女神憑き: 06話 カオリちゃん缶(前編) ケンカと家出、一人寝と開封
そりゃあ、悩みなんてない方がいいに決まってる。
グルグル考えがループして巡り進まない状態よりも、何かに向かって少しでも進む方がいい気がする。それは悩みじゃなく良い方の圧力を受けている状態で、たちの悪い悩みはどうも出口のあてがない気がする。
亜美は悩んでいるのだろうか。香織のような愛すべき万能の存在とあるのに?
――わたし達は、考える暇も無く進みすぎたかな。
感覚と経験だけじゃなく、たまに内省もいるんじゃないか。
面倒臭いけど生きてる人間なのでつまらないことで引っ掛かるのだ。死んでも悩むことはあるんだろうか。あるのだろうな。
益体もないことを亜美は考えた。
何の予定も無い午後、自室――亜美と香織が棲んでいる部屋――でだらだらゴロゴロ過ごしていた。最近は飛んだり落ちたりのトラブルが多過ぎた。だらけていいんだ。
コタツは日々休まず働いている。ご苦労様です。
香織はというと、珍しく手仕事か作業をしているようだった。化けて出てから初めてではないだろうか。
空き缶の入った袋を横に置き、亜美に背を向けて座り、缶を手にとってはクシャクシャという小さな(アルミホイルを丸めるような)音をさせている。確かにビール缶が多いからアルミホイルみたいな音がする? よく見えないが、缶を集めて固めているようだ。
「何してるの」
作業用だからか、香織は手持ちの中でも結構くたびれたトレーナー上下を着ていた。髪色も濃いので実体化しているらしい。ついでに気分で実際の服を着ているのだろう。
「工作だよ。無から有を生み出すのはしんどいので、アルミ缶からリサイクル」
「しんどいけどできるのかよ……」
「核融合か、次元の間から取り出すので無からじゃないね。こう、ギュッとするのにあたしの細腕じゃ足りないので、夜空の星からエネルギーをちょっと拝借して。しんどいでしょ?」
それは宇宙規模の犯罪では? 亜美は呆れたが、役に立つとも思えない。
「キミ物理法則に従うのなー、案外」
「そりゃそうよ。あの世とかいうけどあたしは歴とした『この世』の者だからね。死んでますけど、うへへ。物理法則といえばほら、この前ガレキとかガラスが飛んできたでしょ、ああゆうとき生身の亜美をどう守るか」
香織はアニメの合体ロボなどのウンチクを語るときの得意気な顔になった。自称女神の権能とその応用について、オバケ化した後になってから、実益も兼ねて理系知識を勉強しているそうだ。
「感謝してるよ?」
「や、恩着せがましいんじゃなくて。よく想像する『体を弾丸がすり抜ける』は難しいんだよ。えー、原子は結構スッカスカで、案外小さなものとか通り抜けそーだけど、反発しますからね。ぶつかる。剣で斬られる、手を叩くとかキスで歯がぶつかるのもモノに触れるのはみんなそう、電磁力だっけ、反発力ねー。そっと敏感なところに触れてイヤン! となるのもその仕組みだと思うとちょい萎えるね。ま、それはおいといて、そこでこう、トンネル効果というのがあります」
指でマルを作って人差し指を通してみせる香織。それってヒワイなサインだったような。
「あれよ亜美、ごくミクロな世界だと、パチンコのクルーンがイカサマでふさがってても入るようなことがたまにある。確率でね。電子レベルの話で、パチンコ玉はむりだけど。無理な理由はね、パチンコ玉や弾丸も身体を引っかからず通り抜けたり、歩いてたら床を抜けて階下に落ちる可能性はあるけど、これマクロなモノを作る原子だか分子が全部、レアなトンネル効果で抜けちゃう! ということなので、玉一個抜けるのに宇宙一回寿命来ても怪しい確率なんよ。『カオリーン、チョチョイと確率操作してよー』と言われても核融合で金作るよりリソース食うね。なのですり抜けは無理。なによりそういう理屈を思い出して『できないなー』とあたしが認識しちゃう」
――ギリギリわかる気がするけど、クルーンの例えはヘタクソじゃないかな香織さん。
「じゃあどうするか。真っ当なニュートン物理でかわすのがいいわけ。飛んでくるガレキに『何かぶつかる』とか『風で流されて』問題の座標にいかないようにする。バリヤー!(何を使って?)とか皮膚が硬くなるとか派手なことはしなくてもいい。あたしと亜美くらいだと、愛の力でですね、歩くのと同じようにできる。ホントだよ? 歩くのにやれ道がデコボコだの段差がちょいとあるだの気にしないで歩けるでしょ?『出来て当たり前』と思ってるからね。よっぽど難度が上がってくると、また気を張るわけ。あとは無意識でやってることもあると思う。あたしの服や愛用品がラッキーアイテムとかね。ほら、亜美ったらまたあたしのシャツ着てる! いやいいのよ。加護がつきそうっていうのはおそらくはオバケの免疫みたいなもんだとおもう。自分の免疫を応援したりしないでしょう、なのに大した働きをしてくれるってわ、け……う」
「――ウッ、やば」
長口上が途切れ、香織は上半身をビクつかせた。
「あによ」
「亜美があたしのシャツ着てるの見てたらときめいた」
超越者じみたことを語るが愛情スイッチはヒト並らしい。
「な、なにそれ。いつもとかわんないでしょ。借りてるの。どーもありがとね」
「彼シャツならぬ……なんだろねー、服をシェアするのって、恋人とか家族ぽいよね。あたしは生きてる時そこまでの相手は居なかったからさ……死んでから初めて経験するって、なんか面白いよね」
――それをいうならわたしは今、あんたの可愛いストライプぱんつを穿いてるのだぞ……。
亜美は敢えて言わないでおくことにした。イケナイ趣味が入っているので親しい間柄のシェアとはちょっと違うし。
香織ったら、ちょっとしんみりしてるし。
