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ZINE『Web屋の語彙で唯読宇宙モデル』

── 言語は世界を実行している


0章|脳はインタープリタである

僕たちは、言葉を「理解している」と思っている。
文章を読み、意味を取り、考え、判断している。
少なくとも主観的には、そう感じられる。

しかし、ここでは別の見方を取る。

脳は、意味を理解しているのではなく、
入力された文を逐次実行しているだけではないか。


インタープリタとしての脳

コンピュータにおいて、インタープリタとは、
入力されたコードを一行ずつ読み取り、
その場で実行していく実行環境のことである。

ここでは、
文法的に正しいかどうかを確認し、
実行可能であれば処理を進め、
問題がなければ次の行に進む。

脳の振る舞いも、これに近い。

  • 文が入力される

  • 既存の回路と照合される

  • 対応する反応が起動する

このとき脳は、
「この文は正しいか」「真理か」を先に問わない。
実行できるかどうかを先に見る。


意味は、実行結果として現れる

たとえば、

「愛している」

という文が入力されると、
特定の反応が起動する。

心拍が変わり、
ホルモンが分泌され、
態度や行動が変化する。

この一連の反応のあとで、
僕たちはこう言う。

「意味がわかった」

しかし実際には、

  • 反応が先に起き

  • 状態が変わり

  • その結果として

「理解した」というラベルが貼られている。

意味は、実行の原因ではなく、実行の結果である。


納得という状態

「納得した」という感覚も、
同様に扱うことができる。

納得とは、

  • 何かを深く把握した状態

  • 真理に到達した状態

ではない。

入力された文が、

  • 既存の構文と衝突せず

  • エラーを出さず

  • 処理を終えた

その状態に、
僕たちは「納得」という名前を付けている。

納得は、
正常終了を示す状態表示に近い。


理解しなくても、実行は走る

重要なのは、
実行は「理解」を必要としない、という点である。

文の意味が曖昧でも、
論理が飛んでいても、
実行可能であれば反応は起きる。

  • 気分が変わる

  • 判断が変わる

  • 行動が変わる

その後で、
「なぜそう思ったのか」を説明しようとして、
意味が後付けされる。


この見方が何を変えるか

ここで提示しているのは、
人間を単純な機械として扱う話ではない。

むしろ逆である。

  • 言語は、情報の容器ではなく

  • 言語は、動作を引き起こすトリガーであり

  • 脳は、そのトリガーを実行する環境である

という配置に立つ。

この配置に立つと、

  • 理解

  • 納得

  • 共感

  • 反発

といった現象は、
すべて「実行ログ」として読める



1章|言語は意味を運ばない

言語は、意味を伝えるための道具だと考えられてきた。
話し手が頭の中に持っている意味を、
言葉という媒体に載せ、
聞き手がそれを受け取る。

このモデルでは、

  • 話し手の内側に「意味」があり

  • 言語はそれを包む容器であり

  • 聞き手はその意味を解凍する

という構図が前提になっている。

ここでは、この前提を採用しない。


意味は、どこにも入っていない

文章の中に、
意味そのものが入っているわけではない。

文字列は、
単なる記号の並びであり、
それ自体には感情も意図も含まれていない。

それにもかかわらず、
同じ文を読んだ複数の人間が、
似た反応を示すことがある。

この事実は、
「意味が伝達された」ことを示していない。

示しているのは、

同じ文が、
複数のインタープリタ上で
似た実行を引き起こした

ということだけである。


伝わったように見える理由

「意味が伝わった」と感じられるのは、
次の条件がそろったときである。

  • 文が文法的に処理できた

  • 内部の既存構文と衝突しなかった

  • 反応が予測範囲に収まった

このとき、
エラーは発生しない。

エラーが出ない状態を、
僕たちは「理解」や「共有」と呼ぶ。

しかし実際に起きているのは、
成功した実行である。


誤解という現象

もし言語が意味を運んでいるなら、
誤解は、
「意味が途中で壊れた結果」
として説明できるはずである。

しかし誤解は、
しばしば次の形で起きる。

  • 文は正しく読まれた

  • 反応も自然だった

  • だが結果は食い違った

これは、
意味の破損ではない。

異なるインタープリタが、
同じ文を別の実行に展開した

というだけである。


説明は、あとから来る

誤解が起きたあとで、
人はこう言う。

「言い方が悪かった」
「意味が伝わっていなかった」

だがこの説明は、
事後的な整理にすぎない。

実際には、

