マダムカメレオンの事件簿①『茜色の約束』
<あらすじ>
もし、どんな姿にも変身できる探偵がいたらーーー?
マダムカメレオンは、変身を得意とするカメレオンの名探偵。
どんな姿にもなれるマダムは、相棒のジョン少年、執事の鳩ハトソンとともに、次々と舞い込む奇妙な事件に挑みます。
ジョン少年との出会い、謎の暗号、月夜に現れる狼ーーー不可解な事件の裏には、いつも誰かの孤独や秘密が隠されていました。
やがて、マダムたちの前に、催眠術を操る宿敵スパイダーが立ちはだかります。
「緋色の研究」や「踊る人形」、「最後の事件」など、シャーロック・ホームズ作品へのオマージュを散りばめながら、謎解きの面白さと仲間との絆を描く、全12話の児童ファンタジーミステリーシリーズです。
『茜色の約束』
※このお話は、シャーロックホームズ「緋色の研究」をもとにしています。
「マダム、お車のご用意が整いました」
執事である鳩のハトソンがうやうやしく告げると、ブランズウィック街221C~通称「カメレオン邸」~の黒い扉が静かに開き、大きなカメレオンが姿を現しました。
クラシカルなトーク帽が映える深いエメラルドグリーンの肌は、陽にあたるとオーロラのようにゆらめき、特徴的なオレンジのアイシャドウにふちどられたふたつの瞳が、隙なくあたりを見渡します。
彼女の名は、マダムカメレオン。
その卓越した変身術と鋭い洞察力で、町一番と評判の私立探偵です。
マダムカメレオンは、上品な紅茶色のマントを颯爽となびかせ、女優を思わせる優雅な身のこなしで車に乗りこみました。
マダムを乗せた車は、霧に包まれた町をすべるように進みます。
窓の外をながめながら、自慢の長いしっぽをていねいに巻いて、マダムが口を開きました。
「ねぇハトソン。レスター警部はきっと焦っているわね」
「でしょうね。あの方は『自分ひとりで解決できる』と思いたいのでしょうが、こうして事件のたびに、結局マダムのお力を借りることになるのですから」
鳩のハトソンは、光沢のあるベストにしわひとつないことを確認して、誇らしげに胸をはりました。
やがて車は、町のはずれにひっそりと建つ、一軒の空き家の前でとまりました。
するとすぐさま、見張りの巡査が、マダムたちを乱暴に呼び止めました。
「おい! ここはカメレオンなんかがくるところじゃないぞ。ジャマだジャマだ! そのへんてこな服を着た鳩と一緒に、とっとと帰れ!」
「カメレオン…‟なんか”?」
マダムカメレオンは、紅茶色のマントをふわりとゆらし、わずかに口元で笑いました。
次の瞬間、巡査の目の前に立っていたのはーーー!
深いエメラルドグリーンの瞳をした、見たこともないほど美しい婦人でした。
トーク帽を傾け、肩には白い鳩をのせています。
「これなら文句はございませんかしら? それともお次は『女”なんか”に事件のことがわかるか!』とでもおっしゃるおつもり?」
「ぐ…」
巡査が口ごもっていると、空き家の中から、恰幅のいい男が顔をだしました。
「相変わらず見事な変身ですな、マダムカメレオン」
「あらレスター警部、ごきげんよう」
「ごきげんなもんか。とにかく、早いとこ頼みますよ」
レスター警部に案内されたのは、正方形の、家具もなにもない、かなり広い部屋でした。
しかしそこには、なんと何十頭もの大小さまざまな犬が、ひとところに閉じ込められていました。
「これは…」
「このところ町を騒がせていた『連続セレブ犬誘拐事件』の、さらわれた犬たちとみて間違いないだろう」
カメレオンの姿にもどったマダムは、360度見渡せる瞳で部屋をくまなく観察しました。
床に敷かれた毛布、水、えさをいれる器…。
首輪をはずされた犬たちは、とうに逃げ出すことをあきらめたのか、おとなしく座っています。
窓には厚いカーテンがかかり、ドアはふたつ。
入ってきた廊下側のドアと、もうひとつは裏庭につながっていました。
マダムは、裏庭を丹念に調べたあと、今度はまた廊下側のドアを開けて部屋をでました。
そして廊下に落ちていた包みを拾い上げ、鼻先を近づけました。
「やはり…」
「なんだ、何かわかったか?」
「そうね、まず…通報者がいるわね?」
「ど、どうしてそれを?」
「この子たち、ウゥともワンとも吠えない。よく訓練されてるわ。物音ひとつしない空き家に、まさか何十頭もの犬がかくされているなんて、通報でもないかぎり、あなたたちのんきな警察が気づくはずないもの」