「いまさらでしょう?」と誤魔化した。
香織は再び空き缶を丸め始めた。
鈍い色のボールというほど繊細ではない金属の塊が、拳くらいの大きさになっている。
「で、何作ってるの」
「いいもの」
コネていた両手で塊を左右に引っ張る。蕎麦打ち、ではない何か麺料理の工程のように、ビローンと伸ばしている。
何回か伸び縮みさせ、カーペット外の床にぺたっと押しつけて平らにし、形状のイメージだろうか、空間をなぞるように指先を動かすと、金属塊は大きめのクッキー缶のような、丸みを帯びた箱状に整形されていく。道具は使わない。
器用だな。素手で核融合できるし当然なのか。
香織の能力は何しろ『できると思う』認識が重要らしい。
「もうすぐできるよ」
「へー、お菓子の缶……かな?」
平たい形状で、天面の輪郭はやや丸みを帯び、上蓋となって、レリーフ状の絵が描かれている。どうやらデフォルメした女の子のようだ。
おかっぱボブにワンピース。
「これは、香織?」
「そそ」
仕上げとばかりにファンデーションの粉をつまみ、缶の上でパン! と手を打ち鳴らすと、蓋に色がついた。
ライトブラウンの髪に白ワンピースの定番衣装。二頭身のデフォルメ香織が蓋に描かれている。
「カオリちゃん缶です。初回限定版」

「あんたもついにグッズ展開? なにが入るんだろ」
なんとか缶というとお菓子の景品とか。確かにカワイイ感じで出来はいい。
「もう入ってる。冬休みの自由研究ってとこだね」
「はあ」
「亜美にあげる」
香織はにいっと笑い、亜美へ「カオリちゃん缶」を差し出した。
「わたしに? 何だろう……」
――嬉しいけどキテレツな部類の贈り物じゃないのかな。
普通のお菓子缶やお弁当箱のようにも見えるが……亜美は早速開けてみようとした。
「まだ開けてはいけません!」
冗談のトーンで止める香織。
「電池というか、まあ開けたら期限があるので、使う時まで開けないでね」
「なんなのさこれ?」
「んー、あのね、無いと思うけど、あたしが不在のとき……どうしても寂しくなったら開けるのよ。その時亜美に必要なものが入ってる。ほんの気持ちというか、非常用グッズみたいなもの」
「ビックリ箱でもなさそーだけど」
わざわざ謎技術で作ってくれたものだし、有り難く受け取るものだろう。
「そういや香織、愛情以外に初めて何かくれたような。この共有本棚に飾っておくよ、ありがと」
「やだもー、亜美も愛情以外ビールくらいしかくれないでしょ」
亜美は『カオリちゃん缶』を棚に立て掛けながら、決定的な言葉を交わしていたことに気付いた。
――愛情を与え合っている、わたしたちが愛し合っているのは当たり前。
飾られたカオリ缶にキラリと光が反射した。
「……だよね」亜美はひとりごちた。
「ん? なあに」
振り向けば笑顔の香織がいる。ダサめの部屋着トレーナーを着た彼女が素晴らしく輝いて、暖かな燐光を纏っているように見えた。
「――うっ、わ、わたしもヤバい」
さっきの香織の、彼シャツへの感銘のような発作が伝染した。
不意に、身を切られるような切なさ、愛しさが襲ってくる。
――わたしが愛している、わたしを愛してくれる、
いとしい、いとしいこの女。
胸の高鳴り。甘酸っぱいものが生じてもどかしさを感じる。
「どうしよう、香織。なんだかせつないよ」
「ワオ」
ときめいて切ない。苦しい。涙まで溢れてくる。
今すぐ自分を、目の前の相手に溶かして捧げたい。
「ハグさせて、香織」
亜美は返事も聞かず崩れるように膝をつき、香織を抱きしめた。
「――わ、いいよ。亜美」
香織も抱き返す。
胸を合わせて鼓動が伝わるくらい強く抱きしめないと堪えきれない。
早鐘のような心臓のビートが互いの頭まで響く。
「うっ、うっ、んぅ――」
安心と充足感で咽び泣いてしまう。
香織も同じくスンスン鼻を鳴らしている。
溶けた蝋燭がもたれあうように抱き合ったまま、相手の震えや温かさ、息遣いや昂奮した体臭を感じあった。
涙が溢れ相手の頬や首を緩く濡らす。
時折鼻水も溢れて啜り上げ、抱き直す。
いつもならば、どちらからか押し倒してセックスしてるところだが、今はただただ相手の身体の手応えを味わっていたかった。
とはいえ下腹部も反応して熱さを帯び、湿って切なくなってくる。互い生きものとしての分泌が香るのが、もはや馴染み深い肉欲のしるしとして、ああ、したいんだなとわかる。
セックスも深く抱き合う行為で、この抱擁もその一部だが、とにかく縋り付き続けたかった。
同時に相手のお尻を手に取り、腿を開き股間を交差させ、服越しに局部を触れ合わせる。
そのまま腰と上半身を捻り、また座りながらハグする姿勢をとる。
胸を触れさせて鼓動を感じたい。
腰を動かして思い思いに股間を慰め合える体勢だが、今日は、快楽の波がハートの愛しさにドクドク変換されていくようだった。
腕はひたすらに相手を離すまいとちからが込められる。
親愛のハグなのかセックスなのか、情愛というやつだろうか。
涙と鼻水まみれの顔を見合わせ、夢中で口付けあった。
深く舌を絡め唾液を交換する。
密封された唇を互いに離さないので、自然荒い息遣いを恋人の口内で吐き、相手の吐いた息を吸い、呼吸を辛うじて繋ぐ。
相手の汗ともまた違う、唾液と熱い息の風味を味わいながら、どうしても酸素が足りないのか頭がぼうっとしてくる。
――そういえば香織とは、気絶するようなやり方はしてないな……まだ。
このまま意識を失って溶けてしまえばいい、と亜美はどこかでおもった。
鼓動だけ高まっていく。香織の鼓動も同じだ。
「――んーっ……」
ぬるりと香織のほうからキスを離れさせ、ぶはっと二人とも息継ぎをした。
しばし息を整える間、様々な液体でぐしゃぐしゃの顔で見つめ合った。