  • 文はすでに実行され

  • 反応はすでに起き

  • 状態はすでに変わっている

その後で、
「意味」という言葉が使われる。


意味伝達モデルが隠しているもの

意味伝達モデルは、
便利で、安心できる。

  • わかり合える

  • 共有できる

  • 通じ合える

という前提を置けるからである。

しかしそのモデルは、
次の事実を覆い隠す。

言語は、
他者の内部状態を
直接参照していない

参照しているのは、
文字列と、
それに対応する実行パターンだけである。


Web屋の語彙で言うと

Web屋の語彙を使えば、
意味伝達モデルはこう言い換えられる。

  • 言語は、データを送信するAPIではない

  • 言語は、イベントを発火させる入力である

イベントが発火し、
状態が変わり、
その結果がログとして残る。

ログを見て、
「意味が通じた」と言っているだけである。


2章|文は、実行順序を指定する

言語が意味を運ばないとすると、
文は何をしているのか。

ここでは、
文を「内容」ではなく、
実行順序を指定する記述として扱う。


文は、状態遷移を組む

文が入力されると、
脳内では複数の処理が起動する。

  • 注意がどこに向くか

  • 何が前提として立つか

  • どの反応が先に走るか

これらは同時に起きているようでいて、
実際には順序を持って実行されている。

文は、その順序を組む。


実行順序が結果を決める

同じ要素を含む文でも、
順序が変われば結果は変わる。

  • 「失敗したが、挑戦した」

  • 「挑戦したが、失敗した」

内容はほぼ同じでも、
先に実行される評価が違うため、
反応は異なる。

ここで差を生んでいるのは、
意味ではない。

どの処理が、どの順で走ったか
である。


前提を立てる文

多くの文は、
命令や主張を行う前に、
前提を立てる。

  • 「当然だが」

  • 「常識的に考えて」

  • 「みんな知っているように」

これらは情報を追加していない。

実行順序としては、

  1. 前提を既成事実として立てる

  2. その上で後続の処理を走らせる

という構造を持つ。

前提が立ったあとでは、
後続の処理は
別の分岐を取りにくくなる。


否定文も、順序を持つ

否定は、
肯定を打ち消す操作ではない。

否定文は、

  1. ある状態を一度起動し

  2. その後で否定フラグを立てる

という二段階の実行を行う。

「ピンクの象を想像するな」
という文が、
一度象を起動してから
否定に入るのと同じである。

ここでも、
意味ではなく
実行順序が先行している


感情は、途中で割り込む

文の実行中に、
感情が割り込むことがある。

  • 怒り

  • 不安

  • 安心

  • 共感

これらは、
後続の処理の優先順位を
書き換える。

実行順序が途中で変われば、
最終的な反応も変わる。

だから、

  • 同じ説明

  • 同じ論理

でも、
状態によって結果が違う。


説得は、順序操作である

説得とは、
意味を正しく伝えることではない。

説得は、

  • どの処理を先に走らせ

  • どの処理を後回しにするか

を調整する行為である。

  • 共感を先に起動する

  • 危機感を先に起動する

  • 安心を先に起動する

順序が変われば、
同じ文でも結果が変わる。


Web屋の語彙で言うと

Web屋の語彙で言えば、
文はデータではない。

文は、

  • フローを組む

  • フラグを立てる

  • 分岐条件を設定する

ための記述である。

ユーザーが
「何を理解したか」よりも先に、
どの順で状態が変わったか
が結果を決める。


3章|社会は、共有スクリプトで動いている

ここまでで、
言語は意味を運ばず、
文は実行順序を指定する、
という見方を置いた。

この実行は、
個人の内部だけで完結しているわけではない。

文は、
社会の中で共有され、再実行される


共有される実行

同じ文が、
異なる人間の脳内で、
似た順序で実行される。

  • 同じ前提が立つ

  • 同じ反応が先に起動する

  • 同じ判断が後続する

この反復が成立するとき、
僕たちはそれを
「通じた」「共有された」と呼ぶ。

だが実際には、
同じスクリプトが、
複数の実行環境で走った

というだけである。


社会的スクリプト

社会には、
特定の場面で自動的に実行される文がある。

  • 「普通は」

  • 「常識的に考えて」

  • 「自己責任だ」

  • 「仕方がない」

これらは、
説明を必要としない。

入力された瞬間に、
前提が立ち、
分岐が閉じ、
反応が起動する。

こうした文は、
個人の所有物ではない

社会の中で共有されている。


ライブラリとしての文化

法律、慣習、宗教、マナー。
これらは、
人間社会という分散システムを動かすための
