マダムカメレオンの事件簿⑪『さよなら、マダムカメレオン』
※このお話は、シャーロックホームズ「最後の事件」をもとにしています。
『さよなら、マダムカメレオン』
ーマダムカメレオンさまー
おげんきですか。ぼくはげんきです。
まいにち、がっこうもいっています。
はやおきするのはたいへんだけど、
あさ、おかあさんがパンをやいてくれて、
ぼくは、そのいいにおいで目をさまします。
がっこうには、しんゆうのマリオといっしょにいきます。
ぼくたちは、あるきながらおしゃべりにむちゅうになって、よくがっこうをとおりすぎます。
おかしいでしょ?
このまえ、ハトソンさんにあったよ。
カメレオン邸のまえをとおったら、ハトソンさんがおくじょうからとんできて、ミントの葉でつくったリースをくれました。
おくじょうの庭は、マダムがいつかえってきてもいいように、お花でいっぱいにしてるって。
あいかわらず、まっしろな羽もじまんしてました。
でも、やっぱりちょっとさみしそうだったな。
ねぇ、マダム。
あいたいです。
ハトソンさんもぼくもおかあさんも、
みんなマダムにあいたいよ。
ージョン・ワットよりー
ジョン少年は、マダムにあてて書いた手紙を、ていねいに封筒にいれました。
そして、あて名を書こうとして手を止め、ふうとためいきをひとつつくと、
その手紙を机の引き出しにしまいました。
引き出しの中は、出せないままのマダムへの手紙で、いっぱいになっていました。
オーロラ色にゆらめく深いエメラルドグリーンの肌、オレンジのアイシャドウにふちどられた隙のない瞳…その卓越した変身術と鋭い洞察力で、町一番と評判の私立探偵、マダムカメレオンが姿を消してから、一年がたとうとしていました。
===============
一年前………。
ブランズウィック街221-C~通称「カメレオン邸」~のリビングには、
マダムカメレオン、白い鳩の執事ハトソン、
ジョン・ワット少年、そして、マダムのかつてのライバルであり、ジョン少年の母親でもあるイレーヌが集まっていました。
「三日後ですわ」
マダムが言いました。
「かならずスパイダーは姿をあらわします。
これまで催眠術を操り、決して自分の手を汚すことがなかったスパイダーですが、ようやく証拠をつかみました。
三日後の取引には、スパイダー自らがのぞむしかないよう、計画してあります。
スパイダーはそこで、レスター警部をはじめ、総動員された警察につかまるでしょう」
「できることはすべてやった…あとは警察にまかせるしかないわね」
イレーヌが、ジョン少年をそっと抱き寄せてつぶやきました。
「し、しかし…あのスパイダーが、それまでおとなしくしているでしょうか」
ハトソンが、白い羽をふるわせます。
「ええ。あらゆる手をつかって、証人であるわたくしを黙らせようとしてくるでしょう。
実際、今日も…」
それは、マダムが今日、近所のパブに立ち寄ったときのことでした。
オーナーのウィルが、注文をとりにきたかと思うと、こう言ったのです。
「マダムカメレオン、手をひく気はあるか」
マダムがハッとして顔をあげると、ウィルはいつもの人のいい笑顔をうかべていました。
ですが、その視線はさまよったままで、マダムを見てはいません。
(催眠術…!)
マダムが長い指をパチンとならすと、ウィルはとたんにきょとんとして、
「ああ、マダム、いらっしゃい」
と、何事もなかったかのように言ったのでした。
「スパイダーが、近くまできていたってこと?」
ジョン少年は、思わず窓の外を見ました。
灯ったばかりの街灯が、赤く光るスパイダーの目を思い出させます。
「ええ。ここも安全とはいえないわ。
だからどうかしら…
しばらくみんなで旅にでませんこと?」
ジョン少年の不安を打ち消すかのように、マダムは明るく言いました。
「いいわね、身を隠すには、じっとしているより動いているほうがいいわ…これは私の経験上言えることよ」
イレーヌがそう言って、肩をすくめました。
イレーヌは、スパイダーの組織から逃れるため、ずっと身を隠し続けてきたのです。
マダムがうなずいて言いました。
「そうと決まれば、明日の朝早く発つのがいいでしょう。スパイダーに気づかれないよう、バラバラに出発して、汽車で落ちあいましょう」
「すぐに手配してまいります!」
ハトソンがパッと羽ばたいて飛び立ちました。
次の日の朝早く、まずジョン少年が家を出ました。
駅までは、親友のマリオ・モースタンと、マリオの叔母のフォレスタ夫人が、車で送ってくれました。
「おみやげ楽しみにしててね!」
