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マダムカメレオンの事件簿⑧『一つの証(あかし)』

※このお話は、シャーロックホームズ「四つの署名」をもとにしています。

『一つの証(あかし)』

マダムカメレオンは、朝から八杯目の紅茶を飲み干し、ほうっとためいきをもらしながら、窓際のひじ掛け椅子に、深くよりかかりました。
濃いエメラルドグリーンの肌が、窓から差し込む陽を受けて、オーロラのようにゆらめきます。
しかし、いつもは隙のない、オレンジのアイシャドウにふちどられた瞳は、今日はどこか輝きを失って見えました。

「マダム、しゃんとしてくださいませ。『その卓越した変身術と鋭い洞察力で、町一番と評判の私立探偵! マダムカメレオン!』の名がすたりますよ」
鳩の執事ハトソンが、白い羽を大きくひろげていいました。
「それにさ、マダム、いくら好きでも、紅茶飲みすぎじゃない?」
ジョン・ワット少年もいいました。
ジョン少年は、わけあって、マダムカメレオンにあずけられていますが、いまや立派なマダムの相棒でした。

マダムは椅子に腰かけたまま、細くしなやかなしっぽの先で、床をパタンパタンとうち、長い指でひじ掛けをトントントンとたたいています。
これはたいてい、マダムが考え事をしているときか、機嫌の悪いときの癖…おそらく今は、機嫌の悪いとき、を表しているようです。
「解決する事件がなかったら、探偵なんて役立たずも同然ですよ、ハトソン。
そんなわたくしに、紅茶を飲むよりほかになにができるというの? ジョン・ワット」
そういってマダムは、360度見渡せる瞳を、大げさにぐるぐる回してみせました。

と、そのときです。
マダムがとつぜん立ち上がりました。
「きたわ! あれはきっと、事件の知らせに違いありませんよ!」
マダムの弾む声に、ハトソンが客人を迎えるため、パッとホールにむかって飛び立ちました。
マダムの瞳に輝きが戻ると同時に、玄関のドアを、不安げにノックする音が聞こえました。

フォレスタ夫人と、マリオ・モースタンと名乗る少年は、緊張した様子で、リビングにはいってきました。
ふたりは親子ではないものの、叔母であるフォレスタ夫人は、マリオ少年の両親が亡くなってしまったあと、マリオ少年を引き取って面倒をみているという話でした。

ちょうどジョンと同じ年のころのマリオ少年は、ブロンドの髪をまっすぐに切りそろえて、着ているものも上品でした。
しかし上品とはいっても質素でつつましい印象で、緊張のせいか、顔色はあまりよくありませんでしたが、キュッと結んだ口元がかわいらしく、なにより、大きな青い瞳がやさしく魅力的でした。

ジョンは、両親を亡くしたマリオ少年の話を聞いて、心がギュッとなりました。
けれど、フォレスタ夫人の、マリオ少年に接する態度を見て、このうえなく嬉しくもなりました。
マリオ少年が、いかに愛されているかが感じられたからです。

「では、お話をうかがいましょうか」
マダムにうながされて、フォレスタ夫人が、一度ふぅと息を吐くと、ややくちびるを震わせながら、話し始めました。

「マリオの母親…私の姉は、マリオが生まれるとすぐに亡くなりました。
そして、五年前に父親まで亡くなってしまって…それからというもの、子どものいない私と主人は、この子を引き取り、我が子同然に育ててまいりました。
…あれはマリオの父親が亡くなる直前のことです。
私とマリオは枕元に呼ばれまして、私には『マリオを頼む』という言葉を、マリオには、あるペンダントが手渡されました」

フォレスタ夫人がそういうと、マリオ少年が、首からさげていた小さなペンダントをとりだしてみせました。
「父はぼくに『これが、おまえがおまえである証拠だ』といいました」
マリオ少年は、意外にも落ち着いた、しっかりとした声でいいました。

それは、銀枠にふちどられた、透明石のペンダントでした。
一見すると、ただのガラスのようにも見えましたが、光にかざせば、石の中に、Aの文字を中心にして、朝日がひろがるような光の模様が刻まれた紋章が、淡く浮かびあがります。

「この紋章に見覚えは?」
マダムの問いかけに、ふたりは首をふりましたが、「それが…」とフォレスタ夫人が、バッグから一通の手紙をとりだしました。
その手紙には、ペンダントと同じ紋章が印されてありました。
「昨日、届いたのです」

