女神憑き: 01話 プロローグ
ギターケースを担ぎ、部屋の鍵を閉めた。
築年数のいったアパートの階段をカンカンカンと降りる。
ボロいが駅近で安めの物件で、正式に自分の名義で契約したのはつい最近のことだ。
楽屋入りまで充分時間はあったので、亜美は曲を反芻しながら、イントロの運指と鼻歌を合わせた。
『ゴキゲンじゃん』
「まーね、ゲストで二曲だし、楽だよ」
最寄りのT駅から、都市線でO市駅へ。
各駅停車は空いていて、ケースも邪魔にならなかった。
『ボーカルはやるの?』
「いいや、今日はコレだけ。あっ」
ギターケースを叩いてみせたが、向かいに座る男性が訝しげに亜美を見たのに気づいた。
独り言を呟く怪しいロッカー風の女。
(人前でフツーに話しかけるなよ)
小声になり、スマホを出して話しかけ誤魔化す。
『邪険にしないで、ね。堂々としようよ』
読心してもらえば頭の中で会話も交わせるが、通常、亜美は発声して彼女と会話する。
――亜美の声、直接聞きたいしね。それにほら、読心マナーモードはお約束だよね?
などと言っていた。絶対言葉のチョイスおかしい。
電車はO市駅に到着し、亜美は口をへの字に曲げて降車した。
改札を抜ければ人混みで、声を出しても目立たない。
「ふう、堂々とって、常に独り言女も変だしさ、イヤホンつけてハンズフリーのフリも嫌だ」
『なにその違い』
「香織と話すのは、フリとかで誤魔化すもんでもない」
『やーん、遠回しな愛情表現』
香織の声が頭の中に弾んだ。
いつの間にか白ワンピース姿で現れた彼女――香織は亜美に並んで雑踏を歩いていた。
濃いブラウンの筈のボブヘアが、透けているせいで明るいライトブラウンに薄まって見える。
笑顔も、首から鎖骨、胸元の素肌も、服も腕も足も(今日は裸足の気分らしい)全て半透明で、いかにもオバケっぽいスケスケボディだ。
軽い足取りは、なるほど裸足なので地面から少し浮いて、地上数センチの空気を踏んでいる。
「ん、まあ、そう。香織と話すときは、コソコソしたくないってこと」
『好きっていいなよ』
「スキ」
『えへへー、あたしも亜美好き』
香織は亜美に腕を絡めた。
僅かな感触があるような気もするが、肉感的なものではない。
この友人、香織はいわゆる幽霊というものだった。
ライブハウスへ、駅前通りから先の国道との交差点を渡る。
夕暮れが終わればすぐに夜という季節らしく、繁華街沿いの歩道は暗くはないが人の顔は見えにくい。
ギターケースを担いだ亜美が、香織と並んで歩けば、道ゆく人とぶつかりそうな賑わいだったが、香織の半身が交差しても霊の体であるため誰にも衝撃はない。
亜美も歩きながらは気にかけないが、信号待ちで立ち止まるような時は、香織の存在するスペースを確保する。本人はあまり気にしていないようだが、親友が他人にめり込んだまま突っ立っている状態は面白くない。
なので他から見れば時々無意味にスッと横移動しているように見えるだろう。
ライダージャケットにスキニージーンズ、ギターを担いだロッカー風の出立ちで、いかにもケースを労っている仕草です、と自分や、想像上の人目に主張する時期はとうに過ぎた。
もっと大切にすべきこと、考えることがある。
『亜美』香織が(珍しく)短く真剣な声を伝えてきた。
交差点の歩行者信号が青に変わろうとしている。
『右の人、おぢさん! 一歩動かして』
亜美の左で組んだままの香織の腕が確かな力をもって引かれた。
亜美は瞬きの間だけ交差点を見渡し、右横で信号待ちをしている男性に向かって、ギターケースごとよろけて倒れ込むようにスローモーに体当たりした。
「わ、わ、ゴメンなさい」
大ぶりの楽器ケースに接触し、男性はオッと声をあげ二三歩下がった。迷惑そうに身を引く。
「おい! 危ね」男性が抗議しかけた時、右折レーンから4tトラックが信号待ちの彼ら歩行者に向け突進してきた。
ギュキョウ! とブレーキ音が響くも、勢いを制御しきれず、トラックは歩道に車体を一部乗り上げ、ようやく停止する。
今まで男性の立っていた位置に車体の突端があった。
亜美がぶつかり男性が下がったことで僅かに空間が出来、接触した歩行者は偶然にも居なかった。
「うわ、わ」
一声あげた男性も、周囲も沈黙し、ややあってざわめきが起こる。
「うっわー、危ない! あ、ぶつかってすいませんでした」
わざとらしく亜美は言うと、何か言われる前に早足に去った。
『ナイス! 亜美』
香織はギュッと組んだ腕にまた力を伝え、スキップするように浮いた足をバタつかせた。
「香織もね!」
演奏前にニコリと笑える体験だった。
