【未来へ手紙を出す旅 ③】「来てもらえてよかった」――出前持ちが届ける、記念写真という手紙
「すみません、最後に一枚だけ、記念写真撮らせてもらえませんか」
かつて、旅先で出会った人たちへの遠慮から、喉の奥で飲み込んできた言葉。
今は、一歩踏み出してそれを口にできる。
その一枚が、誰かへの「手紙」になると信じられるようになったからだ。
だから今は、大きな節目の日を訪ね、写真を撮って届ける旅を続けている。
カメラマンであり、お寿司屋さんの出前持ちでもある。その収入が、この旅の活動費になる。
写真には、配達範囲を設けていない。
旅の終わりに受け取る対価は、「来てもらえてよかった」というひとことだ。

管理人さんへ拍手が起こる
技術を磨いても写せない大切なもの
僕はもともと、工業製品を専門に撮影するスタジオでキャリアをスタートさせた。
独立後も、天皇、皇后両陛下や皇族方の代表撮影など、カメラマンとして責任のある仕事を任せていただけるようになった。
写真を誰かの役に立てることはできないだろうか。その問いだけが、頭から離れなかった。
ニュースで失われゆく風景を見るたびに、胸のどこかがざわついた。
何かをしたいという思いだけが先に立った。自分の責任で最後までやり切るために、まず、お寿司屋さんの出前持ちを始めた。
一軒ずつ届け、手渡すたびに「ありがとう」と言葉が返ってくる。 そんな日々を重ねているうちに、ふと、20年以上前に撮った記念写真のことが蘇ってきた。
名鉄・谷汲線の廃止を前にした保線作業の現場。
作業を終えた班長さんから、
「皆が集まる日に写真を撮ってくれないか」と頼まれ、ただ彼らのためだけに撮った、一枚の記念写真。
けれど、あの頃は気づけなかったその一枚の意味をようやく理解し始めていた。
「写真を撮って届ければいいんだ」

カメラマンとしての使命感を出前持ちの心意気で
節目を迎える人たちに連絡を取り、そこへ向かう。
学校には卒業アルバムがある。
けれど、廃業や閉店、廃線や市場の閉鎖には、それに代わる記録がほとんどない。
だからこそ、その場所と人々のための写真を残したい。

この再会を経て、学区運動会の写真を撮りにいくきっかけになった
もちろん断られることもある。無理にお願いすることはしない。
必要としてくれる人のところへ届けるだけだ。
記憶をつなぐ、写真という手紙

消えていく時間の前で、人は無意識にカメラを向ける
廃業した銭湯で写真展を開いたことがあった。
地域の皆さんと撮った写真を並べると、懐かしい顔が集まり、互いを労いながら思い出を語り合う時間が生まれた。
谷汲線が廃止されて十年以上が経った頃、運転士の記憶をたどって、ご遺族が訪ねてきてくれた。
その後、その電車と家族の記念写真を撮ることになった。
それは、過去を残すための写真ではなかった。もう一度、その時間に触れ直すための写真だった。

閉校した学校でも、廃業した店でも、別れの先には必ず誰かの記憶がある。

当時の写真は人々の心を一瞬に引き込んでいった
その時間まで含めて、写真だと思っている。
撮るだけで終わりではない。
届けて初めて、一枚になる。
お寿司を渡したときの「ありがとう」と、写真を渡したときの「来てもらえてよかった」。
その二つの言葉は、不思議なくらい似ていた。

閉店後も、花とともに積み重ねられた時間が静かに蘇る
「幸せとお寿司を運ぶ桜すしでーす!」
出前のとき、心の中でそう声を掛ける。
お寿司は、ちょっと特別な時間のために届けるもの。
ひとこと添えて手渡している。
「来てもらえてよかった」
そのひとことに触れたくて、今日もカメラを持って、誰かの節目へ向かっている。

白い場所には、まだ手紙が届いていない。
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