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電線の値段  【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】

大阪出張の帰り、新幹線の窓から見える姫路城を眺めながら、田辺は机上の資料を何度も見返していた。A4用紙に印刷された見積書。「送電線接続工事費:4億2,800万円」という数字が目に飛び込んでくる。

去年の春、姫路城ゼロカーボンキャッスル構想が環境省に採択されたときは、市役所で乾杯したっけ。あの時の部長の嬉しそうな顔を思い出す。

「田辺くん、これで姫路も全国に名前が売れるぞ」

でも今、その部長は病欠で入院中。代わりに来た新しい部長は、数字にしか興味がない人だった。


翌日の朝、市役所の環境政策室で田辺は関西電力の担当者と向き合っていた。相手は30代半ばくらいの女性で、疲れた表情をしている。彼女も、きっとこの数か月、寝る間もなく計算し直していたのだろう。

「申し訳ございません。当初の想定では、送電線への接続は既存設備を活用できると思っていたのですが…」

彼女の声は小さかった。

「でも、実際に詳細な調査をしたところ、姫路城周辺への電力供給には新たな送電設備が必要になることが判明しまして」

田辺は首を振った。理解はできる。でも、納得できない。

「そんなことって、事前に分からなかったんですか?」

「本当に申し訳ありません。私たちも…」関西電力の女性は言葉を詰まらせた。「太陽光パネルの価格も、ウクライナ情勢の影響で1.5倍になってしまって…」

田辺は資料をめくった。当初予算15億円。現在の見積もり28億円。差額13億円。これは姫路市の年間環境予算の3倍に相当する。


昼休み、田辺は一人で姫路城を見上げていた。白鷺城と呼ばれるその美しい天守閣は、LED照明に変更されたばかりで、確かに以前より消費電力は減っている。でも、それだけじゃ意味がない。

スマートフォンに電話が鳴った。市民の窓口担当からだった。

「田辺さん、また電話がかかってきています。脱炭素の件で、どうなってるのかって」

「どんな内容ですか?」

「色々です。『環境のためなら多少お金がかかってもいいんじゃないか』って人もいれば、『税金の無駄遣いはやめろ』って怒ってる人も。あと、『結局何もできないのか』って失望してる人とか…」

電話を切った後、田辺は城の石垣に腰を下ろした。石は冷たかった。


夕方、新しい部長に呼ばれた。部長室のテーブルには、分厚い資料が積まれている。

「田辺、率直に聞くが、この事業、続ける意味はあるのか?」

「意味は…あると思います」

「思うじゃダメだ。この13億円で、他にどれだけのことができるか考えたことはあるか?」

部長は電卓を叩き始めた。

「市内の小中学校の太陽光パネル設置、LED街灯への全面切り替え、電気バスの導入…全部やっても10億円で済む」

田辺は何も答えられなかった。正論だった。

「君はまだ若いから理想を追うのは分かる。でも現実も見なければならない」

窓の外では、夕日に照らされた姫路城が輝いていた。


その夜、田辺は実家に電話をかけた。

「お疲れさま。最近忙しそうやね」

母親の関西弁が心に響いた。

「お母さん、僕の仕事って、意味あるのかな?」

「何言ってるの。環境を守る仕事やろ?大事な仕事やん」

「でも、お金がかかりすぎて、結局何もできないんだ」

少し間があった。

「そうやなあ…でも、やれることからやるしかないんちゃう?完璧じゃなくても、少しずつでも」

電話を切った後、田辺は姫路城の夜景写真をスマートフォンで見つめた。確かに、LED化は実現した。小さな一歩ではあるけれど。


翌週、田辺は辞退届を書いていた。正式には部長の名前で提出されるが、実際の文章は田辺が書いている。

「オフサイトPPAによる太陽光発電設備の導入を進める過程で、送電線への接続のための費用が大幅に増加することが判明しました…」

文字を打ちながら、なぜか小学校の運動会を思い出した。リレーで最後の走者だった田辺は、バトンを受け取った時点で既に大きく遅れていた。でも、最後まで走った。順位は変わらなかったけれど、確実に前に進んだ。


12月16日、環境省から辞退受理の連絡が来た。

田辺は同僚の山田に声をかけた。

「山田さん、来年度の予算、太陽光パネルの市民向け補助金、増額できませんか?」

山田は眉をひそめた。

「でも今回の件で、環境予算を削減しろって声が出てるよ?」

「だからこそです。大きなことはできなくても、小さなことなら確実にできる」

山田は少し考えてから頷いた。

「そうだね。やってみるか」


夕方、田辺は再び姫路城を見上げた。LED照明が美しく白い城を照らしている。

確かに、この城は「ゼロカーボンキャッスル」にはならなかった。でも、少しだけCO2は減った。完璧じゃないけれど、意味がないわけでもない。

田辺のスマートフォンに、また市民からの電話転送が入った。

「環境政策室の田辺です」

「あの、太陽光パネルの補助金の件でお聞きしたいことがあるんですが…」

田辺は微笑んだ。きっと来年も、その次の年も、こうして一つずつ前に進んでいくのだろう。

電線の値段は高すぎたけれど、歩く道は残っている。



この作品はフィクションです。

実在の人物、企業、団体、事件、場所の名称等が登場しますが、これらは創作上の演出であり、実際の人物、企業、団体の活動、方針、業績、将来性等について言及・評価・予測するものではありません。作品中の出来事、人物の言動、企業活動の描写は全て作者の想像によるものであり、実在の人物、企業、団体とは一切関係がありません。

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