マダムが受け取って目を通すと、その手紙には、
…マリオは『アウロラ国』の王の血をひくものであること。
紋章の入ったペンダントがその証であること。
今度のマリオの誕生日に、ペンダントとマリオ本人を確かめにくること。
本物であると確認できた場合、マリオを『アウロラ国』の国王として迎えること…
といったことが書かれてありました。

「その誕生日というのが、今日なのです。この子の父親が、外国生まれだということは聞いておりましたが、まさか一国の王の血をひくものだなんて…私どもは、なにがなんだか…」
フォレスタ夫人がそういって、ハンカチでそっと涙をぬぐいました。
マリオ少年は、キュッと口を結んだまま、じっと前をみつめていました。

「ではこれから、この手紙に書かれてある場所で、『アウロラ国』の人と会うことになっているのですね…約束の時間が近いようですね。わたくしたちも同行いたしましょう」
マダムカメレオンはすばやく立ち上がり、紅茶色のマントをさっとはおると、クラシカルなトーク帽をかぶって準備を整えました。
そして一行は、ハトソンが呼んだ車に乗りこみ、ブランズウィック街221-C~通称「カメレオン邸」~をあとにしました。

道中、ジョン・ワット少年は、マリオ少年の緊張をほぐそうと、懸命になっておしゃべりをしました。
「マダムの変身術といったら、ほんとうにすごいんだよ! 
大きな狼になったかと思ったら、ちいさなネズミにもなれるんだ。
きみも、見たらきっとびっくりすると思うなぁ!」
ジョンの努力の甲斐あって、マリオの頬にはみるみる赤みがさし、大きな青い瞳をキラキラと輝かせて、話の続きを聞きたがりました。
キュッと結ばれていた口元はいつしか大きく開いて、コロコロとじつによく笑いました。

ジョンは、そんなマリオを、ずっと見ていたいと思いました。
(マリオとこんなふうに友達でいられたら、どんなに楽しいだろう!)
思えばこれまで、同じ年のころの友達というものをもったことがありません。
けれど、ペンダントが本物だと認められれば、マリオはどこかの国の王さまになるのです。
王さまが、ぼくなんかと友達でいてくれるはずがない…そう考えると、ジョンは、なんともいえない複雑な気持ちになるのでした。

指定された場所に着くと、ひとりの小柄な、黒い運転手の服を着た男が声をかけてきました。
「あなたがたはモースタン様のおつれさんですか?」
「モースタンはぼくです。それから、ぼくの叔母と、ぼくの友達です」
運転手は疑わしげに、みんなをじろじろと見ていいました。
「失礼ながら、みなさんには別の車を用意しましょう。
王族と同乗するのは固く禁じられておりますもんで」

そして、さっさとマリオだけを連れて、とめてあった車に乗せました。
そのとき、マダムは、運転手の手の甲に、スパイダーの印を見てさけびました。
「しまった! 罠よ!」
マダムは車にかけよりましたが、わずかに早く、マリオを乗せた車が急発進しました。
マダムはとっさに、長いしっぽを鞭のようにしならせて、車のタイヤに、持っていた香水をふりかけました。

「そんな…ああ、どうしましょう!」
マリオを乗せて走り去った車を見て、フォレスタ夫人がとりみだして泣き崩れました。
「大丈夫よ、きっと助けます!」
マダムはテキパキと指示しました。
「ジョン・ワット! 今すぐいつものパブにいって、トビーを借りてきてちょうだい。トビーにこの香水の匂いを嗅がせて、あの車を追うのです!
わたくしはいくところがあるから、ハトソンはフォレスタ夫人を家まで送りとどけて、それからレスター警部に連絡を!」

トビーというのは、マダムたちがよくいくパブで飼われている老犬でした。
ジョンが事情を話すと、店の主人は奥からトビーをつれてきて、ぶ厚いハムをポンとやると、トビーのたれた耳をめくりあげ、
「いいか、しっかりマダムのお役にたってくるんだぞ」
といって、ジョンにリードをわたしてくれました。

トビーはハムをぺろりとたいらげると、よたよたと歩きだしました。
しかし、マリオを乗せた車を見失ったあたりで、マダムの香水の匂いと、道に残された匂いが合致するや、鼻をびたっと地面につけ、しっぽはアンテナのように高くのばし、ジョンを力強くひきずって、まっしぐらに走りだしました。