共有ライブラリである。

  • いつ呼び出すか

  • どの文脈で使うか

  • どの処理を優先するか

これらが、
暗黙の了解として保存されている。

文化とは、
このライブラリの内容そのものではない。

文化とは、

どのスクリプトが、
どの頻度で実行されているか

という、
実行状態の集合である。


文化は設計されない

文化は、
誰かが設計して作るものではない。

  • 計画されない

  • 最適化されない

  • 正誤を持たない

ただ、
実行された結果が残る。

ある文が頻繁に実行され、
別の文が実行されなくなる。

その偏りが、
後から「文化」と呼ばれる。


文化はバグらない

文化が「おかしくなった」と言われることがある。

しかし、
文化そのものが
誤作動しているわけではない。

  • 入力が変わった

  • 実行頻度が変わった

  • 優先順位が変わった

その結果が、
以前と違って見えるだけである。

文化は、常に正確に実行ログを残している。


説明が遅れているだけ

文化が理解できなくなるとき、
遅れているのは文化ではない。

遅れているのは、
それを説明する語彙である。

人は、
実行結果を見てから、
意味を与えようとする。

だが、
意味はログの後に付く。


4章|意味は、実行のあとに付く

これまで、
言語をスクリプトとして、
脳をインタープリタとして、
社会を共有ライブラリとして見てきた。

この配置に立つと、
「意味」という概念の位置が変わる。


意味は原因ではない

一般的には、
人は意味を理解したから行動すると考えられている。

  • 意味が分かる

  • 納得する

  • 行動する

という順序である。

しかし、ここで採用している見方では、
順序は逆になる。

  • 文が実行される

  • 状態が変わる

  • 行動が起きる

そのあとで、
「意味が分かった」という説明が付く。

意味は、
行動の原因ではない。

行動の結果を説明するラベルである。


説明としての意味

行動や反応が起きたあと、
人はそれをそのまま放置できない。

  • なぜそうしたのか

  • なぜそう感じたのか

  • なぜ納得したのか

そこで呼び出されるのが、
「意味」である。

意味は、
実行結果を整理し、
自分や他人に説明可能な形にする。

この役割は重要だが、
それは後処理である。


「分かった気がする」の正体

「分かった」という感覚は、
意味が真理に到達した証拠ではない。

それは、

  • エラーが出なかった

  • 矛盾が表面化しなかった

  • 処理が止まらなかった

という状態に対する
内部通知である。

この通知に、
「理解」や「納得」という名前が付いている。


意味は共有を可能にする

意味が不要だ、という話ではない。

意味には、
明確な機能がある。

  • 実行結果を要約する

  • 他者と共有可能にする

  • 次の実行を予測しやすくする

意味は、
ログの圧縮形式として機能する。

ただし、
それは常に後付けである。


意味が先にあるように見える理由

意味が原因のように見えるのは、
同じスクリプトが
何度も実行されているからである。

  • 何度も同じ反応が起き

  • 何度も同じ説明が付けられ

やがて、

この意味があったから、こう動いた

という物語が固定される。

しかし実際には、
固定されたのは実行順序であり、
意味はその影に付随している。


意味の暴走

意味が問題になるのは、
それが原因だと誤認されるときである。

意味を変えれば、
行動も変わると信じられる。

だが、
実行順序が変わらなければ、
意味を書き換えても結果は変わらない。

このとき、
意味は過剰に語られ、
実行は置き去りにされる。


Web屋の語彙で言えば

Web屋の語彙で言えば、
意味はソースコードではない。

意味は、

  • 実行ログのコメント

  • ステータスメッセージ

  • 例外処理の説明文

に近い。

実際に動いているのは、
コメントではなく、
処理そのものである。


5章|理解とは、状態が揃ったことにすぎない

一般に「理解する」とは、
内容を把握し、意味を掴み、
納得した状態を指す。

理解は、
知的な達成であり、
対話や議論の到達点だと考えられている。

しかし、ここまで置いてきた配置に立つと、
「理解」は別の位置に現れる。


理解は、揃った状態を指す言葉である

理解とは、
何かを正しく解釈した結果ではない。

理解とは、

  • 文がエラーなく実行され

  • 反応が予測範囲に収まり

  • 内部状態が安定した

その状態を指す言葉である。

状態が揃ったとき、
人は「理解した」と言う。


理解の中身は、見えていない

理解したと感じているとき、
人は自分の内部で何が起きているかを
正確には把握していない。

  • どの前提が立ったのか