無邪気に手を振ってマリオと別れ、ジョン少年は足早に、ハトソンに教えられた車両へ乗りこみました。
チケットを確認しながら個室の扉をあけると、いつのまに追い越したのか、そこにはすでにイレーヌの姿がありました。
「お母さん!」
ジョン少年はホッとして、イレーヌのぴったり隣に腰をおろしました。
ハトソンは、空から追いかけてくることになっています。
出発まで、二分。
あとはマダムの到着を待つばかりでした。
「お母さん、マダムも間に合うよね?」
心配そうなジョン少年の手を、イレーヌがそっと握ります。
しかしマダムの姿は見えないまま、無情にも発車のベルが鳴り、汽車は時間通り、動き出してしまいました。
マダムの身になにかあったのでしょうか。
「ぼく、汽車のなかを探してくる!」
いてもたってもいられなくなったジョン少年が、個室を飛び出そうとした、そのときです。
「ちゃんと座っていないとあぶないですわ、
ジョン・ワット」
たしかにマダムの声が聞こえました。
「マ、マダム⁈」
ジョン少年がキョロキョロと見回すと、テーブルをはさんで、イレーヌの向かい側の座席の赤い模様が、一瞬ゆらいだような気がしました。
目を凝らすと、そこに、ぼんやりと空気が盛り上がったような輪郭が見えました。
その、まるでガラス細工のような輪郭は、ジョン少年が、驚いて口をパクパクさせている間に、色が宿り、影が生まれ…みるみるうちにはっきりと、マダムカメレオンの姿になりました。
「マダム、ずっとそこにいたの⁈」
マダムはおかしそうにくすっと笑い、座席の赤い模様が映りこんだマントの肩を、サッと手ではらいました。
すると赤い模様は消えて、マントはいつもの紅茶色に戻りました。
マダムは、クラシカルなトーク帽をかぶり直すと、にっこりと言いました。
「さぁ!楽しい旅の始まりですよ」
マダムたち一行が着いたのは、山あいにある静かな村でした。
ロッジの主人はとても面倒見がよく、次から次へと魔法のように、おいしい料理を作りだしては、マダムたちにふるまってくれました。
おなかをたっぷり満たしたあとは、主人が用意してくれたあたたかな布団にくるまって、朝までぐっすり眠りました。
次の日は、雲ひとつない快晴でした。
村は、両側をなだらかな山に抱かれるようにして、ひっそりとたたずんでいました。
肩を寄せ合うようにして並ぶ家々の屋根からは、細い煙がまっすぐ空へとのぼっています。
マダムたちは、ロッジの主人が包んでくれたお弁当を持って、村はずれの草原へ、ピクニックに出かけました。
「ねえ、マダム。はじめて会ったときのこと、覚えてる?」
ジョン少年がそう聞くと、マダムはなつかしそうに目を細めました。
「ふふふ、すこし窮屈そうなコートを着て、ひとこともしゃべらなかったあなたに会ったときのこと?」
それから、ジョン少年の足元に視線を落とすと、
「あのころは、イレーヌに結んでもらっていたブーツの靴紐も、今では自分で結べるようになりましたね」
そういってマダムは、優しくほほえみました。
草原の草はやわらかく、ところどころに小さな白い花が咲いています。
マダムとの思い出話は尽きることがありません。
それを聞いているイレーヌも、おかしそうに笑っています。
ジョン少年は、
(この時間がずっと続けばいいのに)
と、願わずにはいられませんでした。
執事のハトソンが飛んできたのは、次の日の、まだ夜が明けきらないうちでした。
「マダム! 残念ながら、警察はスパイダーを取り逃がしたようです」
その報告を聞いても、マダムは動じることなく、覚悟を決めたように、まっすぐ前をみつめて言いました。
「やはり、避けては通れないようですわね。
スパイダーを滅ぼすことができるなら、この身と引き換えにしても…」
午後になり、マダムたちは、同じロッジに宿泊していた青年の強いすすめで、山の上にある吊り橋を見にいくことになりました。
「この村にきてあの吊り橋をみないなんて、そりゃ損ってもんですよ」
青年ははりきって、その吊り橋まで案内役をかってでてくれました。
吊り橋までの道のりは、なかなか険しいものでした。
山の中腹あたりまで登ったころでしょうか。
ふいにマダムが言いました。
「あら大変。大事な帽子をロッジに忘れてきてしまったわ。
あれがないとどうにも頭が冴えませんの…
ジョン・ワット、申し訳ないのですが、戻って取ってきてくださらない?」
ジョン少年は、マダムが忘れ物をするなんて…と、少し意外に思いましたが、すぐに胸をはって言いました。
「まったく、しょうがないなぁ!