トビーは、人気のない裏道をぐんぐん進み、やがてラムズ川のほとりにでました。
そしてある一軒の小屋の前でぴたりと立ち止まると、勝ちほこったような顔で、一声ワン!と吠えました。
「よくやったぞ! トビー!」
ジョンはトビーの頭をもしゃもしゃっとなでました。

扉が外され、大きく開いた小屋の入口には、中を隠すように立て板が二枚、ぎこちなく立てかけられていました。
ジョンが身をかがめて、隙間から忍び込むと、中には古い帆布でおおわれた車がありました。
「マリオが乗せられた車だ! ねぇ!マリオ! そこにいるの?」

必死で帆布を取り去り、車のドアをあけると…マリオがいました。
しかし眠っているのか、横たわったまま動きません。
「マリオ! 起きて!」
ジョンがマリオの体をゆさぶり、トビーがペロペロとマリオの顔をなめました。
するとようやく、
「う、う~ん…」
マリオが目を覚ましました。
「よかった…よかった! トビー、マダムをさがして知らせてくれる?」

やがてトビーの案内で、マダムとハトソン、そしてレスター警部とその部下たちが小屋に到着しました。
「ああ、無事でよかったわ。フォレスタ夫人も心配しています。
今すぐ警察に家まで送ってもらいましょう。
ジョン・ワット、トビー、お手柄でしたね」
しかし、そのときマダムは、マリオの首にさげられていたはずの、あのペンダントが消えていることに気がつきました。

マリオを見送ったあと、ジョンはくやしそうにいいました。
「あのペンダントがないと、マリオは王さまになれない…」
「ペンダントだけを奪ったとなると、相手はマリオが王になることをよしとしない人物だと考えられるわ。
そしてここに車を乗り捨てて逃げるなら、次なる手段は船…」

すると、レスター警部がわしわしと無精ひげをなでながらいいました。
「あいにく今日は、ここらへんの船乗りたちの祭りの日だ。
今日船をだすのは縁起が悪い。出発するなら早くても明日の夜明けだ」
「それは幸運ですわ。まだ間に合う…レスター警部、警察の船を用意していただけるかしら?」

小屋からさらに進んだところに、波止場がありました。
そこには何艘もの船がつながれています。
「わたくしが犯人なら、一番速い船を調達するわね」
「しかしなぁ、これだけある船の中からどうやって…」
レスター警部が頭をかき、一行がマダムをふりむくと、そこにマダムの姿はありませんでした。
かわりに、どこからどうみても酔っ払いの、年老いた船乗りが、よろけながらニヤニヤ立っていました。
「あ、えっと…まさか…」

口をあんぐりとさせたジョンたちを尻目に、その年老いた船乗りは、ふらふらと一軒の酒場に入っていきました。
そしてとつぜん声高に、「わしの船がいっちばん速い!」と騒ぎ始めました。
すると店にいた大勢の酔っぱらった船乗りたちが、
「じいさん!なにいってやがる! 一番速えのは、ジムのオーロラ号だ!」
といっせいに怒鳴りました。
「なにぃ? オーロラ号ってぇのは、あの赤い船かい」
年老いた船乗りがとぼけていうと、
「馬鹿いってんじゃねぇ。オーロラ号は黒い船だよ」
「赤い線が二本はいってらぁ!」
「煙突が白いのさぁ」
と、船乗りたちが口々に返します。
「ああ、そうかい、わかったよ。降参降参」
そういって、年老いた船乗りが、手をひらひらとふりながら店から出てきました…と思ったら、目の前には、扇をひらひらさせているマダムカメレオンが立っていました。

「さすがマダムでございます! あっという間に一番速い船をつきとめられました!」
ハトソンが白い羽をふるわせて喜びました。
「じゃあ今から手分けして、そのオーロラ号とやらをさがすとするか!」
「ぼくも手伝う!」
しかしマダムは落ち着きはらっていいました。
「それにはおよびませんわ。もうそろそろ…」

そのときでした。
みんなの足元を、方々から、ささささっと、草をかきわけるような音がしました。
よく目をこらしてみると、それは何百という数のネズミでした。
「ヒャッ!」
驚いたレスター警部が、へんな声をだして飛びあがりました。

