処理が追いつかない私のこと
このnoteは
一つの流れで繋がるように書いています。
この記事では流れの前提となる
自分の特性について書いています。
外側からだと私は、ひととおりのことを普通にこなしているように見えるようです。
付き合いがまだ浅い人からは、
どちらかというと、しっかりしているように見られることも少なくありません。
けれど実際は、
同時にいくつものことが起こると頭がフリーズします。
兆候はあったものの、昔はそこまでではなかったので、年齢的なこともあるのかも知れません。
でも、環境の変化など、なにかきっかけがあるたびに酷くなっていったように思います。
特に子どもが関わるコミュニティの中で、人前に立つ場面があると強く緊張してしまいます。
緊張が酷い時は、知っているはずの人の名前を間違えたり、顔は覚えているのに、誰かわからなくなったこともあります。
先走った行動をしてしまってパニックになったりもします。
昔から、対人関係で小さなすれ違いが起こりやすいほうでした。
悪気はなくても、うまく噛み合わないことがある。
仕事でも、
いくつものことを同時に進めるのが得意ではありません。
見落としや見間違いが増えます。
子どもが小さかった頃、
私は仕事をしませんでした。
当時は、
「怠けているのではないか」
「やろうと思えばできるのではないか」
と、自分を責めていました。
けれど今ならわかります。
私にとって、小さい子を育てることは
それだけで精一杯のことでした。
子どもは育てやすい子でした。
なにか問題があったわけではありません。
ただ、私の特性上、
いろいろな事を同時進行で行わなければいけないだけでいっぱいいっぱいなのに、
想定外の連鎖、
睡眠不足、
病気や薬の副作用などに対する過度の不安…
それらを処理するだけで、心身ともに余裕がありませんでした。
あのとき仕事をしなかったのは、
怠惰ではなく、
自分と子どもを守る選択だったのだと思います。
なにかの診断を受けたわけではありません。
けれど、医学の分野でも、心理学の分野でも様々な名前のついた特性の傾向があることを知り、
「私にもこういう傾向があるのかもしれない」と思えるようになりました。
傾向が分かればある程度対策もできます。
軽く扱われたり、強い言い方をされたりしたこともあります。
それでも、環境が落ち着いているとき、
信頼できる人のそばにいるとき、
私はちゃんと力を発揮できます。
できないことがある私も、
条件がそろえば頑張れる私も、
どちらも本当の私です。
今は、この私を受け入れています。
親しい人にも、
これから出会う人にも、
あらためて、「私はこういう人です」と
紹介しなおすような気持ちでこの文章を書きました。
これが今の私です。
次回 から第1章「愛を書く人」が始まります。
▼インナーチャイルドワークで
16歳の頃の自分に会いに行った話の前編です。
