マダムカメレオンの事件簿④『白羽クラブ』
※このお話は、シャーロックホームズ「赤髪組合」をもとにしています。
『白羽クラブ』
高く昇った太陽の光を反射して、海はまぶしく揺れていました。
潮風がやさしく頬をなでていきます。
海上に突き出したデッキを覆う、ヤシの葉のカーテン。
その隙間からのぞく空はどこまでも青く、
「まるで違う惑星にでもきた気分でございます」
鳩のハトソンは、ココナッツの香りのあたたかいオイルで、真っ白い羽を丁寧にマッサージされながら、うっとりとそうつぶやきました。
「ハトソン様。授賞式まで、どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ」
専属のバトラーに頭をさげられ、ハトソンは存分に羽をのばしました。
マダムカメレオンー卓越した変身術と鋭い洞察力で評判の私立探偵ーの執事であるハトソンが、今、南の島のホテルでこんな極上の時間を過ごしているのには理由がありました。
それは昨日の夜のことです。
「ぜひ行ってらっしゃいな」
ふわりとダージリンの香りが立ちのぼるカップに、そっと銀のスプーンを滑らせながら、ふいにマダムカメレオンが言いました。
マダムの深いエメラルドグリーンの肌が、自信に満ちて、オーロラのようにゆらめいています。
「ななな、なんのことでしょうか」
突然のことに驚いたハトソンが、ジョン少年に注いでいたオレンジジュースを、あやうくこぼしそうになりました。
「ポケットからのぞいている、その封筒のことですよ」
「なになに、なあに?」
好奇心いっぱいの顔で、ジョン少年が目を輝かせます。
「ハトソン、あててみましょうか…その封筒の形状からいって、それは何かの招待状ね。あなたの鼻の開き具合からいって嬉しい知らせに違いない。
あなたが嬉しいことといったら、名誉にかかわることでしょう。
そういえば偶然今朝の新聞で、おもしろい記事を読みましたよ。
なんでも、『白羽クラブ』という団体が、比類なき白い羽を持つものに、永遠の名誉を授けるとか。
その授賞式が明日、どこかの南の島のホテルであるんですって。
紅茶を蒸らす時間が30秒短かったことから、ハトソン、あなたは今、気分が急いているのね。
その件について、いつわたくしに話そうか、迷っているのではなくて?」
マダムの見事な推理に、くちばしをパクパクさせていたハトソンは、
「感服いたしました。マダムのご推察の通りでございます」
と言って、ポケットから『招待状 白羽クラブ』と書かれた封筒をとりだして見せました。
「どういうわけか、私が第一回ベスト白羽賞に選ばれたとの知らせが届きまして…明日の授賞式にぜひ出席してほしいと…」
「わあ!すごいや、ハトソンさん!」
「し、しかしですね、なにぶん遠い島のこと。私がこのカメレオン邸を離れるわけには…」
「なにを言うの。この上なく名誉なことですよ。絶対に行くべきです」
マダムが断固として言いました。
「そうだよ! ハトソンさんが留守の間は、ぼくがここを守るから大丈夫だよ!」
ジョン少年も胸をはりました。
…ということがあって、ハトソンは、「白羽クラブ」の授賞式に出席するため、夜が明けると同時に、南の島へ飛び立つこととなったわけです。
「それにしてもマダム。ゆうべの推理はさすがだったね!」
ハトソンを見送ったあと、ジョン少年が手をたたきました。
「ふふふ、そりゃあそうですよ」
マダムが、あざやかなオレンジのアイシャドウにふちどられた瞳で、ウインクをして言いました。
「だってわたくしが仕組んだことですもの」
「えっ!どういうこと⁈」
ジョン少年が、びっくりして目をまんまるくしました。
「こうでもしなければ、ハトソンは休みをとってくれませんからね」
たしかにマダムの言う通り、マダムやジョン少年の身の回りのことから、ここカメレオン邸の管理、マダムを訪れる相談者の取り次ぎまで、執事ハトソンに、ゆっくり休む時間はありません。
「じゃあ『白羽クラブ』は? 『ベスト白羽賞』は?」
