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マダムカメレオンの事件簿⑥『幻月の狼』

※このお話は、シャーロックホームズ「バスカヴィル家の犬」をもとにしています。

『幻月の狼』

ブランズウィック街221-C~通称「カメレオン邸」を、いつもより少し重たい霧が包んでいました。

ジョン・ワット少年は、お気に入りの昆虫図鑑を開いて、マダムの部屋の絨毯の上に寝そべっていました。
黒に近い緑に、金色の糸が織り込まれた古い絨毯は、空気を含んだようにやわらかいのに、どこかひんやりしていて、まるで深い森の土のようです。

わけあって、今、マダムに預けられているジョン少年は、ふと、昔よくお母さんが連れていってくれた、キャンプを思い出しました。
夜になると、テントの中でふたりで寝袋にくるまって、「ねえ、こわいお話きかせて」と、いつもお母さんにせがんだっけ。
夜の森の中で聞くこわいお話は、髪の毛が逆立つほどおそろしかったけれど、ぎゅっと目をつぶってお母さんにくっついていると、心の底から安心できました。

「ジョン・ワット、お仕事の依頼ですよ」
そこへ、一通の手紙を手にしたマダムが部屋にはいってきました。
オーロラのようにゆらめく深いエメラルドグリーンの肌に、オレンジのアイシャドウにふちどられた瞳が美しい、大きなカメレオン…マダムカメレオンです。
マダムカメレオンは、その卓越した変身術と鋭い洞察力で、町一番と評判の私立探偵でした。

「わぁい!お仕事⁉ マダム、今度はなぁに?」
ジョン少年は飛び起きて、マダムが手にした手紙をのぞきこみました。
「デ…ヴォン…シャー村のか、い、ぶ、つ……怪物⁉」
ジョン少年が目をまんまるくしたとき、執事の鳩、ハトソンが、白い羽をバタバタさせながら飛んできていいました。

「マダム、今回ばかりはおやめください。怪物だなんて危険すぎます!」
けれどマダムはどこ吹く風。すました顔で答えます。
「いいえ、行きますとも。ジョン・ワット、いつ出発できますか?」
「今すぐ!」
ふたりの張り切る顔を見たハトソンは、やれやれと首をふりつつも、さすがは執事、手早く仕度を整えて、車を呼びに飛んでいきました。

デヴォンシャー村は、鬱蒼とした森を従えた、山の裾野にありました。
「一見、不気味な森に見えるかもしれませんが、私たちにとっては、薪を拾ったり水を汲んだり、生活になくてはならない森なんです」
今回の依頼人である、モーティマ村長がいいました。
「ですが、あの怪物が姿を現してからというもの、誰も森に入れなくなってしまって…それじゃ困ると、村のみんなで退治しに行こうという話が持ち上がったんですが、その前に一度、マダムカメレオン様の知恵を借りようと」

「怪物って、どんなものなんですか? 見た人はいるんですか?」
丁寧にメモをとりながら、ジョン少年が尋ねました。
「はい、何人も見ています。『ふたつの月』が光る夜、ヤツは現れる…
大きな大きな狼なんです! それが…霧の向こうからゆら~りと…」
ハトソンが「ヒャッ!」とさけんで、ジョン少年の肩に飛び乗りました。
その反対にマダムは、目を輝かせていいました。
「『ふたつの月』…今夜は満月ですよ。ワクワクしますわ。さあ、いきましょう!」

森への案内は、モーティマ村長ともう一人、ステイプルトン夫人が同行しました。
怪物が現れるという場所のそばには、ステイプルトン夫妻の別荘があるからです。
もはや廃墟に近い様子の別荘は、ツタが絡まり、半分緑に飲み込まれたかのように見えました。
別荘の隣には温室があり、そこもやはり、中がうかがい知れぬほど、緑で埋め尽くされています。
ただ、昆虫学者である、夫のステイプルトン博士は、今でも時折この温室を訪れては、蝶の研究をしているということでした。

「このパイプは?」
マダムが足元のパイプに気づきました。
パイプはまっすぐ、温室へとつながっています。
「これは、温室に水を運ぶためのものです」
ステイプルトン夫人がいいました。
「このパイプから先へは近づかないほうがいいです。
ここで身を潜めていてください」

やがて、すとんと日が暮れて、森が夜に覆われました。
まるく滲んだ月が、雲に見え隠れしながら昇るにつれて、あたりにうっすらと霧が立ち込め始めました。
「ねぇ、今、カチッてなにか聞こえなかった?」
ジョン少年が思わずマダムのコートの袖をつかみました。
「ええ、そうね…」
「なな、なにも聞こえませんよ!」
ハトソンはブルブルふるえて、ジョン少年の上着の中にもぐりこみました。

そのときです。
ふいに霧が濃くなったかと思うと、向こうにぼんやりと明かりが見えました。
「『ふたつの月』…」
マダムがそうつぶやいたとたん、
「で、でたぁーっ!」
モーティマ村長がさけんで、まっさきに逃げ出しました。

…現れたのは、まさしく、怪物でした。
らんらんと光る赤い目、耳まで裂けた口、全身をおおう銀色の毛は、まるで燃えさかる火の玉のようです。
「ジョン・ワット、ハトソンを頼みましたよ」
マダムはジョン少年に耳打ちすると、サッと姿を消して、暗闇に消えました。

怪物はよだれをたらしながら、足音もたてず、ゆらり、ゆらりと近づいてきます。
ジョン少年は胸にしっかりとハトソンを抱いて、じっと身を潜めました。
しかし見つかってしまったのでしょうか!
突然、恐ろしいうなり声をあげて、怪物がこちらに向かって駆けてきました!
いよいよもうダメだと目をつぶったときーーー
…不思議なことに、怪物の姿は消えました。