でも可愛い。愛しい。どちらも絶対そう思っている。
「――亜美」
香織は少しだけ常の笑顔を取り戻して亜美に囁いた。
「ねえ、亜美……わがまま、言っていい?」
互いに手を廻して支えあったまま、亜美にとって抗えない魅力を発散しながら香織が言う。
「言ってよ」
亜美はそれしか返せない。あなたは多分、これからマジメなことを言う。
香織は言葉に迷うような素振りを見せ、少し間をおいた。
「――あたしと、一緒になると決めて欲しいの」
「うん……」
今も一緒にいるじゃない、とは言えない。切実な願いの投げかけだ。
「あたしたち、友だちで……一応、恋人みたいなものだよね」
「うん、そうだね」
とんでもない、もっと深くあいしあっていますとも。亜美の心中にそんなフレーズが浮かんだ。
「友だちだけじゃ嫌だよ。仲の良い恋人でも足りない。あたしのこと、亜美が好いてるって知ってるよ? こんなにも愛してくれてるって知ってるよ?」
「――うん。好きだよ。香織のこと、愛してる」
ここまでは、素直に言えるのだ。
「なら――わがままを言わせて。おねだりをさせて。亜美の誓いが欲しいの。強い決心が欲しいの。揺るぎない意志が欲しいの。結婚しよ? 家族になろうよ。お婿さんにお嫁さんにしてよ。夫になって妻になってつがいになって、伴侶にペアに、パートナーに連れ合いになっていつもそばに居て欲しいの。とにかく離れたくないの。ひっついて一緒に居たいよ」
延々吐き流すように願う香織。亜美の肩に回した手が震えている。不安なの? 香織なのに。そんな、そんな風に不安がって欲しくない。
「香織――わたし」
亜美は香織の頭を手繰り寄せて抱えた。実際のところ視線を逸らそうとした動作だ。
いい言葉が出ない。
――いい言葉って何だ。誤魔化そうとしているんだろわたし。
「わたしだって、わかってよ香織。わかるでしょう、同じだよ。わかってよ」
「言葉にして!」
「一緒に居たいってわかってるでしょ? ねえ」
「いつまでも一緒に存在してくれる?」
「したいよぅ――わたしだって」
「そのための言葉が欲しいの。あなたの覚悟が欲しい誓いが欲しい、あなたが欲しいの!」
そうだ。香織はもともとこういうひとだ。愛する対象の全てを求めるし、そのためなら何をも厭わない。
睦言よりも苦い甘い、繋がりを決する言葉を求める香織。
「怖いんだよ。嘘つきたくない。香織は大切だよ。でもちょっとこわいの、定まらないの」
香織はンーッと唸ると今度こそ亜美をカーペットに押し倒した。
乱暴だが、彼女らの中では愛情の発露の一部でしかない。
充満して張り詰めた思いの暴発としては、こんな勢いや柔らかな床への衝撃ではなまぬるい。
「亜美、こわいならあたしを全部あげるから! なによりもあたしよりも旦那よりも世界よりもあなたが大切なの! わかってよ、ねえ、あたしずいぶん我慢したんだよ!」
「かおり、わたし今あなたに食べられちゃってもいいんだよ」
「亜美! そんないい加減なことば、いらない!」
バレている。相手のためにと軽々しく犠牲になったり消えたりするのは単なる逃げで、愛情でも覚悟でもない。
しかし、ここまで詰られなければいけないことかしら。
「何でわたしがコワイのか、わかる?」
亜美にのし掛かるままの香織の瞳に瞋恚の炎が灯り、めらりと揺れた気がした。
「死んでるからか」
短く恐ろしい言葉を放つ香織。
――そうだけど、違うんだ。あああ、こんなこと、言わせてしまった。
生死の境界で悩んでいるのは香織も同じだろうに。
「香織ごめん! 違うよ! そうだけど違うよ!」
なんとも拙いことしか言えず情けなくなる亜美。
「こころを、見てよ――なんて虫がいいよね」
亜美は理解しあっていながらも絶望的に断絶していることに嫌気がさし、瞑目した。
ぱたぱたっと水滴が亜美の顔にかかる。
亜美の顔に覆い被さる香織の――涙だろう。
「……う、う、うぁーん」
香織は亜美の胸に顔を埋め泣きじゃくった。うっうっと嗚咽が続く。
悪くって言葉がかけられない。先に泣かれてこちらも泣きたい。
抱きしめるのもわざとらしい。
仰向けに投げ出された亜美に重なって香織は泣き続けた。
「――う、グス……」
互いにいとしさだけは止まないのに。
どれ程経ったろう、漸く香織の嗚咽が収まってきた。
亜美は目を開けちらり胸許の彼女をみた。丁度香織も泣き腫らした目だけこちらを見遣ったところだった。
「――ごめんね、亜美……困らせちゃった……」
「いい、よ」
――わたし、いつだっていいの。本当は。
いま心を読んでくれればいいのに。
未だしおれた表情の香織は、身体を起こし、亜美の体も丁寧に起こして座らせ、やや落ち着いた様子で向かい合った。
「――あたし、この通りでさ。イイモノとは程遠いよね」
「そんなこと」
だから香織なんじゃない。
「頭、冷やしてくる」
不意に空気が揺れ、彼女が着ていた部屋着だけが、亜美の傍に落ちた。
中身の香織が唐突に消失したのだ。
「香織? どこ――」
乱暴な消えかた。
返事は無く、亜美は夕刻の暗くなりかけた部屋に残された。
香織が出てくるとき、閨以外では慎み深く衣服を着ていることが多いわけだが、大抵、実体化しても定番の白ワンピースなどは香織の意識が再現している映像だ。屋外などでは特にそうで、実際の服を纏っていれば他人からは服がトコトコ歩いたり浮いたりしている様に目撃され、当地域に新たな都市伝説が噂されることとなる。
ただ、気分で生前の自分の衣装を取り出し着用していることもある。部屋着などは特にそうで、防寒として半纏や着てラクな気分になるスウェットなどは実物を用いた方が具合がいいそうだ。そう、実体に、生身になれば冬は寒いし夏は暑い。オバケ的裸一貫では恋人の前で恥じらいもある。脱がせあう楽しみもあるし。
