マダムカメレオンの事件簿⑤『オブシディアンの噂』
※このお話は、シャーロックホームズ「ボヘミアの醜聞」をもとにしています。
『オブシディアンの噂』
今日、ブランズウィック街221C~通称「カメレオン邸」~は、いつになくにぎやかでした。
「マダム!いつまでのんびり紅茶を飲んでいらっしゃるんです? 大掃除はまだ終わっていませんよ! この書類の山を早く仕分けてください!」
トレードマークの光沢のあるしわひとつないベストから、珍しくかっぽう着姿になった執事の鳩、ハトソンが、天井のほこりを落としながらさけんでいます。
そんなハトソンをよそに、窓際の椅子にゆったり腰かけて、ちょっとスパイスの香る紅茶を楽しんでいる大きなカメレオンが、マダムカメレオンーーーその卓越した変身術と鋭い洞察力で、町一番と評判の私立探偵です。
「ハトソン、まあよくご覧なさいな。あなたはただ見ているだけで、観察ということをしていないのです」
午後のやわらかな光にてらされた、マダムの深いエメラルドグリーンの肌が、オーロラのようにゆらめきました。
「と、おっしゃいますと?」
「わたくしはもうちゃんと書類を仕分けてありますよ。必要のないものには✕印をつけてあります」
「私にはその✕印が見えませんが…」
「すなわちすべて必要だということですよ」
マダムはそう言って、オレンジのアイシャドウにふちどられた瞳で、いたずらっぽくウインクしてみせました。
ハトソンはやれやれと首をふり、今度は、
「ジョン様!ジョン様はご自分の部屋をお片付けください! 足の踏み場もございませんよ!」
部屋の隅で本を読みふけっている、ジョン少年に言いました。
わけあってマダムに預けられているジョン・ワット少年は、いまやマダムカメレオンの立派な相棒です。
「はぁい」
しぶしぶ返事をして、ジョン少年が自分の部屋へ向かおうとしたときです。
「ねぇ、マダム。これなぁに? とってもきれいだね」
ジョン少年がみつけたのは、手のひらほどの大きさの丸い玉でした。
その玉は光を吸いこむように黒く、けれど角度を変えると、その奥に星のような輝きが瞬いています。
それはまるで、なにかの秘密を閉じ込めた、夜のしずくのようでした。
「オブシディアン……黒曜石です。
これは…そうね、あなたに話しておくべきだわ」
マダムはその玉を手に取り、なつかしそうにほほえみました。
「これはね、ジョン・ワット。あなたのお母さんに関係のあるものよ」
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マダムカメレオンが、私立探偵の仕事を始めて間もなくの頃のことです。
マダムにとっては初めての、大きな仕事が舞い込んできました。
それは、ある一国の存続を揺るがすほどの秘密がこめられた、魔法の玉を探してほしいという、国王直々の依頼でした。
そしてそれこそが、オブシディアンの玉でした。
国王の話では、オブシディアンの玉は、イレーヌという名の占い師のもとにあるということがわかっていました。
「持ち主がわかっておいでなら、お金でお買いになられては?」
マダムが国王に言いました。
「向こうは売るまい」
「では盗みだしましたら?」
「それなら五回も手をうった。泥棒を雇って家の中を探させた。路上で強盗めいたことまでしたが、どこに隠してあるやら、影も形も見当たらんのだ」
「ふふ、それはおもしろい問題でございますこと」
「笑い事ではない。国の存続がかかった真剣な問題であるぞ。あの玉が手に入るなら、金はいくらかかってもかまわん!」
「承知いたしました。すぐにもいい知らせをお届けできると思いますわ」
次の日、さっそくマダムは、イレーヌという占い師の住む町に出向きました。
そして、あるときはパン屋の女将、またある時は警察官や消防士、お金持ちから貧しい者、老人から若者まで、見事に変身した姿で、町のあちこちを飛び回りました。
それで何をしていたかというと、
「もうすぐ竜巻がくるんですってよ」
「竜巻がきたら、家も車も吹き飛ばされて、あとには何も残らないらしい」「みなさんくれぐれもご注意を! 大変危険です!」
「大切なものを持って逃げたほうがいいと言われたぞ」
「おそろしやおそろしや」
会う人みんなにそう言いふらしてまわっていたのです。
竜巻がくるという噂は、あっという間に町中に広まりました。
その頃合を見計らっていたマダムは、じっと空をながめました。
「今日がよさそうね」
そうつぶやくと、マダムは今度は屋根職人の姿に変身して、占い師の家を訪ねました。
「もうすぐ竜巻がくるらしいですぜ。屋根の点検はいかがです?」
出てきた占い師は、町の噂も耳にしていたのでしょう、なんの疑いも持たない様子で、マダムに点検をお願いしました。
マダムは屋根の点検をするふりをしながら、窓から家の中を探りました。
部屋はソファとテーブルがあるきりの、殺風景なものでした。
(金庫も棚もない。この部屋に隠しているとしたら…まぁいいわ。いずれ本人が教えてくれるでしょうから)
やがて、マダムが予想した通り、空がどんよりと曇り始めました。
「天がわたくしに味方したようね。これで風が吹けばしめたものですわ」
しばらくすると、生ぬるい風が吹いて、木々を大きく揺らし始めました。
(今だわ!)
マダムはそう思うや、そばにあった枝を拾い上げ、えいやっとリビングの窓めがけて投げつけました。
ガチャンッ!