いいよ、マダムの相棒であるこのぼくがとってきてあげる! なにしろ、ぼくのほうが足が速いからね!」
そして身軽に坂をかけおりていく後ろ姿を、「こら、あぶないわよ!」
「ジョンさま! そちらじゃありません!」
と、イレーヌとハトソンも追いかけていきました。
振り返ると、マダムが小さく手を振っていました。
……これが、マダムカメレオンを見た最後になりました。
ロッジで、マダムのトーク帽を探すのに少し手間取ったあと、ジョン少年たちは、急いでまた吊り橋へ向かいました。
すると向こうから、あの青年がひとりで山を下りてくるのが見えました。
「あれ? マダムは?」
ジョン少年の問いかけに、青年はにこやかに笑って答えます。
「やぁ、はじめまして! いい天気ですね!」
その瞬間、ジョン少年の全身を、いやな予感がつらぬきました。
それはイレーヌもハトソンも同じだったのでしょう。
三人は顔を見合わせるなり、なにも言わず、走り出していました。
吊り橋にたどり着くまでの時間が、ジョン少年には永遠のように感じられました。
走っているあいだ、何度も何度も、あのとき振り返って見た、小さく手を振るマダムの姿が浮かんでは消えました。
ようやく吊り橋に…いや、吊り橋があったはずの場所に着いたとき、そこにマダムの姿はありませんでした。
橋はたもとからぶっつり断ち切られ、向こう岸へと大きく落ちていました。
その橋のたもとまで、争ったような足跡が、いくつも続いていました。
ひとつはマダムのもの、そしてもうひとつは、地面を突き刺すように深く刻まれた…スパイダーのものだとすぐにわかりました。
そしてそのどちらにも、引き返した足跡はありませんでした。
吊り橋の切断面には、およそ蜘蛛の糸とは思えないほど太い糸が、ぐるぐると巻きついていましたが、それも途中でぷつりと切れ、その先は、たよりなく風にそよいでいます。
おそるおそる下をのぞきこむと、雪どけで増水した川が、どうどうと音をたてて流れていました。
崖の途中には…岩に引き裂かれたのでしょうか。
見慣れた紅茶色のマントの切れ端が、無惨にもひっかかり、たれさがっていました。
ここでマダムは、吊り橋に罠をしかけて待ち構えていたスパイダーと対峙したのでしょう。
スパイダーが橋が切り落とした、そのとき…
マダムはどうにかスパイダーを道連れにし、二人はもつれあうように、激しく流れる川へーーーーー。
そこまで考えたところで、ジョン少年の頭は、からっぽになりました。
「マダムーーー!」
ジョン少年は、川に向かって、声がかれるほどマダムの名を呼びました。
ハトソンは、川の流れの近くまで飛んで、あたりを懸命に探しましたが、無駄でした。
声をはりあげてマダムを呼ぶジョン少年を、イレーヌが強く抱きしめます。
けれど、強く抱きしめられれば抱きしめられるほど、これが夢ではないことを思い知らされて、ジョン少年の胸は、ぎゅっと締めつけられるのでした。
やがて日も暮れ、三人がロッジに戻ったときのことです。
主人がジョン少年を呼び止めました。
「これをお預かりしてましたよ」
事情を知らない主人が、ほがらかに手渡してきたのは…
いつのまに書いたのでしょう。
それは、マダムの流れるように美しい文字でしたためられた、一通の手紙でした。
===============
ー親愛なるジョン・ワットー
こうするしかなかったことを、許してくださいね。
あの青年が、スパイダーに催眠術をかけられていることには、気づいています。
そして、青年に案内された吊り橋で、おそらくスパイダーが、わたくしを待ちかまえているであろうことも。
警察は、スパイダーを逮捕することができませんでした。
ですが、あれだけの証拠を突きつけられれば、今回は逃げおおせたとしても、スパイダーには、もはや戻る場所はありません。
そうなれば、きっと、スパイダーはわたくしに復讐をしにくるでしょう。
でもそれは好都合というものです。
そのときを利用して、スパイダーを倒すことができれば…
あの者の毒から世界を守ることは、わたくしの最後の仕事として、誇りに思えることなのです。
先ほど、わたくしの帽子を、わざと部屋に置いてきました。
あなたには、つらい思いをさせてしまうでしょう。
けれど、相棒のあなたなら、きっとわかってくれますね?
ときどきでかまいませんから、ハトソンの話し相手になってやってくださいな。
イレーヌとは、どうか仲良く、穏やかに暮らすのですよ。
ジョン・ワット、
これからもずっと、あなたの幸せを願っています。
ーマダムカメレオンー
…この手紙に…返事をだすことは、もうできないんだ…
そう思ったときはじめて、ジョン少年の目からどっと涙があふれました。
================
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
隔週で投稿している「マダムカメレオン」は、あと一話で、ひとまず幕を下ろします。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
まだ少し先になりますが、新しいお話も準備中ですので、そちらも楽しみにしていただけたら、さらにさらに嬉しいです。
ーこむろ ようへいー
