【小説】透明度の高い春 #3
あらすじ
「幽霊の正体は、証明できる」
そう言いながらも、千隼の中にはひとつだけ捨てきれない願いがあった。
――死んだ祖父が、自分を守ってくれているのならいいのに。
その夜、千隼はホスト「ハル」の正体を探るため、匿名掲示板を漁り続ける。
浮かび上がってきたのは、“誰にでも優しかった男”と、“そのせいで恨まれていた男”という、あまりにも曖昧な人物像だった。
翌朝、駅で紺にその情報を伝えると、彼女はあっさりと言い切る。
「掲示板に真実なんてないよ」
匿名の言葉は、感情を歪める。
そこにあるのは事実ではなく、“誰かの都合のいい解釈”だけだと。
科学で幽霊を証明しようとする千隼にとって、それは見過ごせない矛盾だった。
そして紺は、新たな手がかりを提示する。
――自分のスマホ。
死の瞬間、警察に回収されたはずの持ち物。
そこに、生前の自分と「ハル」を繋ぐ痕跡が残っているかもしれない。
幽霊の記憶ではなく、“現実に残された記録”へ。
ふたりの捜索は、過去へと踏み込んでいく。
#3
家に帰ると、すでに千隼以外の家族は夕飯を済ませたようで、千隼の分だけがダイニングテーブルの上に置いてあった。夕飯を電子レンジで温めながら、千隼はぼんやりと考えた。幽霊の存在は否定したい。しかし、死んだ祖父が守ってくれているというのは信じたかった。
幼い頃の千隼は、母に怒られるたびに祖父の家へと家出した。といっても、彼の家は二世帯住宅だったため、家出といえるほどの距離ではなかったが、それでもそんなとき千隼は母から少しでも離れたかったし、なにより祖父の温かい笑顔が大好きだった。
祖父の膝にしがみつきながら、千隼はたどたどしい言葉で母の叱責がいかに理不尽だったのかを祖父に一生懸命訴えていた。千隼はいつも「ちはや、いいこ?」と祖父に尋ねた。
「ああ、千隼はいい子だから、おじいちゃんが守ってやる。だから、いつでもちゃんといい子でいるんだぞ」
半べそをかく千隼に、祖父はいつも決まってそう囁いたのだった。
電子レンジが調理完了の合図を鳴らした。温かいカレーライスを口に運びながら、千隼は祖父に想いを馳せた。「守ってくれてたんだ」
自室に戻り、千隼は勉強机に置かれたノートパソコンを開いた。インターネットの検索窓に「ホスト ハル Club vita」と入力してエンターキーを押す。すると、検索結果の上位にホストに関する掲示板のサイトが表示される。一番上のサイトをクリックすると、Club vitaのことが書かれた掲示板が開かれた。スクロールしてスレッドを遡ってみるも、そこにハルの名前はなく、最新のホストに関する罵詈雑言が匿名で書き込まれている。タクトって女いんの? ショウヤの細客被りがウザい。ノエルくん、この前ブスと歩いてたんだけどあれなに?
見るに堪えない言葉の羅列に、思わず千隼は顔を顰めた。千隼が眉間に皺を寄せている間にも、掲示板はどんどん更新されていく。
知りたいのは今のClub vitaじゃない。過去の、まだハルがいた頃のClub vitaだ。どうして紺が死してなお固執しているのか。どうして店の前にいた女が生きたまま彼に拘泥しているのか。女たちを執着させるハルという男は、どのような人間だったのか。
半年前のスレッドにはまだハルの名前は見つからない。千隼はさらに遡った。一年前の掲示板にも、まだ見つからない。膨大な量の書き込みを遡り、二年前のスレッドにやっとハルの名前を見つけた。
ハルくん、店やめるらしいよ。
その書き込みは今からちょうど二年前のものだった。「本カノと結婚するんじゃね?」とか「売掛飛ばれたんでしょ」とか、辞める理由と思われる書き込みがいくつかあったが、そのどれにも信憑性はなかった。さらに遡ると、どうやらハルというホストは、どの客にも愛想を振りまいていたようだった。そういう営業のやり方なのか、それとも天然なのかはわからないが、変に期待した客たちからは恨まれることが多かったらしい。
「その気にさせるだけさせてお金を使わせるなんて、さすがホストだな」
呆れながらも千隼は引き続き掲示板に目を走らせた。匿名による好き勝手な書き込みは、際限なくインターネットの深海に広がっていた。
次の日、千隼は学校に行く前にどうしても紺と話したかった。電車から降り、まっすぐ紺の座るベンチへと向かう。千隼を見つけた紺は、大きく手を振っていたが、次の瞬間にはびくっと肩を震わせて気まずそうに会釈した。隣にいるという祖父を怖がっているのだろう。