大きな音がして窓が破られると、マダムはそこから「竜巻だ!竜巻がきた!」と中に向かってさけびました。
そしてさっと身を隠し、様子をうかがっていると、マダムの声を聞いた占い師が、あわてて部屋に入ってきました。
占い師は、暖炉の上の羽目板を動かし、その奥を確認しているようでした。
そこでマダムが、「竜巻ではなかったようだ、間違いだ!」と外から怒鳴ってやると、占い師はホッとしたようにまた羽目板を戻し、部屋を出ていきました。
「隠し場所はそこね。人はいざというとき、一番大切なもののところに走るもの。親なら子、お金持ちなら宝石箱…というように。今あの占い師にとって一番大切なのは、例のものに違いないわ。竜巻の噂を聞いて用心していたところへ、窓が割れる音、『竜巻だ!』という声を聞けば、まっさきにその隠し場所へかけつけるはず。思った通りだったわ」
マダムはすばやく部屋に忍び込み、暖炉の上の羽目板を外して中を覗きました…が、そこにはなにもありませんでした。
「しまった!気づかれた⁉」
そのとき、だれかが来る気配がして、マダムはやむなくその場を立ち去り、その日はいったん、宿へと帰ることにしました。
宿に着くと、いつもの女将ではなく、主人がマダムを出迎えてくれました。
「おかえりなさいませ、マダム」
主人は深々と丁寧に頭をさげ、マダムを部屋へと案内しました。
「女将さんはどうなさったの?」
マダムがたずねると、主人は深く頭をさげたまま答えました。
「はい、あいつはちょっと風邪で寝込んでおりまして。マダムもお体には気をつけてくださいよ。では、おやすみなさいませ。マダムカメレオン」
部屋に入ると、ふわっと漂うミントの香りが、すうっと気持ちを静めてくれました。
しかしそれも一瞬のこと…マダムは、ベッドに置かれた包みを見て、ギョッとしました。
「まさか!」
走り寄って包みを開けてみると、中から現れたのは、なんと、オブシディアンの玉でした。
部屋を飛び出したマダムは、そこで宿の女将とぶつかりそうになりました。
「おや、まぁ! お帰りになってたんですか」
「え、あの、お体の具合は大丈夫ですの? 風邪で寝込んでいるとききましたけれど」
「風邪? あたしがですか? いったいだれがそんなことを」
「…ここのご主人ですわ」
「あっはは! マダムったらやめてくださいよ。ここはあたしひとりで切り盛りしてる宿ですよ。主人なんていやしません」
「そんな、それじゃ…」
「ああ、いけない、忘れるとこだった! マダムにこれをわたしてくれって頼まれたんだった」
女将はそういって、一通の手紙をマダムに手渡しました。
手紙には「マダムカメレオンさまへ」と走り書きがしてありました。
「これは、だれから…?」
「だれって、さあねぇ。若い女の人でしたよ。くせっ毛の」
この瞬間、マダムはいやでも自分の負けを認めざるを得ませんでした。
手紙にはこう書かれてありました。
「マダムカメレオンさま。まことに見事なお手際でした。
あのとき、竜巻が間違いだったという声を聞くまで、まったく疑ってもおりませんでした。
とっさに罠だと気づいた私は、オブシディアンの玉を隠し持って部屋を出て、あなたが忍び込む様子を見ていました。
それからそっと後をつけ、どうやらこの宿に泊まっておられることをつきとめると、先回りして贈り物を届けた次第です。
私にとっても、男装くらいはわけもないことです。
たしかに私は、占い師の姿を借りてこの国の秘密を探ろうとしていました。
ですが、聞くのは取るに足らない話ばかり。
それなのに、噂とはおそろしいものですね、いつしか、国を揺るがすほどの大きな秘密があるなどと、まことしやかに囁かれるようになりました。
しかもそれを、私がオブシディアンの玉の中に閉じ込めていると。
言っておきますが、オブシディアンの玉はなんの魔力ももっておりません。ただの石です。
その中にたいそうな秘密が隠されているなど、おかしな噂にすぎません。
その証拠に差し上げますので、王様に渡すなりなんなり、好きになさってください。 敬意を込めて イレーヌ・ワット」
マダムはそのまま王のもとへ出向き、オブシディアンの玉とイレーヌからの手紙を差し出して、事の顛末を説明しました。
王は手紙を読み、オブシディアンの玉を、ためつすがめつ調べたあと、豪快に笑っていいました。
「余がそんな噂に惑わされとったとは! もうよい、その玉はそなたにやろう。今回の礼に加えて持っていくがいい」
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「そんなことがあったなんて」
ジョン少年が、オブシディアンの玉をじっとのぞきこみながら言いました。
石の奥に光る星の瞬きが、いくつもの秘密を秘めているように見えました。
「あの女(ひと)…あなたのお母さんは、わたくしを出し抜いた唯一の人物…。このオブシディアンの玉は、わたくしにとって戒めの証であり、なつかしい思い出なのです」
マダムは、ジョン少年のくせっ毛をそっとなでました。
「いつかぼくが大きくなったら…このオブシディアンの玉をぼくにくれる?」
「もちろんですよ、ジョン・ワット。オブシディアンは心を映す鏡とも言われています。あなたならきっと、噂になど惑わされず、この中にある真実を見つけられるでしょう」
ジョン少年が嬉しそうにほほえんで、もう一度オブシディアンの玉をのぞきこみました。
するとそこに映っていたのは…
「ん? これは…白い羽?」
「私でございますよ、ジョン様! いいかげんお部屋を片づけてください!」
ハトソンが羽をバタバタさせながらプンプン怒り、それを見たマダムが声をあげて笑い…やっぱり今日はずいぶんとにぎやかな、カメレオン邸なのでした。
