まえがき 【タバCO₂ダイエット】
前作『カーボン・ダイエット』から『タバCO₂ダイエット』へ
前作『カーボン・ダイエット:ゼロからわかる脱炭素経営のはじめ方』では、企業の脱炭素経営を「ダイエット」という身近な概念で解説し、多くの方々、特に環境への関心が高い女性層から大きな反響をいただきました。「CO₂排出量の減量」を健康管理と重ね合わせることで、専門的な脱炭素の内容が直感的に理解できると評価していただいたことは、著者として大きな喜びでした。
今回の『タバCO₂ダイエット』は、前作とは異なるアプローチで脱炭素への道筋を探求します。本書は、私自身の禁煙体験から得た洞察を基に、個人の行動変容と社会の脱炭素を統合的に捉えた一冊です。特に、現在も喫煙をされている方々と、既に禁煙に成功された方々に向けて書かれています。
なぜ「禁煙」と「脱炭素」なのか
一見すると、禁煙と脱炭素は全く異なる問題のように思えるかもしれません。しかし、両者は驚くほど類似した構造を持っています。
依存からの脱却という本質的課題は共通しています。ニコチンへの身体的・心理的依存と、化石燃料への構造的・経済的依存。どちらも短期的な快楽や利益のために、長期的な健康や持続可能性を犠牲にする構造です。
変化への抵抗も共通しています。「今更やめても意味がない」「一人がやっても変わらない」「経済的な負担が大きすぎる」——これらの理由づけは、禁煙を先延ばしする人と脱炭素を躊躇する企業で驚くほど一致します。
しかし最も重要な共通点は、「変化は可能である」ということです。数億人が禁煙に成功した事実は、人間が根深い依存から脱却できることを証明しています。この成功の法則性を脱炭素に応用することで、より効果的な変革戦略を構築できるはずです。
変化のステージモデル(TTM)の力
本書の理論的基盤となるのは、変化のステージモデル(Transtheoretical Model:TTM)です。1980年代にジェームス・プロチャスカとカルロ・ディクレメンテによって開発されたこの理論は、人々が行動を変える際に共通して経る5つの段階を明らかにしました。
前熟考期では、問題を認識していない、または変化する意図がありません。多くの喫煙者が「タバコの害は大したことない」と考えていた1980年代や、現在でも「気候変動は大げさな話」と考える人々がこの段階にあります。
熟考期では、問題を認識し変化を考えていますが、まだ具体的な行動には移していません。「禁煙したいけれど、ストレスが心配」「脱炭素は必要だが、コストが不安」という状態です。
準備期では、近い将来に行動を起こす意図があり、小さな行動を始めています。禁煙日を設定したり、脱炭素計画を策定したりする段階です。
実行期では、明確な行動変容を6か月未満実施しています。禁煙を始めたばかりの困難な時期、脱炭素施策を導入したばかりの混乱期がこれに当たります。
維持期では、新しい行動を6か月以上継続し、元の行動への逆戻りを防いでいます。禁煙が習慣となり、脱炭素が企業文化として定着した段階です。
このTTMの革新的な点は、各段階で効果的なアプローチが異なることを明らかにしたことです。前熟考期の人に「今すぐやめなさい」と言っても逆効果になるように、段階に適さないアプローチは変化を阻害します。しかし、適切な支援があれば、人は確実に次のステージへ進むことができるのです。
前作との相違点と本書の特徴
前作『カーボン・ダイエット』が「CO₂排出量の減量」に焦点を当てた実践ガイドだったのに対し、本書『タバCO₂ダイエット』は「行動変容のプロセス」に焦点を当てた変革理論書です。
前作では、ダイエットの手法(食事制限、運動、代謝改善など)を脱炭素の具体的施策に対応させ、「何をすべきか」を明確に示しました。本書では、禁煙の成功プロセス(段階的変化、支援システム、継続の仕組み)を脱炭素の変革プロセスに対応させ、「どのように変わるか」を体系的に解明します。
前作が主に企業の脱炭素担当者や環境意識の高い女性をターゲットとしていたのに対し、本書は現在喫煙をされている方々と禁煙に成功された方々に特に向けて書かれています。
喫煙者の皆さまへ
現在も喫煙をされている皆さまは、おそらく数少ない喫煙所で肩身の狭い思いをされていることでしょう。しかし、皆さまこそが「変化の困難さ」と「変化への動機」を最も深く理解されている方々です。
喫煙所での会話で、「やめたいけれど、なかなか...」という声をよく耳にします。その複雑な心境こそが、実は脱炭素に取り組む企業や個人の心境と重なります。必要性は理解している、しかし一歩を踏み出すのは難しい——この共通の体験が、本書の出発点です。
本書は、皆さまの禁煙を直接的に促すものではありません。しかし、もし皆さまが将来禁煙を考えられた時、本書で描かれた「段階的変化のプロセス」が参考になるかもしれません。そして、その変化の体験が、より大きな社会変革への理解と参画につながることを願っています。
禁煙成功者の皆さまへ
既に禁煙に成功された皆さまは、変革の可能性を身をもって証明された貴重な体験者です。皆さまが経験された「依存からの脱却」「新しい習慣の形成」「周囲の環境変化への適応」は、脱炭素社会実現のための重要な知見です。
本書を読まれることで、ご自身の禁煙体験が単なる個人的な成功を超えて、社会変革の貴重なモデルケースであることを再認識していただけるでしょう。そして、その経験を活かして、家庭や職場、地域での脱炭素の取り組みをリードしていただければと思います。
皆さまの成功体験は、まだ変化の途上にある多くの人々にとって、希望と勇気の源泉となるはずです。
本書の読み方
本書は3つの部構成になっています。
第I部「個人・企業レベルの行動変容」では、TTMの5段階に沿って、個人の禁煙体験と企業の脱炭素を並行して分析します。前熟考期から維持期まで、各段階の特徴と効果的なアプローチを具体的に示します。
第II部「社会レベルの行動変容」では、副流煙問題の解決プロセスを参照しながら、社会全体が気候変動に対応していく変化のプロセスを分析します。個人の問題から社会の問題への認識転換、制度変革、新しい社会規範の定着まで、マクロレベルの変化を体系的に扱います。
第III部「個人・企業と社会の相互作用」では、ミクロとマクロの変革が相互に促進し合うメカニズムを解明し、効果的な統合戦略を提示します。
どの部分から読み始めていただいても構いませんが、ご自身や所属組織がどの段階にあるかを意識しながら読まれることをお勧めします。
変革への希望
私自身の禁煙体験は、決して特別なものではありません。健康への不安、家族への配慮、社会的圧力——これらの一般的な動機から始まった変化が、研究活動、教育実践、そして本書の執筆につながりました。
一人の小さな変化が、同心円状に社会に波及していく。この希望に満ちたプロセスこそが、本書の核心的メッセージです。
変革は可能です。なぜなら、私たちはすでにそれを実現した経験を持っているからです。禁煙という身近な成功体験が示すように、どんなに困難に見える変化も、適切な戦略と継続的な努力により必ず実現できます。
現在、喫煙所で一服されている皆さまも、かつて禁煙に成功された皆さまも、そして本書を手に取ってくださったすべての皆さまも、持続可能な社会実現の重要な担い手です。
皆さまの体験と知恵が、より良い未来の創造につながることを心から願っています。
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