村に戻るなり、ステイプルトン夫人が涙ながらにいいました。
「マダムカメレオンさま。あなたもその目ではっきりご覧になったでしょう?身の毛もよだつ、あの恐ろしい怪物を!
どうか、退治するなんて無茶なことはやめるように、村のみんなを説得してくださいな。だれかが犠牲になったらと、私はもう心配で心配で…いいえ、もうこんなこと、やめさせたい、やめてもらいたいんです!」

「ええ、明日、その必要はないと、みなさんに証明いたしますわ」

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次の日の朝早く、昆虫学者ステイプルトン博士は温室にいました。
温室の中は、伸びやかに枝を伸ばした木々が、やわらかな葉を隙間なく繁らせ、さながら大きな繭に包まれているようでした。
博士が葉っぱを一枚一枚調べていると、ふいにカチッという音が聞こえました。
怪訝に思った博士が、葉っぱをかき分け、ガラス窓からのぞいてみると、いつのまにか外は、真っ白な霧に覆われていました。

「妙だな」
ステイプルトン博士は、濃い霧の向こうに目をこらしました。
すると、ミシッミシッと音を立て、なにか大きな塊が近づいてくるように見えました。
赤く光るふたつの目…
「まさか…そんな!」
思わず温室の扉を開けて、博士が外に飛び出しました。

そこで目の当たりにしたのは、低いうなり声とともに、燃えるような銀色の毛をなびかせた、正真正銘の怪物でした。
「バカな! そんなはずはない! 怪物は実在しない! 怪物は…私が作り出した幻なんだ!」
博士が声を震わせました。

「あなたが作ったと、お認めになるのね」

どこからか声が聞こえました。
「だ、だれだっ!」
うろたえるステイプルトン博士に向かって強く吹いた風が、霧もろとも、怪物の影をはぎとっていきました。
銀色の毛並みが消え去ったあと、そこに立っていたのは…マダムカメレオンでした。

「怪物は、あなたが映し出した映像だった…そうですね?」
マダムはそう言って、温室からまっすぐに伸びたパイプを指さしました。
「水を運ぶためのパイプ…でもよく見たら、とても細かい穴があいてるわ。
実際は、霧を発生させるための装置でしょう。
怪物が現れる直前に聞こえた、カチッという音は、この装置のスイッチをいれた音ね」

マダムの後ろから、ジョン少年とハトソンに連れられて、ステイプルトン夫人が姿を現しました。
「あなた…ごめんなさい」
ステイプルトン夫人が、震える手でリモコンを差し出しました。
「もうやめてほしい…やめましょう、こんなことは」
ジョン少年がリモコンを受け取り、カチッとスイッチを入れると、パイプから勢いよく、霧がふき出しました。

「それから、あの木の上」
次にマダムが奥にある木を指さすと、ハトソンがサッと飛んでいって、枝に隠すように取り付けられた、一台のプロジェクターの上にとまりました。
ジョン少年がもう一度リモコンのスイッチを押すと、プロジェクターの丸いライトが光りました。
「あれが、『ふたつの月』の正体ね」

まっすぐに伸びたパイプから、白い壁のように立ち昇った霧が、スクリーンの役目をはたしていました。
その背にプロジェクターの光が届いたとき、スクリーンの表側には、本物としか思えない怪物が映し出されていました。
映像に映る巨大な狼のような怪物は、幻想的な霧の中で、ゆらゆらと彷徨って見えました。
「こんなことをしてまで、あなたは、村の人たちをこの森から遠ざけたかった…その秘密が、温室の中にあるのではなくて?」

マダムの言葉に、何かを思い出したようにハッとしたステイプルトン博士が、開け放したままの温室の扉に向かって走りました。
そのときでした。
温室の中で、星のようなちらちらとした光が、あちこちでまたたいたかと思うと、その光は次第に集まって大きくなり、渦を巻き始めました。
やがて温室の出口を見つけたその光の渦は、まるで空に星が放たれるかのように、次々と飛びだしました。

「ああ! だめだ!だめだ!」
ステイプルトン博士が扉を閉めようと試みましたが、その勢いは止められません。
「ステラ・モルフォ…!」
ジョン少年が、昆虫図鑑で見た、幻の蝶の名前をつぶやきました。

「そうです。ステラ・モルフォ…星のような光をまとった、大変希少な蝶です」
ステイプルトン夫人が、がっくりと膝をついた夫に寄り添っていいました。
「この蝶の幼虫をこの森で見つけたとき、夫はこの『幻の蝶』を独り占めして繁殖させ、高く売ることを思いついたんです」
「それを誰にも邪魔をさせないために、みんなをこの森から追い出そうと、怪物を作り出したのですね?」
マダムにそういわれて、博士が力なくうなずきました。

空に放たれ、自由を得た幻の蝶たちは、まるで喜びのダンスを踊っているかのように舞い上がり、やがて見えなくなりました。

==========

「己の恐怖心に打ち勝ったとき、真実にたどり着くのです!」
デヴォンシャーの村の人たちの前で、堂々と熱弁をふるうハトソンを見て、マダムとジョン少年は、目くばせをしてくすりと笑いました。
こうして事件は解決したかに思えました。

ですが、あのときマダムは気づいていたのです。
温室の開いた扉からのぞいた、「スパイダー」の名前に。
その名前は、幻の蝶の取り引き先として、ステイプルトン博士のノートに記されていました。
(スパイダー…いつか決着をつけなければならないわ)
マダムは、ハトソンと無邪気にはしゃぐジョン少年の後ろ姿を眺めながら、静かに心に火を灯すのでした。















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