鳥肌も立つし汗もかく。涙もヨダレもでるわけだ。
亜美が何故そんなことを思い出しているかというと、頭を冷やすと言って消え失せた香織の脱け殻が、やはり実際の「くたびれトレーナー上下」だったので、つらつらそんな事が想起された。ブラやパンツまで脱皮し遺されているわけだ。
些末なことを考えないと、自責や衝撃で打ちのめされて即座に何もできなくなる。
脱ぎ(という動作もなしに)捨てられた下着や衣服をまず脱衣カゴへ入れておいた。
風呂場に行った流れでシャワーも浴びておく。
万が一スグに香織が帰宅したならば言うことはたくさんあるし、泣き腫らした顔は亜美も同じだ。格好つけるわけではないが、ぐしゃぐしゃの顔で待つのもイヤだ。帰ってきたら絶対にセックスしたいし。そも肉体的にかなり高まった後のあの喧嘩だ。
――わたし、そんなに悪くないぞ。拗ねやがって、香織め。
「好きだっつうのに」
滅多に言わない独り言を口にして毒づいた。
この後待ち受ける落ち込みを前に、牛乳とゼリー飲料だけでも口にしておく。ドツボにハマれば絶対わたしは動けなくなる。
さすがにお酒を飲む気にはなれない。やはり真面目に考えなければならないことが結構ある。何せ最愛の恋人が家出したのだ。
本日の香織さん幽霊ジョーク――
(キレ気味に)
『死んでるからか』
――あれはない。ドスの効いた声で言っちゃってまあ。こっちだって『生きてるから』悩んでるんだよ。オバケが便利に生身になって抱きしめながら生死を語るのも贅沢なんじゃないか。こういう話って、触れられなくて懊悩するんじゃないの。いや有名な映画とかでもあるよーに『エロオバケはセックスできる』というのはむしろ王道か。
それに死んでようが生きてようが、あれだけ重い愛情に応えるって大変だぞ。
香織が香織たる所以なんだろうな。
でもいまのわたしは存在を懸けてでも応じたいと思ってるわけだ。
どうして?
いつから最愛になったの?
死んだ香織が現れたとき?
そのとき抱かれて良かったから?
性欲スタートでもわたしは別に構わないけどさ。
わたしも彼女もオンナだからむしろ、男女の恋愛よりトクベツ感がある、デショウ?
くだらねえ。わたしはその思考回路を削除した。
わたしと香織の問題で、固有性はあっても(わたしの中の)世間様から評価されたいわけじゃない。クソ食らえだ。
そしてこの寒い季節の間中、一緒に居た。
同棲してたわけで、思えば香織がそばにいることを負担には感じなかった。
もともとダチだったし、良く知っているほう、例えば感じてる喘ぎ声も知っていた。一度だけね。
この前も、文字通り身を挺して守ってくれたわけだが。すぐ治ると言うけど、血が流れて痛々しかった。わたしに傷ひとつつけないと言った。その通りだった。
理詰めで考えるのはバッドか? ベターか?
ベターでいいじゃないかわたしの場合。
旦那は――知らん!
そこまで考えてられん。香織がいいというからいいんだろ?
香織が死人であることに折り合いをつけなければならない。
今のオバケの香織が好きで好きでたまらないのだ。
目の前の死者と添い遂げる覚悟ができる理由を見つければいいのだ。
好きなのは、わかる。
愛は好きより重いのか? 上位互換か?
ライクとラブか。余計わからん。
懸想していることの大なるが愛ならそれでいいじゃないか。
香織は愛って何だと思ってるんだろうな。
香織なら、どういうか?
「ねえ、どうして愛情なんてものを信じようとするの? この世でもあの世でも、最も変質して枯れ果てやすいものよ? なんでそんなものに存在の全てを賭けようとするの?」
あいつは、そんなことは言わないな。我ながら精度が低い。
何を頼りに生きると言って、他にマシなものもないんだよ。
好き 慈しみ 愛しさ 情愛 性愛 憐れみ 同情 よくわからん恋慕 犠牲 投棄 割のあわないコスト 切なさ 慈悲。それはマシなもんで、残酷から逃れようとするヒトの意志だ。そこらへん、かき集めたのが愛でいいよ。わたしは言葉遊びは苦手だ。
香織より そんな愛を交わせる相手が想像できない。
彼女はそうやって愛するにあたり都合がいいから?
いいね。都合がいい。あいつはもう、自分や相手を欺いて気持ちを隠す理由はない。好きなものは好き、愛しているから愛している。わたしのことが好きだと、自分よりも大切だと言ってくれたんだ。定まらないわたしよりよっぽど信じられる。
――ところで、夜も大分更けたが、香織はいつ帰ってくるンだ?
寒いぞ。頭は冷えたころじゃないか?
ごく下らなく、容易に思いつく不安がよぎった。
オバケの時間や距離感って、わたしらと同じか?
ちょっとハネムーンに太陽系ツアーするヤツらだぞ。
ちょっとそこまで♪ といって年単位とか。
そういやあ、今のわたしには香織に通じるスマホがないな。
現代のすれ違いのなさに慣れすぎたか。
香織が化けて出た後はいつもそばにいたし。
『ねえ亜美!』
――いかん、来た。
日中の発作的な恋人的、いとしさ切なさの発作のように。
香織が居ない。
バカ話してうざい、好き好き言ってくる、横に寝てることが当たり前になった、案外イビキのうるさいあいつが居ない。
――淋しい。
さびしくなってきた。
さみしいと感じてきたことを自覚した。
好きな子がいないかも?
今夜は居ない? 明日は? 今週は?
わたしは独り寝のできない子供か。お母さんさみしいよう。
お母さんよりもいろいろできる、親密な連れ合いがいないよ?
――喧嘩してそばにいないことだって、あるよ!
わたしは布団を被った。
寝ちまおうと思った。
眠ろうと努力してしまうとロクなことを考えないね?