「ホテルの持ち主である、古い友人のペリカン氏に頼んで、作ってもらったのです」
「新聞の記事は?」
「あれくらい念入りにしないと、ハトソンは警戒心が強いですからね」
「うへぇー! すごいや!」
ジョン少年が、口をあーんぐりとさせて言いました。
「さぁ! いつまでも口をあけていないで、食事の支度をしましょう。ハトソンが留守でも大丈夫なところをみせないと、いつまでもハトソンが安心して休めませんよ」
マダムカメレオンがさっとエプロンをつけると、とたんにコック帽をかぶったシェフの姿に変身しました。
==============
「ねえ、マダム。ぼく、もうおなかがぺこぺこだよ…」
気がつけば、陽が傾き始めています。
それなのに、シェフの姿に変身したマダムは、今100枚目のパンケーキを、また真っ黒に焦がしてしまったところでした。
「見た目はシェフの姿になっても、中身はマダムのままなんだね」
ジョン少年にそう言われて、マダムはエプロンを放り投げると、もとの姿にもどりました。
「気が変わったわ。おいしいチップスのお店を知っています。食べにいきましょう」
「わぁい! ぼく、フィッシュアンドチップス大好きだよ!」
しかし、ふたりが入ったパブは、いつもと雰囲気が違っていました。
「申し訳ありません、マダム。あいにく今日は、チップスの用意ができませんで」
困り顔のオーナー、ウィルの話によると、どうやらこの店秘伝のスパイスが、盗まれてしまったらしいのです。
「スパイスはうちの命です。毎日必ず、金庫にしまっているくらいでして」
ウィルの言う通り、店の奥にある厨房には、しっかりとした金庫が備えつけられていました。
「鍵は?」
360度見渡せる瞳で、厨房をくまなく観察しながらマダムが尋ねました。
「これこの通り。わし以外は開けられないように、いつも肌身離さず身につけとります」
ウィルは、首からさげた金庫の鍵をとりだしてみせました。
今朝、いつものように開店準備をしようと金庫を開けたところ、一番上の段に置いてあったスパイスだけが消えていたというのです。
金庫の中にはお金も入っていましたが、スパイスの他に荒らされた様子はありませんでした。
「なにかいつもと変わったことはありませんでしたか?」
ジョン少年がメモを片手に尋ねました。
「いや、なにも。ゆうべもちゃんとスパイスを金庫にしまって、鍵をかけました。そのあと、弟子のスポールが、いつものように残って料理の練習をするっていうんで、店の戸締まりはスポールに任せて先に帰りました」
弟子のスポールは、小柄で肉づきがよく、とても愛想がいい青年でした。
「こいつは見込みのあるヤツでしてね、料理の筋もいいが、お客さんのあしらいも上手い。おまけにインテリアのセンスもいいんです。ほれ、カウンター席の正面に、アンティークの大きな柱時計があったでしょう。あれもこいつが蚤の市でみつけてきたんです」
ウィルは、スポールのことをたいそう信頼しているようでした。
背の高いアンティークの柱時計は、カウンター席の正面、ちょうど厨房と客席を隔てる壁に立てかけられていました。
「この時計はもう動いてないの?」
ジョン少年が尋ねると、「ああ、ずいぶんと古いものだからね」と、額の汗をぬぐいながら、スポールが答えました。
マダムはしばらく、厨房と客席を行ったり来たりしていましたが、やがて、確信に満ちた声で言いました。
「ジョン・ワット。もうすぐおいしいチップスが食べられますよ」
マダムはオーナーのウィルに、柱時計の文字盤をはずすように言いました。
そうしておいて、自分はまた奥の厨房に戻りました。
文字盤は意外にも簡単にはずれましたが、ウィルがその中をのぞいたとたん、「わぁっ!」とさけんでひっくり返りました。
「どうしたの⁈」
あわててかけよったジョン少年が、足元にあったビールケースに乗って、同じく中をのぞいてみると、時計の中はからっぽの空洞でした。
しかし驚いた理由はそれではなくて、空洞の奥で、向こうからこちらをのぞいているマダムと目があったことです。
「わぁっ!」
