ない」と思っていた脱炭素が、突然、経営の存続に関わる現実的な課題として立ちはだかった。

「まだ関係ない、では済まされないか...」

その夜、田中社長は初めて脱炭素について真剣に調べ始めた。

転機は、論理的な説得ではなく、感情的な体験によってもたらされることが多い。頭で理解するのではなく、心で感じる瞬間が、前熟考期から熟考期への移行を促すのだ。

しかし、この転機がいつ来るかは、誰にも予測できない。佐藤さんの同僚の心筋梗塞も、田中社長への取引先の通告も、突然やってきた。

だからこそ、前熟考期にいる人たちにとって大切なのは、転機が訪れた時に適切に対応できる「心の準備」をしておくことかもしれない。完全に否認するのではなく、どこか心の片隅に「もしかしたら」という小さな扉を残しておくこと。

その扉があれば、転機が訪れた時に新しい情報や体験を受け入れることができる。そして、人生を変える次の段階へと進むことができるのだ。

あなたは今、どの領域で「まだ大丈夫」と思っているだろうか。そして、その「まだ」がいつまで続くと思っているだろうか。

【読後のあなた】 「問題ない」と思っている人への効果的なアプローチが分かる


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