よりによって、香織が死んだ時の、満月の夜を思い出してしまった。
月が睨んでいるようで、怖くて布団を被って震えていた夜に、香織は死んだのだ。
――待て待てわたしは大人だから恐怖や喪失感と戦える。
香織は確かにそん時死んだんだろうが、旦那とラブラブだったからな! わたしが香織を想って震えて泣いてたあの時! 喜んでエッチな心中儀式とやらに夢中だったんだ!
なあ君、覚えてるよね。わたしはそのビデオまで見たんだよ。香織が死ぬ瞬間の!
『わたしも愛してるよ、亜美』
――わあああ。
胸がキュンよりに痛む。
戦いの試みは逆効果だった。さみしさに愛しさよりの切なさが追加された。
例の儀式で香織が愚かしく心中死したからこそ、わたしは彼女と愛し合うようになった――バカらしい考えだ。
更にわたしの頭の中でエピソードに意味が付与されていく――
香織の儀式ビデオはわたしのトラウマだ。誰も友だちが死ぬところなんか見たくない。
だけどわたしは彼女ら夫婦が喜んでそれを行い、交わりながら死んでいく場面だと納得していた。それは(良いものとは意地でも思わないぞ)途方もなくいやらしい、扇情的な、エロティックな快楽と、悦楽じみた、穏やかでない幸福にひどく溢れた光景だった。
死に直結するエロスはあてられやすい。
わたしは良識的友人であるので、忌避すべき映像だと思っていた(それが正常だと思うぜ?)が、チャンネルが合えば……とてもエッチなオカズというわけだ。
しかも香織のエロ動画。一世一代の最高傑作!
――しかも旦那と。
それはそうだ。理性ではわかる。わたしこと亜美のほうが旦那より後だ。横恋慕だ。二番手だ。香織本人と、恐らく旦那の寛容さにも赦されてるおかげで、わたしは彼女と好きや愛を語れる。寝る前どうでもいいと考えたが逃避だったようだ。嫉妬だよ。
抱き合うならわたしと。セックスするならわたしと。一緒に死ぬならわたしと。して欲しい。
少なくとも香織がオバケになる前はここまで考えなかった。
なんだ、答え自体はとうに出ているわけね。
――とはいえ、あてられた。
よりによって布団の中だ。
グルグル考えてたら不謹慎エロネタでえっちな気分になってしまったというわけだ。
シャワーで鎮めた筈の、下半身のうずきが再燃してきた。
さびしくてせつなくていやらしい気分。
あああ、自分の何かヒトとしてのダメさが。快楽に浸りたがってる。
せめてもの罪悪感のいいわけに、穿いていた香織のパンツは脱いで枕の下に隠した。
「香織、んっ、かおり――」
結局わたしは自分を慰めることに正直になった。
彼女のビデオではなく、できるだけ生身の香織との行為を思い出すようにしたけど、結構出てきた――。
ひどく現実的なことに、中途半パにイッたわたしは、爾来朝までの時間をうつらうつら過ごした。コーヒーを飲み過ぎた時のように不自然に時間が引き延ばされる感覚だ。さみしさは募るがシクシク泣く程でもない。時間が経つのがひどく遅いだけ。
香織が帰ったら何と言って迎えるか、もう良いから気持ちをとにかく伝えたい。否定は無いが肯定の記念碑的いいことばも思いつかない。
とにかく一緒に居たい、できるだけ長く永く。
――そういやわたしは死んだらどうなるんだ?
香織は無に沈まずわたしの前にいるわけだ。わたしが喚んだようなものだと彼女はいうけど。わたしはあの怪しげな儀式をする度胸も相手も居ないが。香織はもう死んでるし。でもでも、香織とならしてもいいな。あのカルト儀式に参加したいと思うのはよほどガンギマリな奴(香織はそうだ)だし、オバケの香織という存在に触れたからこそ、わたしもこんなこと考えてるわけだが。
むしろ、ひょんな痴話喧嘩によるひとり寝で、わたしの性癖が開発されたことがショック――でもないが……香織の悪癖であった死性愛的なものが少しわかってしまった。あのビデオの旦那の代わりにわたしが登場していてもそれはそれで。うーん、過度なSもM気も無いつもりだけど。うーん。
寒々しい休日の朝だったが、もう一度シャワーを浴びておくことにした。枕の下に隠したパンツも回収して履いておくべきだし。見つかったら何を言われるかわからない。
予定の無いことに安堵と落胆をしつつ、連絡手段の無いことにまたモヤついて布団を不精で二つ折りにしていると、昨日の「カオリちゃん缶」のイラストと目が合った。
本棚に飾られた、デフォルメ香織の描かれた大きめのお菓子缶。
『あたしが居なくてどーしよーもなくさびしい時の非常用グッズ』と言っていた。何が入っているかは聞いていない。必要なものがどうとか。
わたしはその缶箱を手に取った。ちょっと振ってみるが何も音はしない。
蓋のイラストの目玉が動いたような気がする。ははは、まさかね。チョコ菓子の箱のキャラと目が合ったなんて思わないでしょう。彼女のイラストだからちょっと気になるってこと。可愛く描かれてるし。
――開けてみようかな。
挫けるの早すぎ! と笑われてもいいや。実際そうなんだ。
コタツの上に缶を置いて、中身をちょっと想像した。
『愛してるから待ってて』みたいなイイメッセージだったら余計凹むなあ。
蓋に手をかける。ちょっと違和感があったが、両手でパカっと開けた。
特に引っかかりもなかったが……中は空箱に見えた。
ん?