「まいったな」
レスター警部は無精ひげをわしわしとかきながら、部下に合図を送り、ひとりの少年をつれてこさせました。
「家出少年らしい。ここで一晩雨をしのごうとして、犬たちをみつけたんだと。ただ…他には何もしゃべらない。名前すらな」
マダムは少年をじっと見つめました。
キュッと結んだくちびるは赤く、クセの強い髪の毛を押さえつけるかのように目深に帽子をかぶっています。
少し窮屈そうなコートの袖口からは、白い手首がのぞいていました。
「話したくなければ話す必要はないわ。見ればだいたいのことはわかりますもの」
少年はかすかに目を見開き、しかし何も言わず、視線を落としました。
そのときマダムは、少年の、きれいに編み上げられたブーツを見ました。
「ねぇあなた。その靴紐は自分で結んだの?」
マダムの声に、少年はぴくっと肩をふるわせました。
その様子を見て、マダムはレスター警部に向き直ると、よく響く声で言いました。
「警部。この少年を逮捕してくださいな」
「はぁ!?」
レスター警部が、すっとんきょうな声をあげて驚きました。
「おい何をバカな…この子はただの通報者だぞ!」
「ただの…ねぇ。そうお思いになるなら、どうぞお好きになさって」
レスター警部は、眉間に深いしわを寄せ、マダムの顔をまじまじと見つめました。
「ああ、もう! わかったよ! おい、この子をつれていけ! マダム、ほんとうにいいんだな?」
「ええ。それから新聞に、『通報者を逮捕した』と載せるのもお忘れなく」
次の日…。
ブランズウィック街221Cにあるカメレオン邸では、マダムカメレオンが、朝からずっと、窓際の椅子に腰かけて、外を眺めていました。
長い指で、ひじ掛けをトントントン…これはたいてい、マダムが考え事をしているか、ジリジリといらだっているときの癖でした。
「マダム。紅茶のお代わりをお持ちいたしました」
執事のハトソンが淹れた紅茶のベルガモットの香りで気持ちを落ち着かせると、マダムは自分に言い聞かせるようにつぶやきました。
「必ず現れるわ。必ず…」
やがて午後をだいぶ過ぎたころ、郵便配達人が、カメレオン邸の郵便受けに、一通の手紙を投函するのが見えました。
(いつもの時間じゃないわ)
「ハトソン! あの郵便配達人を追ってちょうだい!」
「承知いたしました!」
ハトソンは、返事するが早いか、白い羽を広げて窓から飛びたちました。
マダムは急いで郵便受けから手紙をとりだすと、封を切るのももどかしく、その手紙に目を走らせました。
(この筆跡は…!)
しばらくして、マダムから連絡を受けたレスター警部が、あの少年をつれて、カメレオン邸に駆けこんできました。
「犯人を捕まえたのか!」
「いいえ、それは残念ながら」
「申し訳ございません、マダム。私があの男を見失ってしまったばっかりに…」
「なにっ! とり逃がしたのか! トリのくせにっ!」
そういって、今にもハトソンに飛びかからんばかりのレスター警部を、マダムは長いしっぽで、ピシャリと遮りました。
「およしなさいな。あの女が相手では、さすがのハトソンでも仕方がありませんわ」
「女だと!?」
「女…ですか!?」
レスター警部とハトソンが、同時に目を見開きました。
「ええ。女の名はイレーヌ。過去に一度だけ、わたくしを出し抜いたことがある人物…そしておそらく、その子の母親よ」
少年が、緊張で体をぐっと固くしたのが伝わりました。
「この見覚えのある筆跡でわかったの」
マダムは、手紙を広げて見せました。
『子どもは犯人じゃない
解放して そして どうか守ってやって』
「新聞には『通報者を逮捕』としか載せなかったはずでは?」
ハトソンが、小さな眼鏡で手紙を読みながら言いました。
「そうよ、ハトソン。よく気がついたわね。犯人しか知りえない事実…イレーヌは、”通報者”が”子ども”だと知っていた。しかも、彼女がどうしても守りたい、大切な子ども…」
少年の目が、一瞬うるんでみえました。
「あなたのその頑固そうなクセ毛。イレーヌにそっくりよ」
マダムは少年の涙に気づかないふりをして、わざとそっけなくそう言いました。
「まいったよ。降参だ。どういうことか説明してくれ」
しびれを切らしたレスター警部が両手をあげます。
