主権の光 - 大使館原子炉計画 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
「大使館内原子炉設置案、マラウイ共和国が受け入れを表明」
国連本部での記者会見を終え、河村晃は疲れた表情で席に戻った。国連気候安全保障特使として発表した彼の提案は、世界中のメディアが「主権の光計画」と名付けた大胆な構想だった。
この計画の核心はシンプルだった。核保有国が解体した核兵器から抽出した核分裂性物質を利用し、途上国内の大使館敷地内に小型モジュール原子炉を設置するというものだ。大使館領域は設置国の主権が及ばない治外法権の場所。法的には核技術の拡散に当たらず、技術や管理は全て核保有国が行う。
「河村さん、よくやった」
白髪交じりの老人が彼に声をかけた。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)議長の山下教授だった。
「でも、反対派は多いでしょうね」と河村は溜息をついた。
「もちろんだ。だがこれは究極の選択なんだよ。21世紀半ばまでのカーボンニュートラル実現に必要なのは、全世界での協調行動だ。途上国が石炭や天然ガスに依存し続ければ、先進国がどれだけ努力しても2度目標なんて達成できない」
記者会見場を後にした二人は、国連本部の窓から外を眺めた。ニューヨークの街には、依然として数ヶ月前のハリケーンの傷跡が残っていた。気候変動の影響は、もはや将来の問題ではなく、現在進行形の危機だった。
「反対派の言い分も分かります。技術流出のリスク、原発事故の恐れ、政情不安のある国への原子力技術導入への懸念...」
「だがこれほど完璧な妥協案はない。核兵器の平和利用、厳格な国際管理、途上国へのクリーンエネルギー提供。そして最も重要なのは、これまで気候変動の解決にほとんど貢献していない核保有国が、直接的に責任を果たす道筋ができることだ」
河村は翌日、マラウイ共和国の首都リロングウェに到着した。アフリカ南東部に位置するこの国は、石炭火力発電の拡大を計画していたが、代わりに「主権の光計画」の最初のパートナーとなることを選んだ。
大使館区域の視察中、マラウイのエネルギー大臣クンバが河村に近づいた。
「河村さん、私たちの決断は正しいですか?」クンバは真剣な表情で問いかけた。
「それは歴史が決めることでしょう。ただ、これが実現すれば、マラウイは30万世帯分の電力を安定的に得られます。教育、医療、産業のすべてが変わる可能性があります」
「核兵器が我々の発展を支えるとは、何という皮肉でしょう」
クンバの言葉に、河村は深く頷いた。確かにそれは皮肉だった。人類を何度も絶滅の危機に晒してきた核兵器が、今度は気候変動という別の存亡の危機から人類を救う道具になろうとしていた。
計画の詳細が固まるなか、河村のもとに連絡が入った。アメリカの保守派政治家たちが反対キャンペーンを展開し始めたのだ。「外国領土における核拡散」という批判が世論を動かしていた。
国連に戻った河村を出迎えたのは、抗議デモだった。「核のない世界を!」「気候正義の名の下の核拡大に反対!」といったプラカードを掲げたデモ隊が、国連本部の外で声を上げていた。
その夜、河村は山下教授とバーで杯を交わした。
「難航していますね」と河村。
「予想していたことだ。しかし考えてみたまえ、私たちは本当に究極の選択を迫られているんだよ」
山下は窓の外に広がるニューヨークの夜景を指した。
「このままでは、2070年には地球の平均気温は産業革命前と比べて3度以上上昇する。それが何を意味するか分かるかい?」
河村は黙って頷いた。彼は十分すぎるほどそのシナリオの恐ろしさを知っていた。食料危機、水不足、大規模移民、沿岸都市の水没、生態系の崩壊...
「だが核技術の拡散は、別の終わりの始まりかもしれない」と河村は反論した。
「それこそが『究極の選択』だ。どちらも完璧な答えではない。だが、行動しないという選択肢はもはやない」
翌日の安全保障理事会は緊迫した雰囲気に包まれていた。核保有国の代表たちは、「主権の光計画」への賛否を表明することになっていた。
ロシア、中国、フランスが賛成の意向を示し、イギリスは条件付き賛成の姿勢を見せていた。アメリカは未だ態度を明確にしていなかった。
アメリカ代表のカーター大使が立ち上がった。会場の空気が凍りついた。
「アメリカ合衆国は、『主権の光計画』を支持します」
会場からどよめきが起こった。カーター大使は続けた。
「しかし、いくつかの条件があります。核物質の管理は国際原子力機関との共同監視下に置かれること。技術流出防止のための厳格な措置を講じること。そして最も重要なのは、この計画が核軍縮の加速と一体化されること」
河村は安堵のため息をついた。最大の障壁を乗り越えたのだ。しかし、これはほんの始まりに過ぎなかった。
10年後、世界は確実に変わっていた。
マラウイの首都リロングウェは「アフリカの輝ける星」と呼ばれるようになっていた。アメリカ大使館の拡張敷地内に設置された小型モジュール原子炉は、市内の電力需要の60%を満たし、二酸化炭素排出量は劇的に減少していた。
「主権の光計画」はその後、ケニア、エチオピア、バングラデシュ、ベトナム、パラグアイなど26カ国に拡大。計画に参加した核保有国は、解体した核兵器から11トンの核分裂性物質を平和利用に転用していた。
ただし、問題がなかったわけではない。パキスタンでは、反政府勢力が大使館区域への攻撃を試み、一時的に国際的緊張が高まった。またミャンマーでは、クーデターにより政権が交代した際、原子炉の管理権をめぐる紛争が発生した。
しかし全体として、計画は成功していると評価されていた。世界のCO2排出量は、予想よりも速いペースで減少し始めていた。
新たに国連事務総長に就任した河村は、マラウイを訪問した。かつてエネルギー大臣だったクンバは、今や大統領になっていた。
「河村さん、あなたの提案を受け入れて正解でした」とクンバは笑顔で言った。「あの決断がなければ、我が国は今も石炭に依存し、経済発展の機会も限られていたでしょう」
「選択肢がないなかでの選択だったのです」と河村は答えた。
夕食後、二人は大使館敷地内にある原子炉施設を視察した。最新の小型モジュール炉は、わずか150平方メートルのスペースに収まっていた。原子炉から生み出された電力は、国の送電網に直接供給されていた。
「以前、核兵器が私たちの発展を支えるのは皮肉だと言いましたね」と河村は思い出した。
「今でもそう思います」とクンバは答えた。「しかしそれは、人間の知恵が最終的に正しい方向を見つけることができるという証でもあります」
原子炉施設からの帰り道、二人は新設された総合病院の前を通った。病院の屋根には「主権の光プロジェクト」のロゴが掲げられていた。
「次は何を計画していますか?」クンバは河村に尋ねた。
「次は『海洋炭素固定イニシアティブ』です」と河村は答えた。「原子力で得たエネルギーを使って、大気中の二酸化炭素を直接吸収し、海底に固定する技術です」
「また物議を醸しそうですね」とクンバは微笑んだ。
「そうでしょうね」と河村も笑った。「しかし、これが私たちの道なのです。完璧な解決策など存在しない。あるのは、完璧ではないが必要な選択だけです」
二人の頭上には、石炭火力発電所の煙突ではなく、星空が広がっていた。どこか遠くで、また別の核兵器が解体され、新たな光へと生まれ変わろうとしていた。
究極の選択の先に、新たな希望の光が灯っていた。
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