フタのイラストが動いた。さっきの違和感はわたしの手に絵の香織の目線が動いていたからだった。んが。
驚きを発する間も無く、蓋の絵が『起き上がった』
「えぇ――?」
絵は立体の二頭身人形となり、ちょこっと短い手を伸ばし、缶の中に移動してわたしに向き直った。な、なかなかの超技術。

思わず人形に手を触れたが、スカッと抜けて触れることは出来なかった。
『やー、亜美!』
香織の声でその立体映像? は両手を挙げ可愛げに挨拶してきた。
「喋ったぁ!」と言っておくのが作法だろう。日本書紀にもそんな話があったかな。
『えへへ、えー、あたしは『カオリちゃん缶・初回限定版』だよ、しばしよろしくね』
「んんん、お話アプリみたいなもの?」
『そうだけど、精度が違うネ。あたしは作られた時点の香織の記憶と思考をそのまま持ってる。亜美のピンチにやってきた愛の天使だよ』
今度は天使(自称)ときた。わたしは肩がガクっとなりかけた。
「――そっか、香織め」
でも気が利いてる。さみしくて仕方なかったし、香織の思考そのものと話せるのは、確かにわたしに必要なものだった。
『で、今はいつ? 何か大変な事件で香織本体が不在?』
わたしは日付を告げた。
『――はや! あたしが作られたの昨日じゃん!』ミニ香織は缶の中でずっこけた。
「あんたがキッカケでもあるんだからね」
『なんだいそれ、あたしらあんなに仲良かったじゃん、ケンカなの?』
本人の思考に説明も恥ずかしいが、ミニ香織(と呼んでおこう)に事情を話してみた。
「あんたをプレゼントしてくれて、わたしも感動して盛りあがってたら、香織が『覚悟決めろ亜美!』って、わたしをツメてきたんだよ」などなど。
『あー……』ミニ香織は納得したようだった。
『あたしが謝るもんでもないけど、来るべき時が来たね。いずれそーなってたよ』
「いずれってなにさ」
『ま、ま。えとね、まずあたしの仕様を説明しておくよ。まさにこういう時のための『カオリちゃん缶』だよ。まず、あたしとの会話は本体には伝わらない。なので言いたいことを言ってね。記憶は制作時点の本体そのものだから、何考えてたのかもわかるし、聞きたいことがあったら今のうちに聞くってもんさ』
「ありがたくて涙が出るわね」
『でしょう? で、あとわたしの活動時間は開封から二十四時間。キリよく、というか香織本体は絶対にそれまでに帰ってくる。そういう思想で作られています』
「絶対なんだ?」
自身ありげに断言するミニ香織の宣言に、正直ほっとした。
『亜美をそんなにひとりにするわけない』
「そっか……ありがと」
『愛の女神だからネ。なので――今日の夕方には帰ってきて、明日の朝はあんたら抱き合って寝てるよ、朝チュンだよ』
細目で肩をすくめるミニ香織。デフォルメなのに香織らしいな。
「帰ってくるんだよね」
もう一度確認する。
『そりゃね。帰ってくるのなんてとーぜんじゃん、と開き直れないのが亜美だよね』
「……不安にもなるよ。わたしはどこでも行ける超オバケじゃないんだぞ。香織だってなんつーか、好き好き過剰なところ、人間のままだろ」
『そだねー。そういう存在でありたいと選択してるんよ。できることは増えたけど、実際中身は連続した人格の香織ちゃんだからね』
『でも、何でそれでケンカになるの? お互いちょー好きなんでしょ』
「真剣だからだよ!」
『フム? あたしが死んでるからかな?』
常々用意してるセリフなのか。
「うぅ、それ昨日マジギレで言われたよ……」
『それなー。亜美がショック受けるのわかってて言ってるよ! ゴメンねえ。でも結局そこだよね。どう思ってるん?』
――ミニ香織はわたしに、定まらない理由の核心を言わせたいのかな。
「いいんだよ。今は。むしろいっつも一緒にいてくれるし。でも、ずっと先まで一緒に居られない、つか香織は『不老不死』ってやつでしょう」
『ありていにいえば、そうかな。死んでますので……不生不滅が言い得て妙かもね。パートナーによる認識アンカーで自我を連続させてるんよ。うまくいけば想像しうる限り長『生き』できるよね」
難しい理屈を披露したそうなミニ香織を遮った。
「結局さ。わたしが死んだらサヨナラだし、わたしがバアちゃんになっても香織はそのままだろ。わたしが年取るのは嫌じゃないよ。でも香織とのギャップがでてくるかな、と想像するとちょっとツラい」
『香織が見た目をおばちゃん外見にわざわざ変更するのもイヤなんでしょうね。亜美の性格だと。でも恋人がいつまでも若いってのはプラス要素なんじゃない?』
ミニ香織は額や眉間に陰影が出る記号的な悪い顔をした。
『亜美のDNAや代謝をいじって老化しないようにしよっか?』
「――……わたしは、凡人だからね、魅力的すぎる提案だよ。不自然だからイヤだ、とはいわないよ。言われたらほとんどの人は喜ぶだろうね」
『生物学的不死を追求するのもいいね! 機械の身体は何%まで許容ですか? 亜美じゃなかったら百パー機械で顔は零士メーターみたいにするのを推したいね』
悪い冗談だ。宇宙戦士の銃をくれ。
「そもそも――ゼイタクだとわかってるけど、香織はオバケで絶対居なくならないのに、わたしは生者だからいつか、必ず先に居なくなる。香織は泣くだろ? わたしも切なく思うだろ? でも人間はみんなそうか……」
『うーんうーん……』
ミニ香織は自分の領地らしい缶の中を腕組みしながら歩き回った。
『あたしが、言っていいんかな……ま、いっか。あたしも香織だし』
『ねえ亜美、永遠って怖くない?』
不死というのはそういうことだ。永遠に近い時間を強制されて苦しむ思考実験的なお話はいくらでもある。
「香織はどう思ってたの」
『ご存知のとおり、あの『儀式』は永遠に相手とイチャコラできるよを謳ってたのよ。でもねえ、香織自身は実は『どっちでもいい』と思ってたのさ。『儀式』が別にフェイクだっていい。普通に死ねて、よくわからない無みたいになっても満足、なんか成功で彼氏と永遠に? でもよし。いけない死にたがりマニアだったからねー、わはは。その程度の覚悟だよ。崇高でもなんでもない――うーんん』