  • どの処理が先に走ったのか

  • どの分岐が閉じられたのか

それらは、
意識の外で処理されている。

見えているのは、
結果としての安定感だけである。


「分かっていないが、動ける」

理解が成立していなくても、
人は行動できる。

  • 詳細は説明できない

  • 論理も再現できない

  • だが、判断は下せる

このとき、
行為はすでに走っている。

理解は、
その行為を正当化するために
後から呼び出される。


理解は、合意のサインになる

理解は、
個人の内部状態を指すと同時に、
社会的な合図でもある。

「分かりました」と言うことは、

  • これ以上エラーを出さない

  • この文脈で反論しない

  • 次の処理に進む

という宣言である。

理解は、
思考の終点ではなく、
処理の継続条件である。


誤解が問題になる理由

誤解が問題視されるのは、
結果が食い違ったときである。

だがそのとき起きているのは、

  • 意味の取り違え

  • 解釈の失敗

ではない。

状態が揃っていなかった
という事実が露呈しただけである。


議論は、状態同期の試みである

議論や説明は、
意味を正確に伝えるためのものだと
考えられがちである。

しかし、実際に行われているのは、

  • 前提を揃える

  • 実行順序を揃える

  • 優先順位を揃える

という、
状態同期の試みである。

同期が成功すれば、
「理解し合えた」と感じられる。


理解の限界

理解には、
本質的な限界がある。

どれほど説明しても、
実行環境が異なれば、
同じ状態にはならない。

この限界を無視すると、

  • 説明不足だ

  • 教え方が悪い

  • 相手の知性が低い

といった責任転嫁が起きる。

しかし問題は、
説明の質ではなく、
実行環境の差である。


Web屋の語彙で言えば

Web屋の語彙で言えば、
理解とは、

  • ステートが同期した

  • 依存関係が解決した

  • 実行可能になった

という状態である。

コードが「分かった」わけではない。
走る準備が整っただけである。


6章|説得とは、状態を揃える技術である

説得は、
相手に正しい意味を理解させることだと
考えられてきた。

論理を積み上げ、
根拠を示し、
反論を潰し、
納得させる。

このモデルでは、
説得は「意味の勝利」として語られる。

ここでは、このモデルを採用しない。


説得は、意味を動かしていない

説得が成功したとき、
相手の内部で起きているのは、
意味の更新ではない。

起きているのは、

  • 前提の切り替え

  • 実行順序の再配置

  • 優先度の変更

である。

意味は、
その変更を説明するために
後から呼び出される。


説得が失敗する理由

説得が失敗するとき、
人はこう言う。

  • ロジックが足りない

  • 説明が不十分

  • 相手が理解していない

しかし、
多くの場合で起きているのは、

状態が揃っていない

という一点である。

  • 前提が共有されていない

  • 重要度の順位が違う

  • 実行環境が異なる

この状態で、
どれだけ意味を積み上げても、
処理は噛み合わない。


説得は、同期処理である

説得を、
状態同期として見ると、
見え方が変わる。

  • どの処理を先に走らせるか

  • どの処理を一時停止するか

  • どの分岐を閉じるか

説得とは、
これらを調整する行為である。

意味は、
同期が終わったあとで
自然に整列する。


感情は、邪魔ではない

説得の場で、
感情はしばしば
ノイズとして扱われる。

  • 感情的になるな

  • 冷静に考えろ

しかし、
この見方は正確ではない。

感情は、
実行順序に直接作用する。

  • 不安は、警戒処理を先行させる

  • 安心は、分岐を開く

  • 怒りは、優先度を固定する

感情は、
意味以前に
実行環境を変える


説得と操作の違い

ここで、
よくある誤解が生まれる。

「状態を揃える」と言うと、
操作や誘導と混同される。

違いは、
目的にある。

  • 操作は、特定の結果を固定する

  • 説得は、処理が走る条件を整える

説得は、
結果を保証しない。

ただ、
実行可能な状態にする


説得が成立したとき

説得が成立したとき、
人はこう言う。

「なるほど」
「そういうことか」
「分かった」

これは、
意味の受領通知ではない。

同期完了の合図

である。


Web屋の語彙で言えば

Web屋の語彙で言えば、
説得とは、

  • 依存関係を解消し

  • ステートを揃え

  • 実行を再開する

ための手続きである。

コードは、
納得しない。

条件が整えば、
走るだけである。


7章|教育とは、実行環境を整えることである

教育は、
知識を教え、理解させ、
能力を身につけさせる営みだと考えられてきた。