「お、おはよう、千隼くん。あ、おじいさんも、おはようございます」紺は気まずそうに千隼から目を逸らしている。しかし次の瞬間には目を輝かせて千隼に向いた。「そうだ! わたしね、昨晩名案を思いついたんだよ。あ、大丈夫! 全然危なくないから! 千隼くんが危険な目に遭うことは多分ないから大丈夫! あれ、目が開いてないけど、千隼くん、寝不足?」
祖父がいると思われる方をちらちらと気にする紺を横目に、ふわわとあくびをしながら、千隼は紺の隣にどかりと座る。その様子を見て、紺が小さく笑った。「なるほど、さては徹夜で生き霊を科学的に証明しようとしていたね? だめだよ、成長期なんだからちゃんと夜寝ないと」
「違いますよ」むっとしながら千隼は答えた。あんたのために寝不足なんだとは言えない。それに途中からは夢中になって誹謗中傷の書き込みを読み耽っていた。
「あの、ハルってホスト、あまりいい人ではないみたいですよ。というか、めちゃくちゃクソ野郎だと思います」
電車がホームに滑り込んできた。開いたドアから続々と千隼と同じ学校の制服がホームにあふれ出してきた。閑散としていたホームは一瞬で喧騒に包まれていた。
「どうしてそう思ったの?」濁流のように横を通り過ぎる生徒たちを眺めながら紺は言った。
千隼は眠い目をこすりながら、ポケットからスマホを取り出した。昨晩パソコンから掲示板のURLをスマホに転送しておいた。そのURLを開くと、ハルに関する書き込みが随所に散っているスレッドが開かれる。
「ここに、ハルってホストについてたくさん書き込まれてます。どれもあまりいいことは書かれてない。というか、悪口ばっかりだ」
なるほどねえ、と紺は千隼のスマホを覗き込みながら小さく呟いた。そして、赤ちゃんを覗き込むような穏やかな笑みを浮かべた。「若いねえ」
「は?」思わず千隼は紺を睨んだ。
「掲示板は匿名で書かれてるよね」紺は気にせず話し始める。
それは昨晩掲示板を見始めたときからわかっていたことだった。「はい」
「匿名は人を強気にさせるんだよ」いつの間にか喧騒が過ぎ去ったホームに、紺の声が漂った。「だから、掲示板では悪口が横行する。わざわざ匿名で人を褒めたりしないのが掲示板なんだよ。わざわざ誰かを褒めようもんなら、関係者のやらせかなにかだと思われるのがオチ。つまり、掲示板はただの憂さ晴らしの場なの。そこに真実を求めたらだめってこと」
千隼は掲示板に書かれたハルの評判について、改めて見返した。確かにハルを擁護しようとしている人はもれなく不特定多数の返り討ちに遭っている。
「別にハルって人を庇うわけじゃないけどさ、そこに書かれていることを丸ごと信じるのは、論理的に幽霊の正体を証明しようとしている千隼くんにしてみたら、褒められたことじゃないよね」
千隼はスマホをポケットにしまった。もうすぐ始業のチャイムが鳴る。今から早足で向かえばホームルームには間に合うだろう。「そろそろ行かなきゃ」
紺が慌てた様子で千隼を止めた。
「あ、ちょっと待って。あのね、千隼くん、わたしいいことを思いついたんだってば」
千隼はベンチから腰を上げ、カバンを背負いながら紺の話の続きを待った。
「どんな理由なのかはわからないけれど、ハルというホストを生前のわたしは追いかけてた。だったら、その痕跡がわたしの持ち物の中に残されてると思うの」紺は千隼のポケットを指さした。「例えばスマホ。彼とのメッセージのやりとりだったり、写真だったりが残ってるはず」
それが一番確実で効率の良いアプローチの仕方だというのは十分に納得できた。むしろ、最初からそのアプローチをしていれば早かったのではないかと千隼は肩を竦めた。
「だけど、紺さんのスマホはどこにあるんですか? 紺さんがもう死んでしまったというなら、スマホも下手したら処分されてるかも」
「それがですねえ」紺が得意げに言った。「わたしがここで電車に轢かれたとき、わたしの持ち物はすべて警察が持っていったんだよ」
「警察が?」
事故にしろ事件にしろ、電車に轢かれて亡くなった人の持ち物は一旦警察に持ち込まれるらしい。身元を確認するためだそうだ。身元が判明すれば、その持ち物は遺族に返される。
「もう警察も紺さんの持ち物、ご遺族に返しちゃったんじゃないですか?」
「それでも」紺は笑顔のまま、人差し指を立てた。「警察かわたしの実家に、情報があることが確定してるってことだよね」