ミニ香織は下から覗き込むように言った。
『亜美、あなたもオバケになる?』
「え」
『……亜美の場合さあ、死ぬとあなたが拒否らない限り香織に引っ張られて同じオバケになれるのよ』
何の疼きだろう、心臓がドクっと熱い感じがした。
死。香織の血と死に顔と昨日わたしを押し倒して泣いていた顔がフラッシュした。
『複雑な儀式も何も今更要らない――もう既に、死者であるあたしと、良くも悪くも交わりすぎてて、強固な縁が築かれている』
「悪いか?」
それが悪いというなら世界をブッ壊してやる。
『もちろん、悪くない。あたしもあなたもまさかそう思うわけない』
好きになってしまって、好ましい関係がこうも深まっているから。
「じゃあ香織がブチ切れてたのは……」
『あたしなりのフェアネスってわけで――『あんたも死ねば同じオバケになれるよ?』なんて悪魔的なこと、言えないよ。あたしが有利すぎでしょう。オバケデビューさせてやるから結婚しろとか、何営業ですか。嫌われる、というか軽蔑されそう、怖くて言えなかった』
「そういうところは慎重なんだな」
『あたし、愛が重いからねえ。結婚して! あなたが欲しい! と希望はね、ぶっつけるよーに言えるけど『一緒にオバケになれば無問題なのだ!』とは言いにくいんよ。ごめんね。欲しがり屋さんだからね。亜美の愛情を確信しながらも、強めのことばで包んで欲しいんだね。我ながらヤバイね』
――ホント、そういうところは幽霊となっても変わらないわけか。
なら、生前からのダチとして言わせてもらおう。
「香織さあ、いっつも付き合った相手に嫌われる前に、自分から別れてたよな。わたしの知ってる範囲でも、相手から離れていったこと、殆どないぞ。どうせ捨てられたり嫌われることがコワイからって言ってたな」
ミニ香織はギギギと唇を噛んだ。
『意地悪』
「じゃあなんでわたしや、あの旦那とは離れないんだ?」
散々泣かされたし、言ってやろうと思った。
『あのなー、細かいことは本体に聞いて欲しんだけど。すぐ電池切れるあたしがそこまで恥ずいこと言いたくなーい。尊厳尊厳』
「わたしや旦那は信じられる?」
『……むー。一言で言えばそう。でもね、譲さんは結果論で、亜美はあんたから引っ張ってきたから――それで』
もじもじするミニ香織。短い頭身もあって可愛い。
「結果論……」
『これさ、本体にも譲さんにも言わないでよね。旦那はさ、知り合ってすぐにラブ的な心中したわけでしょ。出会って一週間だよ。その時の香織は『それくらいまでなら愛情も保つだろう』とチョー打算的に考えてたんだよ。つまり相性と勢いですぐ揮発するかもしれない『一緒に死んでもいいくらいの愛情』だけど、無常感的な希死と、性癖である死性愛の目的は結局達成できる。なかなかのメンヘラ。だけど『儀式』後、ペアでオバケ化してみたら、やっぱり旦那の愛情もホンマやった、と実感したわけ。隠しようもないからね。だから結果論』
「――何といったもんか、あんたらしいよ。わたしは?」
『亜美が熱烈にあたしを呼んだからだろ! あとは本体に聞いて!』
ミニ香織はわかりやすく顔を赤らめ、両手で顔を覆った。
「わたし、香織に無意識に執着してたのかな」
『無意識も何も、心中止めに来たとき、亜美泣いて止めてくれたじゃない。嬉しかったよ。思えばあたしの中にも何か芽生えたのかもね、あの時。あたしが死ぬ、居なくなるのを泣いて引き留めてくれる人いるんだ、って』
「当たり前だろ、ダチだもの」
カルト儀式で喜んで死にますから、というのを旦那どころか香織本人もブン殴って引きずってでも止めなかったのか。それは亜美の後悔だ。
「なあ、香織――旦那と抱き合って刺される時、痛かった?」
唐突に、興味半分に聞いてしまった。
赤い槍で旦那ごと、心臓を。
『あははは、それ聞く? 全然だったよ。亜美には悪いけど。へへへ、悪趣味に聞きたいよね。いいよ、露悪的に教えてあげるよ……』
ミニ香織は胸の前で手を握り、歌手のように自分の生の(性の)クライマックスを語り始めた。
『好きな男と抱き合って絶頂しているとき、槍があたしの心臓を貫いてくる。なんというか、Hで挿れられるくらいの感じで気持ち良かったよ。やさしい痛みをピリっと感じたときが乳房の下から刺さってく起点で、そのままゆっくり心臓へ。尖った穂先が心臓を破るイメージをね、じわじわ感じてたよ。血が喉から昇ってきて、むせて息苦しくなって、目にどんどん黒いフィルタがかかって――貧血の時みたいに意識の巡りが散ってく、あーやっと、逝けるんだ、キモチイイな……て思ってたよ』
『常識的にはね、そりゃ良くないコトだよ? でもあたしは死にたかった、自分の死こそが快楽の異常者だったからねえ。趣味嗜好がトンガリすぎだよね、あはは。なので素人にはオススメしない。で、快感とヨロコビのまま、譲さんと最期のチカラで何とかチューして、そのまま身体は死んじゃった』
やはり聞くんじゃなかった……が、昨晩の亜美の自涜のオカズになってしまった、香織と、亜美ではない相手の、交わりと死の記録の、本人コメンタリー。大した異常だと頭が痺れた。
――そして香織は化けて出て、死が気持ち良かったなどと曰う。そんな女を、わたしはどうしようもないほど愛している。
なら言ってしまえ。ミニ香織でも香織そのものなんだろ。好きな相手に恥を晒すのもイイじゃないか。
「……ねえ、香織よ」
『やらしいこと言おうとしてるでしょ』
「ウン……あのね、その……今あんたの語った、死んじゃうシーン、良さが少し響いた」
『ええー? 亜美もかなりヤバイね。新たな性癖の扉開けたんか』
「ゴメン、昨日……思い出してオカズにしちゃった。なんかムラっときちゃった」
恋人の思考クローンに、こんな恥を。