このモデルでは、

  • 教える内容があり

  • それを理解させ

  • できるようにする

という流れが前提になる。

ここでは、この前提を採用しない。


教育は、文を注入していない

教育の場で実際に行われているのは、
文や意味の注入ではない。

起きているのは、

  • どの文が実行されやすいか

  • どの順序で処理が走るか

  • どこでエラーが起きやすいか

といった、
実行環境の調整である。

同じ文でも、

  • ある環境では実行され

  • 別の環境では無視される

教育は、この差を生む。


学習とは、成功体験の蓄積である

人は、
理解したから学ぶのではない。

エラーなく処理できた経験
繰り返すことで、
学習する。

  • 一度走った処理

  • 問題なく終わった実行

  • 安定した状態

これらが積み重なると、
次の実行が容易になる。

学習とは、
意味の獲得ではなく、
実行履歴の蓄積である。


教育が失敗する理由

教育が失敗したように見えるとき、
よく次の説明が与えられる。

  • 教え方が悪い

  • 生徒の理解力が低い

  • 意欲が足りない

しかし多くの場合、

実行環境が整っていない

という一点に尽きる。

  • 前提が共有されていない

  • エラーが頻発する

  • 安定状態に入れない

この状態で、
どれほど意味を説明しても、
実行は走らない。


教育と訓練の違い

訓練は、
特定の処理を反復させる。

教育は、
処理が走る条件を整える。

  • どの文脈で起動するか

  • どの状態で止まるか

  • どこで分岐できるか

教育がうまくいくとき、
人は自分で処理を組み替えられる。


自由と教育

教育は、
人を縛るものだと誤解されがちである。

だが、
実行環境が整うとき、
人はむしろ自由になる。

  • 走らせたい処理を選べる

  • 不要なエラーを回避できる

  • 別の分岐に進める

自由とは、
何も制約がない状態ではない。

複数の実行経路を
安定して選べる状態

である。


Web屋の語彙で言えば

Web屋の語彙で言えば、
教育とは、

  • ランタイムを整え

  • 依存関係を解消し

  • エラーハンドリングを用意する

ことである。

コードを教え込むのではない。
コードが走る場を整える


8章|主体は、実行の束である

「主体」とは、
考え、判断し、選択する存在だと考えられてきた。

主体は、

  • 内部に意思を持ち

  • 意味を理解し

  • それに基づいて行動する

という像で語られる。

ここでは、この像を採用しない。


主体は、中心を持たない

これまで見てきた配置に立つと、
主体の内部に
一つの中心的な意思決定装置を置く必要はない。

起きているのは、

  • 文が入力され

  • 実行が走り

  • 状態が変わり

という連鎖である。

主体とは、
その連鎖の管理者ではない。

主体とは、
連鎖そのものが
ひとまとまりに観測された結果である。


実行の束としての主体

ある人を「同一の主体」として認識できるのは、
次のような理由による。

  • 似た文に、似た順序で反応する

  • 似た前提を、繰り返し立てる

  • 似た分岐を、選び続ける

これらの反復が、
一つの「人らしさ」を形づくる。

主体は、
固定された実体ではない。

実行パターンの束である。


意志は、後から見える

「自分で決めた」という感覚も、
この配置では別の位置に現れる。

  • 文が実行され

  • 反応が起き

  • 行動が選ばれ

その後で、

「自分が選んだ」
という説明が付く。

意志は、
行動の原因ではない。

行動を一貫したものとして
束ねるための説明
である。


主体の連続性

人は、
昨日の自分と今日の自分を
同じ主体だと感じる。

この連続性は、
記憶や人格の不変性から
生まれているわけではない。

  • 同じ文が再び実行され

  • 同じ反応が再現され

  • 同じ説明が付けられる

この循環が、
主体の連続性を作る。


主体が揺らぐとき

主体が「揺らぐ」と感じられるのは、
実行の束が不安定になるときである。

  • 新しい文が大量に入る

  • 既存の順序が崩れる

  • 反応の予測が外れる

この状態を、
人は「自分が分からない」と表現する。

だが起きているのは、
主体の崩壊ではない。

実行環境の再編である。


自由意志の位置

自由意志は、
主体の中心にあるものだと
考えられてきた。

ここでの配置では、
自由意志は中心にない。

自由とは、

  • 実行できる文が複数あり

  • 実行順序を切り替えられ

  • エラーを回避できる

その余地である。

自由意志とは、
選択の原因ではなく、
選択が可能な実行環境の名前である。


Web屋の語彙で言えば