びっくりして、あやうくビールケースから落っこちそうになったジョン少年を、間一髪、スポールが受け止めました。
柱時計には穴が開けられていました。
その穴は、壁をはさんでちょうど背中合わせになっていた厨房の金庫の背面の、一番上の段にあたる部分につながっていました。
時計の穴は文字盤で隠されていましたし、金庫に開けられた穴も、実は黒い布でふさがれていただけでしたが、一見わからないように、うまく隠されていました。
「鍵のついた金庫を開けるには、鍵を開けなければならないという思い込みのせいね。後ろは壁だし、まさか背面に穴が開けられるとは思わないでしょう」
マダムはそういうと、今度は柱時計のところにきて、時計の底の部分を、長い指でコツコツとたたきました。
底は二重になっていて、板をはずすと、なんと消えたはずのスパイスがでてきました。
スパイスがみつかったのを見て、弟子のスポールが、がっくりと膝から崩れ落ちました。
==============
「ほ、本当に、すみませんでした」
涙を流し、頭を床にこすりつけてあやまるスポールを、オーナーのウィルはやさしく椅子に座らせました。
「なんだってこんなことを」
「おれ…一人前になりたかったんです。一人前になって自分の店を持ちたかった…でもどれだけ料理の練習をしても、思うような味はだせない。
それでどうしても、あのスパイスの秘密を知りたくなったんです。
そんなとき、蚤の市でこの時計をみつけて…最初は本当にインテリアにちょうどいいと思ってウィルさんにすすめたんです。
でも、あるときふと、この時計の高さと金庫の高さが同じだってことに気づいて…それで、閉店後一人になったときに、毎晩少しずつ穴を開けました」
「バカなことを」
ウィルはそういうと、ポケットから金庫の鍵をもうひとつとりだしました。
「わしはおまえにこの店を継いでもらおうと考えていたんだよ。
こんなことになるなら、もっと早くこの鍵を渡すべきだった。
わしはおまえの腕をだれよりも信じているんじゃから」
それからマダムとジョン少年は、店自慢のフィッシュアンドチップスを、おなかいっぱいごちそうになりました。
ジョン少年は、スパイスのきいた魚のフライを、マダムの分までもらって食べました。
ふたりが、ブランズウィック街221C~通称「カメレオン邸」~に帰ってきたのは、もう夜も更けてからのことでした。
玄関のドアを開けようとして、ふと、マダムが何かの気配を感じ、しっぽで「しーっ」とジョン少年に合図しました。
マダムが闇に紛れて姿を消して、音もなく中に入ります。
ジョン少年は、そっと裏にまわって、おそるおそるキッチンの窓から中をのぞこうとしました…そのときです!
「キャー!」
「キャー!」
ものすごい叫び声がして、ジョン少年は思わずすくみあがりました。
しかしすぐさま勇気をだして、玄関に飛び込みました。
「マダム! マダム!」
夢中でマダムを呼びながら、ホールの明かりをつけます。
そこで目にしたのは…
鉢合わせしてぶつかったのでしょう。
階段の下でしりもちをついている、マダムとハトソンの姿でした。
「マダム…ハトソン⁈」
「あいたたた…ハトソン、どうして」
マダムがおでこをさすりながら立ち上がりました。
するとハトソンは、ベストのしわをピンとのばして、うんと胸をはり、真っ白い羽を腰にあてて言いました。
「まったく! おふたりともどういうおつもりですか!
心配になって飛んで帰ってみれば、いわんこっちゃない!
玄関の鍵はあけっぱなし、キッチンはよごれっぱなし!
それにこんな時間までどこにいらっしゃったんですか!
私はもう心配で心配で…これだから私がおりませんとこのカメレオン邸は…」
どうにもお説教がおさまらないハトソンでしたが、その羽はいつもにましてつやつやとまぶしいほど白く、胸には、金色の羽をかたどった勲章が、立派に輝いていました。
それを見て、マダムとジョン少年は親指をあげると、
「よく戻ってくれたわ」
「おかえりなさい! 会いたかったよ」
そういって、ふたりでハトソンをギューッと抱きしめました。