「ネズミ探偵団です。こんなこともあろうかと、力を貸してもらうように、先ほど頼みにいっていたのです。このネズミたちがオーロラ号をさがしてくれますわ」
マダムはネズミたちに、チーズをちぎってやりながら、「白い煙突、赤い線が二本入った、黒い船よ」と伝えました。

ほどなくして、オーロラ号がみつかった知らせがありました。
「犯人は、今はどこかに身を隠しているのでしょうが、明日の朝はやく、オーロラ号に乗って逃げようとするはずです。
わたくしたちは警察の船に乗って、そのタイミングを待ちましょう」
マダムたちは、用心のために、少し離れたところにとめた警察の船に乗って、夜が明けるのを待ちました。

はたして見事、マダムの勘は的中しました。
うっすらと東の空が白み始めたころ、ブンッ!ブォォォ…と音を立てて、オーロラ号にエンジンがかかりました。
「今よ! 追いかけて!」
マダムの合図で、待機していた警察の船も動きだしました。

ところが、走り始めたオーロラ号の速いこと速いこと!
警察の船もエンジン全開で追いすがります。
「ぜったいに逃がさないで!」
「ああ、まかせとけ!」
じりじりと追いついた警察の船から、オーロラ号の船尾が見えました。
そこには、あの、手の甲にスパイダーの印があった、運転手の姿がありました。

もう少しでとらえられるところまできたときです。
マダムたちの船から、不敵な笑みを浮かべる運転手の表情が、はっきりと見えました。
その手には、マリオが王である証のペンダントがにぎられています。
そして次の瞬間、あろうことか、運転手は、荒く波立つ川にむかって、そのペンダントを放り投げました。
ペンダントは、きらめくまもなく、にごった水に飲みこまれて消えました。

それからあっけなくつかまった運転手は、これまであったことがまるで他人事のように、ペラペラとよくしゃべりました。

「『アウロラ国』の新しい王がみつかったという話を聞いて、それをよく思わない連中がいたのさ。
しかしある人が…ああ、スパイダーとかいったっけな…それは逆にチャンスだとかいいだしたんだ。
新しい王に催眠術をかけりゃ、操り人形にできるってよ。
それであの子どもを車で連れ去って、催眠術をかける計画だったんだが、思いのほか追手がくるのが早かったもんでね、ペンダントだけ奪って逃げた。
正直、ペンダントさえありゃ、王の身代わりはだれでもいいんだ。
だが、つかまってペンダントを取り返されるくらいなら、川の底に沈めてしまえとお達しでね。
…だれからのお達しかって? ふふっ、そりゃあんた、次の王の座を狙っているヤツに決まってらぁ。
ペンダントさえなけりゃ、あの子どもが新しい王になることもないからね…」

(催眠術…)
マダムはいつか見た、スパイダーの、あやしく光る赤い目を思いました。

マダムといっしょに、事件の一応の解決を報告にいく、ジョン少年の足どりは重いものでした。
あのペンダントを取り返せなかったといったら、マリオはどんなにがっかりするでしょう。
しかし、話を聞いたマリオ少年の反応は思いもしなかったものでした。
「ああ、ジョン! ペンダントより、ぼくはきみが無事だったことがなにより嬉しいんだ!」

それを聞いて、ジョンの心のもやもやした霧が、いっぺんに晴れていくような気がしました。
「ごめんね、マリオ。じつはぼく、ちょっぴりホッとしているんだ。
きみが王さまにならないってことに。
きみが王さまじゃなけりゃ、ぼくたち、友達のままでいられるんじゃないかって」

するとマリオも笑っていいました。
「ほんとう? ぼくも同じことを思ってた! せっかくきみと仲良くなれたのに、知らない国の王さまになるなんてイヤだったもの。それにさ…」
マリオは大きな青い瞳で、まっすぐにジョンをみつめました。
「お父さんにはああいわれたけど、ぼくはあのちっぽけなペンダントが、『ぼくがぼくである証拠』だなんて思わない。
ペンダントがなくたって、『ぼくはぼく』さ。そうだよね?」
ジョンもまっすぐにマリオをみつめていいました。
「うん、そうだよ! きみはきみ! ぼくの友達のマリオ・モースタンさ! ぼく、ジョン・ワットが証人になるよ!」

そうしてふたりは、かたく握手をかわしました。
ペンダントも王さまの地位もなくたっていい。
ふたりはこの日、「親友」というかけがえのない宝物を手に入れたのですから。































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