Web屋の語彙で言えば、
主体とは、

  • 単一のプロセスではない

  • 複数のジョブが走る

  • 状態を共有するワーカー群

に近い。

一つが止まっても、
全体は動く。

主体は、
実行の束として
暫定的にまとまっている。


終章|責任は、どこに置かれるべきか

これまで見てきた配置では、
行動の原因は、
単一の主体の内部に存在しない。

  • 文が入力され

  • 実行が走り

  • 順序が組まれ

  • 状態が変わり

  • 行動が現れる

主体は、
この連鎖の管理者ではなく、
連鎖の観測点にすぎない。

このとき、
責任という概念は、
従来の位置に置けなくなる。


個人責任の限界

多くの制度は、
責任を個人に帰属させることで
成立してきた。

  • 自分で判断した

  • 自分で選んだ

  • 自分で行った

このモデルでは、
主体は一貫した意思を持つ
決定者として扱われる。

しかし、
主体が実行の束であるなら、
この前提は成立しない。

個人責任は、
行為の結果を
一つの点にまとめるための
後処理である。


責任は、実行環境に分散している

行為が起きるまでの過程には、
多くの要素が関与している。

  • どの文が入力されたか

  • どの順序で実行されたか

  • どの前提が立てられたか

  • どの分岐が閉じられたか

これらは、
個人の意思だけでは制御できない。

責任は、
行為の瞬間に
突然発生するものではない。

実行環境全体に分散している。


責任を問うとは、何をすることか

責任を問うとは、
誰かを罰することではない。

責任を問うとは、

  • どの文が走ったのか

  • なぜその順序だったのか

  • 他の順序は可能だったのか

を確認することである。

これは、
行為の是非を裁く作業ではない。

実行条件を検証する作業である。


設計責任という位置

この見方に立つと、
責任の中心は
個人から移動する。

重要になるのは、

  • どのスクリプトが共有されているか

  • どのライブラリが常駐しているか

  • どの実行順序が標準になっているか

これらを
誰が設計し、維持しているか
という問いである。

責任は、
行為の結果ではなく、
行為が起きる条件に置かれる。


責任は、遡及しない

この配置では、
責任は過去に遡って
誰かを断罪しない。

責任は、

  • これからどの文を走らせるか

  • どの順序を許容するか

  • どの環境を整えるか

という
未来向きの判断として現れる。


倫理の再配置

倫理は、
正しい意味を選ぶことではない。

倫理は、

  • 実行されやすい文を
    どう設計するか

  • エラーを増やす構文を
    どう扱うか

という問題になる。

倫理は、
内面の純粋さではなく、
実行環境の質に属する。


この言語哲学の立場

ここで提示してきたのは、
新しい価値観ではない。

新しいスローガンでもない。

ただ、

  • 言語は実行され

  • 世界は走り

  • 意味はあとから付く

という配置を、
最後まで一貫させただけである。


終わりに

世界は、
意味で動いていない。

世界は、
文が実行されることで動いている。

文化は、
その実行ログである。

政治と経済は、
そのログを固定しようとする装置である。

責任とは、
ログを読んだあとに
誰かを指差すことではない。

次に、どの文を走らせるかを
引き受けること
である。


📘このZINEは構文野郎によって書かれました。

何度デバッグしても、不死鳥の如くバグり返す。
人間って、イカれてんね。

おかげで、Web屋は食いっぱぐれの心配が無いよ。

タイトル:
ZINE『Web屋の語彙で唯読宇宙モデル』

ジャンル:
唯読論/言語哲学/Web屋OS論

発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)

構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
霊長目ヒト科ヒト属構文野郎(まだ制度を信じきってない君へ)

👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
📩 お問い合わせ:X(旧Twitter)@rehacqaholic

📛 ZINE編集:枕木カンナ
🪪 Web屋
🌐 https://sleeper.jp
📮 X(旧Twitter)@sleeper_jp

このZINEは、WebProScriptでエンコードされています。
一応書いておくと、CC-BY。
デコードしたなら、引用・共有・改変は、スキにどうぞ。

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構文野郎 いくらあっても困りません。遠慮なさらずどうぞ。