ぼんやりと、この瞬間、世界でこんな告白をしているのは自分だけだろうな、と天空から俯瞰したアパート内の己を想像した。
ミニ香織は、にっこりと笑った。
『えはー、亜美最高だね! そういう開陳、本体にも言っておやりよ。喜ぶと思うよ』
「喜ぶんか……でも、わたしらじゃそうなるよね」
――ああ、会いたいな。
今ケンカで一時不在とか、亜美がさみしさで凹んでいることとは別に、恋慕だろうか、澄んだ気持ちの会いたさが、お腹のあたりから湧いてきて、胸に溜まっていくように感じた。
――うん、一緒にハダカになって、刺された筈の彼女の左胸に、わたしの乳房を強く押し当てて、今ミニ香織に言ったように、あんたをオカズにしちゃったなんて恥ずかしいこと言って、笑ってもらいたいな。
それだけでいいなあ。
我ながら変な腑の落ち方だと思った。
難しいことでもなかった。
――わたしの、香織への、気持ちのベクトル。重みを伴った感情の矢が彼女へ向かって進み、あの娘のどこかにやさしく刺さる。違う風味の感情も次々と向かっていく。
香織からの想いの流れも、靭性のある長槍のように亜美に向かっていて、既に致命的な刺さり方をしていたり、蜘蛛糸のように頼りなく細く、触れるか触れまいか亜美の琴線を探る臆病な感情の流れもある。
それが縁のビジョンなのか、愛情的な繋がりなのかは曖昧だ。
もう離れられないなら、もっともっともっと、深く繋がればいい。かけがえの無い、わたしがくっついていたい存在。
その行為は、うっとりと自分の意志で抱き寄せるべき亜美自身の歓びだ。
永遠が破滅だろうと香織が居るなら、それは良いものだ。
「ねえ、香織」
『なんだい、ダーリン』
亜美が思惟している間に、ミニ香織は暇そうに横になってゴロゴロ転がっていた。
「ありがとうね、わたしも覚悟ってやつ、決まっちゃった」
『良かったね、本体にいいなよね、喜ぶよ――あたしは定命なので亜美の気持ちは嬉しいけど、そろそろ電池が切れるので複雑です……あーもう、高度なクローンなんか作るなっつの』
分身作るのはロクでもない、といつか香織が言ってたな。だから期限付きに作ったんだろう。
亜美は大事な気付きをもたらしてくれた、この香織クローンも愛しくなっていた。
「ねえ、ミニ香織ちゃん……香織を出し抜かない?」
『んあ?』
「あなたの電池、何なの?」
『波動エンジン。この缶カンに含まれる香織本体の、まあ感情とか魂的なモノだね』
「どうすれば補充できるかな」
『亜美も悪いこと考えるね、ありがたいけどいいことないよ。亜美は本体と幸せになりなよね』
これは消えてしまう香織なんだな。達観してるようだけど。
――こころの波動、ね。
「ね、香織、キスさせて」
『……うん』
ミニ香織は訝しげだったが、キス人形のように手を後ろに回し、目をキュッとつぶって小さな唇を突き出した。
亜美は触れられないビジョンであるミニ香織を両手で包むようにし、自分の唇をゆっくりとミニの唇の位置に合わせた。感触はない。が、香織への想いを励起しながら、それがミニ香織に流れるイメージを念じた。
どれくらい経ったろうか。相当な時間、亜美は目を閉じてミニ香織へエア接吻を続けていた。
『##――ん!』
ミニ香織が変な声を出した。
『亜美ちゃん……すごいね。補充されちゃった』
「ホント? やったじゃん」
『いいことでは、ないんだよ……うれしいけど。あたし本体が戻ってきたら、とんでもない! とか言ってSF的倫理で停止するね。あたしもそれがいいと思う。自律クローンなんてほんと、ロクなことしないんだよ。あたしだって香織だから、亜美が好きなんだよ。二頭身でホロボディじゃどうしようもないしさ』
「わたしが香織を説得して、そのまま飾っておくとか」
『で、毎晩あんたらが激しく愛し合うのを見守るのかい、勘弁してよ。そりゃどんなAIでも反乱したくなるよ。ね? ロクなことないでしょ――待てよ、愛し合う、かあ』
「かえって悪いこと、したかな……疎くてごめん」
サブカル知識は香織の方が上だし。
『いや! いいこと思いついた。結構楽しいかも。亜美や本体の邪魔をせずに、あたしはあたしでイイことできるかも』
「なんのこと?」
『旅に出るよ。本体ちゃんが帰ってくる前に逃げる。亜美のお陰で結構な時間動けるし』
ミニ香織はぱったぱったと反復横跳びをした。やる気が出たようだ。
「旅――って?」
『愛を知る旅に出るわ、いひひ』
ミニ香織はクルッとコマのように一回転すると、衣装がワンピースから、紫色のレオタードに変わった。オシャレなのか黄色い腰布を巻いている。
『――あと二時間もしないうちに、香織本体は帰ってくるよ。亜美、どうか、本体としあわせになってネ。そしてあたし自身は直ちに逃げ去るよ。何かで近況報告くらいするから』
「えっ、あ、もう、行っちゃうの?」
亜美は香織本人の帰還も気になったが、旅に出るというミニの身の振り方も気になった。
ミニ香織は、缶箱の縁をジャンプで飛び超え缶に向き直り、両手を掲げると、ちょっとした照射光を手から発した。
照射は彼女の缶を照らし、ペコ、と端が凹んだのをきっかけに、動画の早回しのようにクシャクシャクシャ――と容積体積を減らし丸まり固まるような動きで「カオリちゃん缶」のフレームは圧縮され、最後には小さな銀色のポーチになった。ミニ香織の腰に収まりのいい大きさだ。
ミニはそれを腰につけた。
『コレが、亜美のくれたエネルギーを込めた波動エンジンのコアなんよ」
「名残惜しいよ」
『あたし自身は、そういうとこ厳しいからね。それでもリスクを犯してあたしを作ったのは、まあ……亜美にだからね。亜美の慰めになるなら何だってやるさ――じゃあね。亜美! 愛してる!』
ミニ香織は投げキッスを亜美に投げると、小走りにコタツの端に達し、ひょいと跳躍すると、消えた。
「あっ、かおり!」
もう少し、余韻を持って行けばいいのに。
「――またね、小さなカオリちゃん」
亜美は仰向けに倒れて、中空を見つめ呟いた。