「そうね、イレーヌに逃げられた以上、ここからは、わたくしの推測になるけれど…」
マダムは、ゆっくりと指先でひじ掛けを叩きながら話し始めました。
「まずあの空き家の犬たち、さらわれて何日もたつのに、みんな毛づやがよくて驚いたわ。部屋にあった毛布も水も器も清潔だった。逃げるそぶりもない。きっと犯人が、よく面倒をみていたのでしょう。ときには裏庭で散歩でもさせていたのかしら。犬たちはさぞ、犯人になついていたでしょうね」
マダムはおかしそうに、フフフと笑いました。
「そしてね、不思議なことに、この子が部屋につれてこられたとき、犬たちがいっせいにしっぽをふったのよ」
「なんと! ではやはり、この子が犯人だと?」
マダムはスッとしっぽをあげて、レスター警部を黙らせました。
「まぁ、お待ちなさいな。この子は何も知らずに、ただ犬をかわいがっていただけかもしれませんよ。レスター警部、この子は家出少年だとおっしゃったわね。それにしては健康的なくちびるの色をしているわ。手首は白く、薄汚れてもいない。それにわたくしが『ブーツの靴紐』のことを聞いたとき、この子の様子から、きっとそばに、面倒をみてくれている誰かがいるんだと思った…こんなにも左右対称に、きれいに靴紐を結んでくれる、愛情深い誰かがね」
少年の顔が、みるみる赤くなりました。
「なるほど。この子と一緒にいたその愛情深い誰か…その手紙からして、イレーヌという女だろうが、そいつが犯人か」
「たしかにイレーヌが実行犯でしょう。ですが、この事件の黒幕は別にいるわ」
「なんだと?」
「どんな事情があったのかは知らないけれど、イレーヌは、黒幕に命じられて犬を集めた。でも、その犬たちを『殺せ』という命令には、どうしても従うことができなかった」
「『殺せ』という命令があったと、どうしてわかった」
「廊下に落ちていた包みよ。からっぽだったけれど、かすかに毒の匂いがしたわ。黒幕から渡されたのでしょう。中身はイレーヌが処分したのね。でも一度命令に背いた以上、無事ではいられない。しかも子どもをつれて逃げ通すには無理があるわ。そう思ったイレーヌは、子どもだけでも警察に守ってもらおうと、この子を”通報者”にした。なぜなら警察は通報者を守る義務があるでしょう?」
「ああ……、ああ! だがマダムが、この子を逮捕させてしまった!」
レスター警部も、ようやく合点がいったようでした。
「やっとおわかりいただけたかしら。わたくしはどうしても犯人をおびきよせたかったの。通報者として守ってもらうはずだった大切な子が、まさか逮捕されたと新聞で知ったら…、犯人は必ずこの子のために姿を現すと思った…、結局は逃げられてしまいましたけれどね」
ハトソンが申し訳なさそうに、コホンと咳払いをしました。
「ふむ、逮捕とはいえ警察にいれば安全だ。この子を守りながら、そのうえ犯人をおびきよせる。一石二鳥ってわけか。マダムカメレオン、さすがですな」
レスター警部が、満足そうに手をたたきました。
「イレーヌと黒幕については引き続き捜査するとしよう…とすれば、まずはこの子をどうするか…まだ共犯者という可能性もあるしなぁ」
「この子はわたくしが預かります」
マダムがきっぱりとそう言って、少年の前に立ちました。
「初めてこの子を見たとき、不思議となつかしさを感じたわ。まさかイレーヌの子だったなんてね。ねぇほら、これをごらんなさい」
マダムは少年のコートの袖を、そっと持ちあげました。
「この縫い目…、三度も縫い直したあとがある。あなたが大きくなるたび、お母さんが直してくれたのでしょう。あなたの成長をずっと見守ってきた証ね」
こらえきれず、少年の目から涙がぽとりとこぼれ落ちました。
「お母さんは、いつか必ず、あなたを迎えにくるでしょう。それまで…ここで、わたくしと一緒に待てますか?」
少年は、急いでコートの袖で涙をぬぐうと、何かを心に誓うように、強くうなずきました。
そして、マダムに小さな手を差し出しました。
「ぼく…、ぼくの名前はジョンです。ジョン・ワットです」
マダムは笑って、ジョンの手をやさしくとりました。
「いいわ。ジョン・ワット。あなたは今日からわたくしの相棒です。お客様扱いはしませんよ。覚悟なさいな」
いつのまにか夕やけが、部屋を茜色で満たしていました。
ジョンの目には、マダムカメレオンが、燃えるような美しい赤に染まって見えました。
