太一 2
太一と飯に行った。
異動して一緒に働くこともなくなっていたので、顔を合わせるの自体が久しぶりだった。賑やかな居酒屋、席について挨拶もそこそこに、太一は頭を下げながら「退職することになりました!」と僕に言った。その姿の何と朗らかであったことか。太一がいま笑えていてよかったと、そんなことをまず思った。
退職周りのことや仕事の近況について聞き、そこからは今後のことや日本にいる家族のこと、やりたいことややっていることなど、いろんな話をした。太一はいずれの話においても "迷っている感じ" が無く、そのことに僕は深く安心したのだった。彼は以前から前向きな人間ではあったが、いくつかの選択肢を前に迷っていた時期があった。人は、自分のための決断をしたときにまぶしく光るのだということを知った。
17:30の予約だったその居酒屋が人気店だったこともあり、19:30にはしっかり退店しなければならなくなった。続きを話すために入った近くのカフェも20:30で閉店をしたため、それじゃあこのへんにしときますか、と解散することにした。
「まだいるんだったら、また会えるだろうしね。」
僕は言い、太一もそれに同意した。彼はこの会社を退職はするものの、バンクーバーにはあと一年ほど残る予定だ。
街はワールドカップでとても賑わっている。歩行者天国になっているエリアで、それぞれ帰宅する方向に分かれることになった。前を歩いていた太一はキリッと振り向き、深くお辞儀をしながら「ごちそうさまでした!」と言った。
太一は、もう大丈夫だろう。
バスの揺れに足を踏ん張りながらそんなことを考えていた。それは太一のあの迷いのなさを見て感じたところもあるが、もっと別の何かから来ている気がした。
それが何か分からないでいるが、にも関わらず「大丈夫だろう」と思えている。例えば僕は、今乗っているこのバスが何事も無く家の最寄りに到着することを信じて疑わない。というより、ただただ「当然そうだろう」と思っているのだ。100%の確定などどこにもないことを知りながら、僕は今日も安心しきったまま外の風景を眺めるなどする。
太一のことを「もう大丈夫だろう」と思うのは、何だかその感覚とよく似ていると思った。当然そうだという感じ。何が根拠になっているかは分からないが。
思えば、僕はずっと太一のことを心配していた。
それは昔感じていた「仕事の上で危なっかしい」みたいなことではなく、太一という人間の性質のことを気がかりに思っていたのだった。やさしくて、繊細で、正直で。誰のことをも信じたくて、小細工なしでまっすぐ伝えたくて、自分のことを犠牲にできて。悔しがって、強がって。そんな太一の性質のことを。
そしてある日、気が付いた。
君は、昔のおれだ。
似ていた。もちろん全部がそうじゃないが、ちょうど太一くらいの歳の自分によく似ていた。「だとすれば、大丈夫。」と言えることもある。でも「だとすれば、大丈夫じゃない、かも。」という部分もあった。
それで僕は心配していたのだと思う。太一がこれから向かう未来の中で、僕が負ってきた不当な傷のようなものはどうか負わないほしい。そう願っていたのかもしれない。
けれども今。「もう大丈夫」と思える太一が確かにそこにいる。あの頃の自分は迷ってばかりだったけれど、太一はそうじゃない。根拠はなくとも、信じるに値する何かを持っている。
だから、これ以上はもう心配しなくてもいいのかもしれない。そう思ったのだった。
車内の電光掲示板が次の停車駅を示す。僕は停車ボタンを押す。バスがゆっくりと停まって、今日も当然のように、僕の身体は無事のまま最寄りのバス停に到着した。家まで歩いている途中、太一からお礼のLINEが届いた。
ただただ、太一の人生が楽しくなることを祈る。
これからはそういった目線で眼差していこうと思う。

これまでお疲れ、そしてありがとう。
乾杯。またいつか。
